後編


 朝は自然と起きることができる。それは昔から変わらない。瞼越しに眩しさを感じて、目を開ける。北は起きて違和感をもって、首を傾げた。妙に寒くて、暖かい。身体を起こして、自分の腕の中に名字が居ることに気付いた北はびくっと肩を揺らした。布団から見える剥き出しの肩に昨日のことが鮮明に思い出される。よく見えれば自分も服を着ていない。昨日の自分らしくない行動に複雑に思うところはあったが、北はとりあえず彼女に服を着せることにした。

「……?」
「あ、名字さん起きた?」
「ん、ん……」
「眠い?」
「きた、くん?」
「うん?どうしたん?」

 北は丁度自分の服を着たところで、彼女が起きかけたのでベッドの中を覗き込む。彼女は布団の中に顔半分埋めながら、眉を顰めたまま返事をする。北は眠そうな彼女の眉間を指先でこちょこちょと撫でて、彼女の様子を観察するようにじっと見つめた。彼女はイヤイヤと布団の中へ逃げ込む。丸まった布団をぽんぽんと軽く叩いて、北は尋ねる。

「身体だいじょうぶ?」
「だいじょ、ぶ」
「ほんとに?」
「ほんと、に」

 布団からひょっこり彼女が現れる。もしかして、彼女は朝があまり得意じゃないのかもしれない。そもそも、疲れが取れていないのか。北がそんなことを考えていると、唐突に彼女がむくりと起き上がった。

「……」
「名字さん眠かったら、寝とってええよ」
「……きたくんぶかつ」
「……」
「じかん」
「ああ、部活は午後からやから、大丈夫」

 北がそう言うと彼女はぱたり、とベッドに倒れ込んだ。やっぱり眠たかったらしい。北は彼女に布団をかけ直して、ぽんぽんと頭を撫でる。北は軽く腕を伸ばして、身体を解した。色々とやることがある。さっさと済ませよう。



「……?
 !?」

 彼女は起きかけの微睡に甘えてもう一度布団に潜りこもうとして、飛び起きた。息を吸い込んだときに、全然違った。この匂い知ってる。いい匂いがするシャツも、ハーフパンツも自分で着た覚えがない。彼女の口から声がもれる。身体に残る違和感に彼女は既に起きた北のように昨日のことを鮮明に思い出していた。掠れた声で唸りながら、彼女は湧き上がる羞恥心と幸せに変な顔になった。現状を把握しようと周りを見渡すと、枕元に昨日彼女が着ていた服があった。と、とりあえず着替えよう……。そこで彼女は自分の胸元、足の間の頼りなさに気付いた。

「下着!……あ、あった」

 彼女のパーカーとジーンズの間に挟まっていた。

「……なんて出来た男の子なんだ北信介」
「なんでフルネーム」

 彼女は下着を抱き締めて、後ろを振り向いた。部屋に入って来たところだった北はそのままベッドへ座って、彼女の髪を撫でつけた。さらりさらりと、彼女の髪は北の指通りに整えられていく。彼女は大切に触れられることにドキドキしていた。昨夜のことを思い出してしまう。北は横髪を彼女の耳にかけて、顔を覗き込んだ。

「身体だいじょうぶ?」
「う、うん、大丈夫。北くんは?」
「俺はそんな……心配されることしてへんから」
「いや、えっと、……雨に打たれた方」
「あ、ああ。大丈夫やけど、名字さんは?」
「だ、いじょうぶ」
「そっか。じゃあ、外で着替えるの待っとるわ」
「うん」

 北と彼女は教室の中にいるような空気で会話をしながらも、何処かぎこちなかった。ぱたん、と扉が閉まって、彼女はベッドの上で転がって、北は扉の前でしゃがみ込んだ。

「(……北くんなんであんなにかっこいいの……、てか優しい。好き)」
「(あかん。寝起きの名字さん何回見てもかわええ)」



「(ほんと、好き)」
「(ほんま、好き)」

 扉を一枚挟んで以心伝心していることも知らない二人はしばし赤面していた。



 ほんのり甘い空気が漂う朝だ。昨日と全く同じ服装なのに、香りが全く違う服に身を包んで彼女は北の後ろをついていく。彼女は洗面所に案内され、使い捨ての歯ブラシと歯磨き粉やコップまで用意してもらい、仕上げに湯や水の出し方の説明もされた。まるで旅館の仲居さんのようだと彼女は頷きながら、関心していた。北は説明をし終えると、台所にいると言って洗面所から出て行った。ちゃんと台所までの道のりも説明していった。

「……やっぱり、きた……あ」

 彼女はあることに気付いて首を傾げた。慣れないけど、だいじょうぶ。慣れる。



 北は両親と祖母が用意してくれたカレーを温めながら、口をきゅっと結ぶ。浮かれた気分がなかなか抜けない。眠たそうな彼女とそのまま縁側で日向ぼっこしたいくらい、浮かれている。二人の時間がこんなにも魅力的だとは思わなかった。現実的ではない希望を持つこと自体が自分らしくない。ふいに視線を感じて北が振り返れば、彼女が廊下へと続く扉から北を覗いていた。どうやら彼女は北に話しかけるタイミングを伺っていたらしい。

「おはよう」
「うん、おはよう。あれ、挨拶しとらんかったっけ?」
「え、分かんない。でもお玉もってエプロンしてる……しんちゃん見たら言いたくなって」
「え……」

 北は固まる。彼女はそれに気付かない。北の隣に並んで、鍋の中を覗き込んだ。「カレーだ。美味しそう」と呑気に笑っている彼女の顔が憎らしい。北はもう一度強く唇を結ぶ。きゅ、きゅ。彼女は何も知らずに開けて見せる。きつくきつく締めたジャムの蓋を呆気なく彼女は開けて見せる。

