5  (`・ω・)つ



「ああっ、最悪!」
「何かあったの?」
「傘盗まれた!まじない!あーまじ誰だし!」

慣れないミシンを使っていると帰宅する予定だった先輩が家庭科室へと戻ってきた。
先輩の友だちはその先輩をあやしながら、一緒に帰ろうと誘っていた。

「この時期になるとよくあるよねー中学のときもあったわ」
「ね、私のとこの中学もあった」

可愛らしい白のエプロンをもった綾が話しかけてきた。
季節は六月。
じめじめ蒸し暑くて雨が多い。
私はあんまり好きじゃない。

「名前どう?私エプロン出来たから帰るけど」
「うーん、私もうちょいやってく」
「そう?あんまり遅くなっちゃだめだからね?」
「うん」
「じゃあ、ばいばい」
「ばいばい」



雨ひどいなぁ…。
昼間より薄暗い廊下を一人で歩く。
窓には叩きつけるように降る雨が何度も当たっている。
傘差しても濡れちゃいそう。

自分の学年の下駄箱で長靴に履き替える。
…れいにーぶーつ?というものらしい。
去年の誕生日に綾にもらった。
私はすぐ水たまりに足を突っ込む癖があるのでくれたものだ。
紺色をベースに白い小さな花が散りばめられているもので、
控え目だが可愛らしく制服にもあまり違和感がない。

私のお気に入り。
六月の楽しみはこの靴を履けることぐらいだ。

傘立てで自分の傘を探す。
私は無事見つけて昇降口へと歩く。
盗まれてなくてよかった。

傘を開こうとして、横にある気配に気づく。
あ、高い身長に癖っ毛の黒い髪…いつもより憂鬱そうに見える無表情。

「…あ、かあし先輩」
「え?」
「あっ…」

思わず口に出して先輩を呼んでしまった。
先輩はこちらを向いて私を見て、あ、と何かを思い出すように小さく呟いた。
私はどうしようと思いながらも口を動かす。

「どうしたんですか?帰らないんですか?」
「…え?」
「え、っと」
「ごめん。雨で聞こえない」

ぱくぱく意味もなく口を動かして、焦りがピークで訳も分からず泣きそうにそうになる。
でも先輩は冷静に少し膝を曲げて耳をこちらへ寄せてくれる。

「なに?」

先輩の横顔が近い。まるであのときのお姫様だっこみたいに。
私は先輩の耳に口を近付ける。かかとを上げて。
緊張する。顔が熱くなる。

「か、帰らないんですかっ?」
「…ああ、ちょっと…傘がね」
「傘?」

先輩は少し疲れを感じるているのか、視線を少し下に落とした。

元々ちゃんと傘を持ってきたらしいが部活の先輩が傘を忘れて貸した、のだという。
一緒に帰ろうと言うが、百九十センチ近い男との相合傘はちょっと…。
それに折り畳み傘を持っていたので大丈夫だと、教室のロッカーへ取りに行って
いざそれを広げてみると訳の分からない形に開き、何とか直そうと試行錯誤してみるも直らなくて
このまま濡れて帰るか迷って立ち尽くしていたらしい。

「…で、その折り畳み傘前木兎さんに貸した奴なんだよね」
「え…じゃあ、その、傘が壊れてるのって…」
「うん、たぶん、木兎さんが原因だろうね…貸す前は壊れてなかったから…
まあ、今日傘を貸した先輩も木兎さんなんだけどね…」

先輩は遠い目で雨を見る。
話を聞きながら私は頭の中でなんて言おうか考えていた企みを先輩に
言ってみることにした。

「それは…災難でしたね」
「…まあ、いつものことと言えばいつものことな気がするから、別にいいけどね」
「あ、あの…良かったら傘入りますか?私家近いんです。だから途中まで一緒に入ってもらって…
そんなに距離ないし、二人で入ってもあんまり濡れないと思うんです!それに色々とお世話になったし」

緊張で声が震える。
今度は雨に負けないように大きな声で言う。

「…家どこ?」
「こ、校門を右に曲がって信号一つ渡って、右側あるコンビニの後ろに建っているマンションです」
「…ああ、そこか…ほんとだ近いね。方向も同じだし」
「…じゃあ!」
「うん、入れてもらっていい?」
「はい!」

先輩は無表情だが私は自然に緩む頬を少し引き締めて返事をする。
よし!先輩と濡らさないようにするぞ!
私は顔を引き締めて傘を開いて先輩に差そうとして、あることに気づく。

先輩は百八十を超える長身、私は百五十台前半のちんちくりん。
軽い計算でも余裕三十センチ差!

腕いっぱいに伸ばせば届かなくもないはず…!

「…っ」

と、どいた…!
ぷるぷる増える腕が情けないけど仕方ない。

「せ、せんぱい行きましょう!」
「…俺が持つよ?」
「い、いやお礼も兼ねなんで、私が!」

先輩はちょっと困った顔で私を見下ろして、自然な動作で私の手から傘を絵柄をとる。

「あっ」
「入れてもらえるだけで助かるし、手疲れちゃうから俺が持つ。
それに君が持つとたぶん、俺傘刺さる」
「…ごもっともです」

先輩の言葉に私は頷いて先輩が差してくれる傘の中へと入った。



先輩のエスコートは凄い。
まず当然のように車道側を歩いているし、傘だって私の方寄りだし、水たまりがあるとそっと声をかけたり
身体を引きよせたり…何がすごいってそれを当たり前のようにやっているところがすごい。
気遣いが男子高校生と思えないほどできている。

