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名字はドキドキながら、自分の席に座っていた。友達とおしゃべりしていても、教室の扉が気になってしょうがない。クラスメイトが教室に入ってくる度に、彼女の目は教室の扉へ向けられていた。同じ教室に付き合っている人がいるって、感覚が分からない!でも何か心臓に悪い!彼女は席に戻って行く友達を見送って、リップクリームを塗り直した。最近乾燥が酷い。特に好きな季節があるわけではないが、乾燥が近づく季節は苦手だった。買ったばかりのハンドクリームを鞄から出して、心を落ち着けていると教室が少しだけうるさくなる。
「セーフ!」
「またギリギリやな、侑」
「大会近いからな、どうしても気合入るねん」
おはよう、おはよう。挨拶を交わしている宮は朝練から速攻で教室に来るため、いつもネクタイが寄れていた。ネクタイを直しながら、宮はぐるりと教室を見渡した。彼女がこっちを見ていた。目が合うと、戸惑ったように視線を泳がせたあとに、ぺこりと頭を下げた。彼女らしい仕草ににやけそうになった。
「あ、忘れもんした」
「なに?」
「ハンドクリーム。切らして買いに行くの忘れとった」
「……侑が?つけんの?」
クラスメイトの男子の失礼な目付きに、セッターの指先舐めんな!とデコピンをかまして、宮は彼女の元へ寄っていく。早くしないと、いけない。彼女は近付いて来る宮に目を丸くして驚いていた。
「名字さんハンドクリーム貸してくれへん?それ、俺も同じの普段使ってて」
「あ、う、ん、どうぞ」
「ありがと。助かるわ……うん?名字さん甘いで、ちゃんと馴染ませな。ハンドクリーム意味ないからな」
彼女は宮に名字と呼ばれることに違和感があるような、ないような微妙な気持ちになっていた。宮くんなら、教室でも名前呼んできそうなのに。やっぱり、付き合っていないんじゃないのかと疑惑を持ち始めたときに、宮は大きな手で彼女の手を包んだ。彼女はぎょっとして宮を見上げて、背筋を凍らせた。クラスメイトの普段仲良くしているグループ以外の女子の視線を強く感じたからだ。男子の好奇心の強そうな視線も感じて、彼女は温かいはずの宮の手の感覚が分からなかった。
「こうやって温めて馴染ませるんやで」
「……!」
彼女の不安が一気に吹き飛ぶぐらいに宮はにっこりと笑った。彼女だけに向けられた笑みだった。彼女は一番後ろの席だっため、幸いその笑顔は彼女以外に誰にも見られることはなかった。彼女の隣の席の男子が宮の首に腕を回して絡み始めた。よく宮と絡んで二人で、教室の中心にいるような男子だった。
「なんや、羨ましいんか。お前にもやったるわ」
「遠慮しとくわ。お、おい」
「遠慮せんでええ」
ドン引きしているクラスメイトの手を取って、宮は強引に両手で包み込んだ。いや、実際ぎりぎりと強く握っていた。その男子は笑いながらも、必死に手を離そうと抵抗する。ぎゃあぎゃあと宮がクラスメイトの男子と絡み始めた。彼女はぽかんとしながらも、助かったと胸を撫で下ろしていた。緊張の原因になったクラスメイトの視線はすっかり宮と男子のじゃれ合いにシフトしていた。
急にぽかぽかと温かくなり始めた手に宮の手の固さ、大きさを思い出して、彼女は顔を赤くして俯いた。その姿をしっかり宮に見られているとは夢にも思わなかった。
休み時間になって、早くお昼休みにならないかとスクールバッグの中を探る。小腹が減ったのときための、グミがあるはずだ。スマホの消しているはずの画面がついていたため、彼女はスクールバッグごと膝にのせてこっそりとスマホのロックを解除して、中身を確認する。彼女は顔を上げて、宮の姿を探した。宮は丁度クラスメイトと話して、ケラケラと笑っていた。
【朝から騒がしくてごめんな。ハンドクリームありがと、名前】
【ちょっとびっくりした。どういたしまして、侑くん。
でもわざわざlineなくても大丈夫だよ】
先生に怒られたちゃうし、と足そうとしてやめた。文章が長すぎる気がしたからだ。意外にもすぐに既読がついて、またすぐに返事が返って来た。
【やだ。名前にlineする】
【なんで】
【だって名前が不安そうな顔やったもん。昨日のこと本当やから、名前は俺の彼女】
【忘れんといて】
【名前は俺の彼女や】
【から】
ぴこんぴこん、と音はしなくとも、続けてくるメッセージに彼女は心臓が早くなって、泣きそうになった。侑くんの真っ直ぐなところを知るのが怖い。目の前で宮は男子と攻防を繰り返しながら、必死にスマホに向き合っていた。彼女は未だに震えるスマホを制服のポケットにしまって、スクールバッグに手を突っ込んだ。
つかん。既読が、つかん!
