V


 木葉は一番に部室に来て、項垂れていた。ショックだ。俺は汚れている。同意もなしの、キスとか最悪でしかないだろ。あのとき、なぜ名字にキスしてしまったのかと、言われたら『可愛かったから』という確実に捕まる理由しか挙げられない。薄々分かっていたのだ。盗み聞きした辺りぐらいから、木葉は彼女のことが気になっていた。自分の知らないところで、誰かに優しくされる。それも、彼女は木葉の優しさを汲み取ったように、女の子のことも気にかけてくれた。木葉のことが好きなら、その女の子に嫉妬をしたっておかしくない。そこまで、考えて木葉は首を傾げる。まるで、パズルのピースがハマるように木葉の思考回路が動き始めた。今ならどんな難解な事件も解決できそうな気分である。

 木葉は中学の頃から、ずっとオロオロしている名字のことを知っている。人と関わることが苦手でも、彼女は優しくていい人だ。部活組が大会で忙しく文化祭や体育祭の準備に迷惑をかけても、嫌な顔を一つしなかった。彼女は放課後に残って暗くなるまで作業をしたり、振り付けを丁寧に教えてくれたり、良い人だ。だいたい残ってくれる人ーって言うと、名字さん居たんだよな。いつか、二人でパネルの作業をしているときに、訊いたことがある。

「名字さんさ、こういうのイヤにならない?」
「イヤって?」
「こう、もう投げ出したい!みたいな……地味な作業とか辛いじゃん」
「うーん……、でも誰かがやらないと、終わらないから」

 彼女は淡々とちぎった折り紙をペタペタと貼っていく。木葉の担当部分よりも、広い範囲のはずが既に終わろうとしていた。それに気付いた木葉も、焦って作業に戻りながら彼女への感心が高まった。

「名字さんすごい」
「ええ」
「そんなこと中々言えないと思う」
「でも、木葉くんもいつも助けてくれるよ」
「え?」
「いつも私がオロオロしてると、気付いてくれるから」
「大したことじゃないよ、あんぐらい」
「私には大したこと、だよ」

 ときどき彼女は俯き加減になって、声も小さくなる。木葉は聞こえていたのに、わざと彼女の顔を覗き込んだ。ほんのりと、と頬を赤くした彼女が驚いて、顎をひく。「ごめん。聞こえなかった」ととぼけたフリに引っかかった彼女は目を少し泳がせて、唇を開いた。

「わ、私には大したことだよ、って言った」
「……そっか」
「うん、だから木葉くんには感謝してる」
「やめてやめて、マジで照れる」
「木葉くんも照れるの?」
「名字さん俺を何だと思ってんの」

 かわいいな、名字さん。癒しだ。木葉がわざと眉を下げると、くすくすと彼女は楽しそうに笑った。……なにが、可愛いな名字さんだ、バカ野郎。あの頃の、木葉は一人の女の子としてと言うよりも、彼女の素直さが幼い妹のようで、可愛かったのだ。妙に名字さんが懐いてくれていると思ったら、もう、あの頃から名字さんは俺のこと好きだったのかもしれない。俺のことが好きだから、俺と他の女の子のキスシーンを見て、あんな顔をしたんだ。不快と言うよりも、嫉妬。

 しっくりする言葉を見つけて、木葉はぞくぞくとした。やばい、俺気持ち悪いかも。すっげえ、今興奮してる気がする。名字さんが俺のことで、嫉妬してるの、嬉しいって思ってる。俺名字さんのこと、好きじゃん。木葉は両手で顔を覆ったまま倒れた。床が冷たい。かわいい。名字さんかわいい。顔を覗き込んだときとか、恥ずかしそうにするのとか、好きだったわー。つい、覗き込んじゃうもん。キスしたいくらい、可愛かった。

「ちげーよ、キスしたいじゃなくて、キスしちゃったんだよ」
「あの噂本当だったんスか」
「うわあああ」
「お疲れ様です」

 ふと入ってきた他人の声に驚いて、木葉は悲鳴を上げた。ばっくんばっくん、とうるさい心臓をおさえながら、木葉が顔を上げるとブレザーを脱いでいる後輩と目が合った。

「お前かよ、赤葦」
「はぁ……。で、どうしたんですか」
「いや、え、何でもねぇよ」
「あの木葉さんって今付き合っている人いますか」
「は!?話飛びすぎだろ」
「クラスの女子に訊いて来いって言われたんで」
「えっ、俺のこと気になる子がいんの?」
「みたいッスね」