「…家庭科部。こんなに帰り遅くなるの?」
「ああ、今日は衣装作りに時間かかちゃって…」
「衣装…ああ、あのウエイトレスみたいな奴か」
「はい、それです。夏休みの終わりころまでに作れればいいんですけど
夏休みはメニュー作りとかあるから早めに終わらせたくて」
「なるほど…確か校内回ってお菓子売る子もいるよね」
「学年によって役割別れてて、二三年は教室を借りてカフェを開いて
一年生は校内回ってお菓子売りながら呼びこみするんです」
「へえ、そんな仕組みだったんだ」

私と先輩はお互いの部活の話しながら帰り道を歩く。

「先輩はバレー部ですよね?」
「うん、知ってたんだ」
「新聞部の友だちに聞きました。モテる先輩が居るって…
あ!ストーカーじゃないですよ!?」
「大丈夫。思ってないから…」
「あ、じゃあ初めて先輩に会ったときの、あの大きな先輩もバレー部ですか?」
「…ああ、木兎さん。そうバレー部の主将で三年生なんだ」
「主将さん…」

声が大きくて明るい…というより、にぎやかな印象の、あの笑い声を思い出す。
確かにあれだけ活発的なら主将に向いているかもしれない。
でも正直赤葦先輩の方が年上に見える。

そんなことを考えていると、頭上でくすと小さく笑う声が聞こえた。
見上げると先輩が小さな悪戯っ子のように少し目を細めていた。

「木兎さん主将っぽくない?」
「ええ、いや、そんな、ことないですよ?」
「…目泳いでるけど?」
「……赤葦先輩の方が年上っぽい、なぁって思って」

もごもごと小さい声で正直に言うと、先輩は無表情に戻ったけど
ほんの少しだけ目尻が優しく下がっているように見えた。

「…そうだね。でも木兎さんはなんだかんだ頼りになる人だよ」
「…尊敬しているんですね」

木兎さんのことを話す先輩の横顔はどこか得意げな様子に見える。
先輩がバレーしているところ見てみたい。



「傘ありがとう」
「いえ!元々は私が迷惑かけたし…」

マンションのエントランスまで送ってもらい、先輩はもうちょっとした所に家があるらしい。
折り畳んだ傘からはぽたぽたと水が垂れて、エントランスの床を濡らしていた。

「明日傘返すね。空いている時間ある?」
「え、そんなわざわざ大丈夫ですよ!傘立てに適当に入れておいてください」
「…でも、明日傘点検日だったような…」
「あ」

傘点検日。
それは六月の最終日(晴れ)にある風紀委員会の活動の一つ。
雨がたくさん降るこの時期は傘の盗難がいつもの倍になる。
傘を忘れた人が明日返せばいいや、という出来心で傘を盗んで傘立てに傘を戻す。
しかも、元の場所の傘立てに戻さないことが多い。
そこで、そういう傘を持ち主に返すために六月の最終日(晴れ)に、傘立てにある傘を全部回収して持ち主を探すのだ。
元々自分の傘を持っている人は教室にこの日のために設置されている小さな傘立てに立てておかなければならない。
でないと、回収されてしまうから。

「…えっと」
「休み時間とかは?」
「明日は木曜日…移動教室多い日なんですよね…」
「…あーそれはきついね」
「……あ、昼休みはだめですか?」
「…昼休み…明日はミーティングがあるけど、早めに終わるって言ってたし、
うん、昼休みでいい?」
「はい!」



私はエントランスから先輩を見送ると、スマホの画面を見て一人ニヤけそうになる。

「ラインしてる?」
「?はい」
「一応連絡とれるようにしときたいから、いい?」
「は、はい!…じゃあ、私が最初にバーコード読み取りますね」
「うん、…待ち合わせ二階から三階へ続く階段でいい?」
「大丈夫です!」
「…あ」
「?」
「すげぇ今頃なんだけど、名字名前って言うんだ。下の名前は知ってたけど」
「えっ」
「ほら、友だちが呼んでたでしょ」
「ああ、なるほどっ」

私も知ってますよ。

赤葦京治。
その表示名に私は湧き上がる感情を少しずつ受け入れようとしていた。
雨の日も悪い事ばかりじゃないんだ。



「うわあ!マジか!雨かよ!」

制服に着替えていると、木兎さんがいつものようにオーバーのリアクションでショックを受けていた。
俺は特に気にしもせずロッカーを閉めて部室を出ようとした。

「待て赤葦」
「嫌です。お疲れ様でした。お先に失礼します」
「おい、こら!先輩の言うことを無視するんじゃありません!」

肩を掴んでくる手を振り払いたいのを我慢して、つきたくなるため息を飲み込んで
俺は後ろを振り返る。

「…何ですか」
「赤葦俺は今日天気予報を見ていない」
「はあ」
「そして俺は雨が降ることを知らなかった」
「そうなんですか」
「ってことはだ!俺は傘を持っていない」
「そうですか。じゃあ帰りましょう」
「っておい!なんでそうなる!!」

両肩を掴まれる。
そして揺らされる。
ああ、頭が…。

「貸しません」
「早い!まだ何も言ってない!それに俺は貸してって言うつもりはなかったぞ!」

ふふん、と得意気に笑う木兎さんに俺は嫌な予感がした。

「赤葦!俺と相合傘し」
「絶対に嫌です」


何が好きで百八十超えする男同士で相合傘なんてしないといけないのか。
絶対に嫌だ。
その絵面を考えるだけでむさくるしい。

…名字さん。
少しだけ緩みそうになる頬を引き締める。

彼女が傘を差そうとしたときに、腕をぷるぷるさせて、ぎこちない笑顔で
どうぞ!と気合を入れる彼女は可愛かった。
…微笑ましい、という表現でもいいかもしれない。

俺は男にしては可愛らしい模様をした傘を差しながらそんなことを思った帰り道。

もうすぐ本格的な夏が来る。

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