誰とlineしとるのか、なんてプライベートのことを聞いてこようとするクラスメイトを払い除けながら、俺は必死に画面をタップし続ける。なんでや、なんで、急に。やっぱりいきなり教室で絡むのはダメだったのだろうか。彼女のことを名字さんと他のクラスメイトと同じ呼び方をした瞬間、彼女は目に見えたように不安そうな顔をした。俺はそれにほっとした。ちょっとでも俺のことで、喜んだり落ち込んだりしてくれるのかと分かったから。でも彼女と俺の関係はまだまだ曖昧なもんやから、大切にしてかなあかん。絶対に部外者に邪魔はさせないと、思っているのに、さっきからつんつんと制服を引っ張られる。無視をしているのに、うっとうしい。誰や!
「ちょ、なに、今大切なと」
「宮くん」
「……名字さん」
一瞬声裏返るかと思った。宮は反射的に笑顔を作ったが、内心は冷や汗が止まらなかった。展開についていけなかったからだ。まさか、名前から俺に話しかけてくるとは!しかも、ここ教室やで!興奮を抑えて宮は「なに?」と首を傾げる。申し訳なさそうな顔をした彼女は宮に向かって手を出した。宮も手を出して受け取ると、そこには小さなハンドクリームがあった。試供品のようだ。宮が驚いたように彼女を見上げると、彼女は眉を下げて困ったように笑っていた。
「これ。ハンドクリーム買ったときに、ついてきたの。量は少ないけど、今日の分はもつと思う」
「え、ええの?」
「うん、別にお金かかってないし。セッターは指先大切って、言ってたから」
「あ、ありがとう。使わせもらうわ」
「うん、じゃあ」
「うん」
自分の席に戻って行く彼女の後姿にうっとりしそうになった宮は気合で顔を引き締めた。
「侑?侑……名字さんのこと嫌いなんか?」
「なんでや!嫌いやない!」
「せっかくハンドクリーム貰ったのに、そないに怖い顔しとったら誤解されるで」
宮はせやせやと頷き合うクラスメイトたちを睨んで、またスマホに向き合うことになった。ぶるぶると震え続けるスマホに【嫌いやないから!好きやから!】といった内容が並んでいることに気付いた彼女は慌ててlineの設定をし直した。
その日の夜。
「名前なんで返事くれんかったん!?」
「授業中はスマホ触っちゃだめだから」
「せやけど、俺授業に集中できへんかったし」
「それに他の人の言葉より、侑くんの言葉の方が信頼できるから」
「マジで」
「マジで。あ、ごめん、これから見たいドラマ始まるから、切るね」
「え、名前」
「え、何か用あった?」
「ないけど」
「うん、じゃあ、おやすみなさい侑くん」
「おおん……おやすみ、名前」
俺はドラマより下なんやな……、とひっそり落ち込んでいる宮を知らずに、彼女はドラマを楽しんでいた。
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