 赤葦の言葉に木葉は単純だと分かっていても、自分のテンションが上がるのが分かる。女の子からの好意は嫌いじゃない。むしろ、好きだ。嬉しい。でも、何かを求められる好意は難しい。求められても、応えられない。それは申し訳ないこと、だと思ってしまう。俺は優しいとかじゃなくて、ただの八方美人なのかなぁ。ときどき、優しいってことが何なのか分からなくなる。なるべく、誰も傷付けたくない。そう思ってしまうのはダメなことだろうか。木葉は体操座りをすると、膝に顔を埋めた。普段と違って、テンションが上がるだけでなく、複雑そうにしている木葉に赤葦は首を傾げる。でも、まあ、木葉さんって色んなことに気付く分、色んなことを考えている。普段バカやったりする癖に、木兎さんみたいに羽目は外さない。俺のことも気にかけてくれるし。その気にかけ方も上手いんだよなぁ。恩着せがましくないっていうか、木葉さんは優しい。

「木葉さん好きな子いるなら、それとなくかわしときますよ」
「エッ」
「キスしちゃったぐらい、好きな子居るんでしょう?」
「う、噂とは別の子だからな!?」
「……木葉さん二股は良くないと思います」
「ちげぇよ!」



「はぁ〜!?木葉にキスされたぁ!?」
「しー!声大きい」
「ご、ごめん」

 彼女は放課後に部活がない友達を引き留めて、今日の出来事を打ち明けていた。友達は頬を赤くして興奮したように、頬をおさえて「きゃ〜」と声を上げる。彼女は友達の太ももに頭を預けて、寝転び始めた。使われてない体育館のステージの上は静かで冷たかった。友達はバスケ部で、その自主練に付き合う予定だったが、恋愛の話に切り替わりそうだ。

「で、付き合ったの?たんだよね?」
「ううん。キスされて、そのまま木葉くんどっかに行っちゃった」
「はぁ!?」
「ねえ、私もはぁ?って感じ」

 彼女は拗ねたように友達の太ももに頬を押し付けて、唇を尖らせた。意味が分からない。好きな人にキスをされたのに嬉しくない。好きな人と他の人のキスは見ていて、不快で頭が嫉妬で狂いそうだった。苦しくて、気に入らなくて、何処にぶつけていいか分からない苛立ちに支配される。でも、好きな人にキスをされても分からなかった。いや、好きな人の気持ちが分からないのに、キスをされても嬉しくなかった。あのフラれた女の子は両想いではない、キスをしてどんな気持ちだったんだろう。あの先輩は幸せだったんだろう。あの頃の先輩と木葉は間違いなく両想いだったはずだ。

「もぉ〜訳わかんない」
「お〜名前よちよち〜」
「片思いやめたい」
「……よし、言ったな?」
「え?」
「かおりちゃんに連絡して、いつバレー部終わるか聞いてあげる」
「え」
「当たってこい!」
「えー!?」



 彼女はスマホゲームに夢中な友達の腕に抱き着いて、ひたすら木葉を待っていた。部活終了時刻になっても、木葉は部室から出てこない。ましてや、体育館から出てこない。痺れを切らした友達がバレー部の体育館を覗き込んで、かおりちゃんに声を掛けに行くという荒業に出た。すごい……、真相を確かめに行く自分がこんなに人任せで大丈夫なのだろうか。彼女がもんもんとしていると、体育館の中からひょっこり、と雀田が顔を出した。どこか不機嫌そうだ。れ、練習の邪魔をしてごめんなさい。雀田は怯える彼女に気にせず、彼女の肩を抱いてきた。

「かおりちゃん?」
「ごめん。うちの部員が迷惑かけて……」
「いや、そんなっ、こちらこそ巻き込んで……申し訳ないです」
「すぐ木葉の野郎呼ぶから、あそこの渡り廊下で待ってて」
「は、ハイ」

 雀田の気迫に押され気味の彼女は大人しく頷いて、言われた通りに渡り廊下へ向かった。


 とてもドスのきいた声に木葉が振り向けば、怖いを顔をしたマネージャーがいて木葉は身体を小さくする。ずんずんと木葉へ迫って来て、そのまま胸倉をつかまれた。周りの部員は「何したんだよ、木葉」と笑っている。完全に面白がっているのだ。当の木葉は心当たりもなく、眉を下げて「なんですか」と尋ねることしか出来ない。

「昼休み、準備室」
「エッ、なんで知って」
「とにかく渡り廊下行ってこい。待ってるから」
「!」

 誰が、なんて言わなくても、訊かなくても分かる。木葉は背中に伝う汗が酷く冷たく感じた。彼女がどんな思いで来たとしても、一つの覚悟を決めないといけない。表情を引き締める木葉の背中を雀田は豪快に叩いた。不意打ちを喰らった木葉は一歩二歩と歩いて、衝撃に耐える。涙目で振り向くと、行ってこいと頷かれた。雀田なりのエールらしい。

「あ、あざっす」
「泣かせたら怒る」
「……勘弁してください」


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