「しんちゃんの家のカレーは甘口?辛口?」
「……」
「しんちゃん?」
「……」
「しんちゃ……うえ」

 彼女の色気のない声と、コンロを切る音は同時だった。とん、と軽い音がして彼女は壁へ押し付けられた。驚いた彼女は北を見上げて、少し怯えていた。何かしてしまっただろうか。見上げた先には切羽詰まった顔をした北が居て、彼女は頬が熱くなる。その顔は昨日の夜の、北にそっくりだった。北は彼女の唇を塞ぐと、ちゅ、ちゅと啄むようにキスをした。彼女は北の背中に手を回して、踵を上げた。小さな手が背中に掴まるように触れられて、北も思い出してしまった。かぁと、と身体が熱くなる。彼女の唇の間に舌を滑り込ませると、歯磨き粉の味がした。

 朝から何やっとるんやろ。

 爽やかの朝には似合わない。北は彼女の大きめのパーカーを捲り上げて、彼女のお尻を撫で上げる。彼女は首をすくめようとしても、北に舌を絡み取られて上手く動けなかった。きた……しんちゃんとの、キスは変な感じがする。どきどきして、落ち着く。触れ合って身体が熱くなってとけていく、感じの気持ち良さは忘れられない。もっと、もっとって欲張りになる。北の舌先が彼女の上顎を突くと、彼女の喉が鳴る。北の腕の中で彼女は身体を捻るが逃げられない。

「ん……」
「あの、しんちゃ」
「それあかん」
「?」

 北くんがしんちゃんと呼べと言ったのではないか。彼女は不満気に首を傾げて、北もバツが悪そうに頬をかく。北らしくない、仕草だった。いつもとは立場が逆転だ。叱られた子どものような顔をした北が可愛くて可愛くて仕方がない彼女は北の唇を押し潰して、力いっぱい抱き着いた。彼女の唐突な行動に驚きながらも、北は彼女を抱きとめた。

「どうして、あかんの?」
「……思ったよりも、あかん」
「???」
「昨日のこと思い出して、めっちゃしたなる」
「え」
「やから、あかん」

 彼女の腰を引き寄せて、北は自分の身体を押し付けた。あつくて、かたいもの。戸惑っていた彼女は顔を真っ赤にして、口を噤んだ。

「え、えっと、……する?」
「……」
「しんちゃん?」
「あほ」
 
 どこまでも甘く魅惑的な誘いに北はしかめっ面をして、彼女のパーカーに手をかけた。ぐいっと、首元が遠慮なく開かれて彼女は目を瞑る。そして、がぶっと思い切り噛まれた。

「いたい」
「何となく」
「絶対今の何となくじゃないよ!しんちゃん!」

 北がわざと大きく口を開くと、彼女は肩を押さえて首を横に振った。

「う、うそ、うそだよ、えっと、じゃあ、きたくんでいいの?」
「……」
「?」
「信介って呼んで」

 北は小さな声でそう言うと、彼女の肩についてしまった歯形をちろちろと舐める。それはどこか噛んでしまったことを謝っている子犬のようで、彼女は北の頭を撫でる。あー、だめ、信介くんかわいい。好き。

「信介くん?」
「うん、名前?」
「はい」
「朝飯にしよ」
「うん」



 彼女はスニーカーの紐を結び直して、玄関の外で待つ北の隣へ並ぶ。そして、玄関の鍵を閉める北の後ろ姿を彼女は子どものように待っていた。北はエナメルバッグへ鍵をしまうと、大人しく待っていた彼女の頭を撫でて、彼女の手を取った。彼女は北に撫でられた頭をおさえながら、北の手をぎゅうと握り返した。ああ、私北くんに甘やかされてる。すごい、とっても、幸せ。嬉しそうに笑っている彼女の周りには、ぽん!ぽん!と花が舞っているようだと北は思った。その花がぽーん!ぽーん!と北の方まで舞っているような気分で、北はもう一度彼女の頭を撫でて、そのままキスをした。

 彼女の目が大きく見開いて、北を見上げる。北はくすくすと楽しそうに笑って、彼女の手を引いて歩き出した。

「いってきます」
「いってらっしゃい」
「名字さんも行くんやけど」
「うん。でも、なんか言いたくなった」
「じゃあ、名字さんも言って」
「……いってきます?」
「はい、いってらっしゃい」

 彼女はあることを思いついて、北に抱き着いた。急なことに北は首を傾げながら、彼女の行動を待つ。

「せっかくだから、いってらっしゃいのちゅーもしよう」
「今したやん」
「いってらっしゃいって言う前だったよ?あれ、言う前にするの?言った後にするの?」
「……え、分からん。どうやろ」
「でも、したい。あ、しんちゃんしたい、ねえしんちゃ」

 がぶり、と思い切り唇を噛まれた。そのまま荒々しい口付けを彼女は目を瞑って受け入れる。この後、北はらしくない自分に戸惑って自己嫌悪に陥ってしまう隣で、気にしないでいいのにと呑気に彼女は笑っていた。




「名字とは上手くいったんか?」
「いったと思うで」
「そっかぁ。良かったなぁ……やっぱり、不安を抱えたままはあかんからな。
 話し合いは大事や」
「一晩かけてじっくり」
「え?」
「はは」
「ちょい、待て!何があったんや!」

 北のヤキモチ解消に尾白が巻き込まれていることを彼女は知る由もなかった。

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