気がかり・前編
「…」
真っ白の画面を睨んで、頭をかいた。
PC用の眼鏡を外して、目を瞑る。
自然に思い出すのは、泣くのを我慢する隣人の小さな生き物の顔だった。
結局、あの日は気まずいまま別れたし…。
テーブルの上に広げたルーズリーフを片付けて、俺はケータイを手に取った
***
扉が開くと、マスクをした彼女が顔を出した。
「…風邪?」
こくり、頷きで彼女は返してきた。
まさか喉を痛めて話せないのだろうか。
「ドライブ…また今度にした方がいいな」
「…」
嫌らしい。
ふるふる、と首を横に小さく振る彼女を見下ろして、
俺はため息をつく。
「わかった。行こう。
でも、少しでも悪化したらすぐ帰るぞ」
「うん」
やっと聞いた彼女の声は少し掠れていた。
親から譲り受けた車は大きくなく小さくもなく、
なんだかそこら辺の主婦が使っているような車だった。
車にそこまで興味も、拘りもないので、走りれればいいが。
いっそのこと、金のことを言えば軽でもよかった。
「…」
マンションの駐車場に着いて、彼女はいくつか止まっている車を
見つめて俺を見上げる。
「一番端のやつ」
俺が先に歩き出すと、後ろをついてくる。
「?」
助手席のドアを開けようとする俺に彼女は首を傾げる。
俺はドアを開けて、死ぬほど無表情の自分の顔に自覚しながら、
口を開く。
「レディーファースト」
「…!」
マスクをしている所為でいつもより表情が分かりにくい。
唯一見える目元が驚いたように、目を丸くして俺を見上げた。
「乗らねぇの?」
「…ありがとう」
ぶんぶん、大きく首を横に振った後に、小さく目を細めて小さな声が
くぐもってマスク越しに聞こえた。
「どういたしまして」
「そんな風に見られると、やりにくい」
「…」
助手席に大人しく座っているものの、視線だけは興味深そうに、
ミラーやハンドルの角度を確かめる俺を見つめてくる。
文句言うと、彼女は申し訳なさそうに困った顔をした。
「まあ、いいけど。ちゃんとシートベルトしとけよ」
「…」
こくり、と彼女は初心者マークを見つめながら、強く頷いた。
俺は何となく癪に触って、そんな彼女を小突いた。
大げさに頭を押さえる彼女を鼻で笑いながら、
俺はエンジンをかけた。
***
「…無理せず、寝てもいいぞ」
ぐらんぐらん、隣で揺れる頭に向かって声をかけると、
…むくりとでも言うように、ゆっくりと顔が上がる。
乱れた前髪から眠そうな目が覗いている。
んーんーんー
貞子か、お前は。
「おい、唸るな。怖い」
ぽすんぽすん、と間抜けな音がした。
その後彼女が下に潜ったかと思うと、すぐに戻って
椅子の上で膝を抱えて、頭をそこに埋めると寝だした。
「…」
丁度信号だったのにも関わらずに下に彼女が頭を突っ込むものだから、
俺はいつもより早めにブレーキを踏んで、なるべく振動がないように止まった。
横目で彼女を見ると、深い赤い髪が彼女の白いダッフルに
散らばっていて、彼女の無防備さに少しだけ呆れる。
無意識に近い形で彼女の頭を撫でていた。
手に馴染む柔らかい髪も、温かい頭も嫌いではない。
風邪悪化しないといいんだけどな。
時計に目をやると、10:59とあった。
微妙な時間だな、どうするか。
回していたハンドルを元に戻して、エンジンを切る。
未だに体操座をしている彼女の肩を叩く。
「名前…」
「ん…?」
「ついたぞ。起きろ」
「んんん」
もぞもぞ、と動き出した頭にもう起きるだろうと、頷いて、
俺は車から出る。
そして、助手席の方へ回ってドアを開ける。
そこには、もこもこした…確かムートンブーツを履くのに
手間取る彼女が居た。
ああ、下に潜りこんでいたのは靴を揃えていたからか。
「…あ、ごめん」
「いや、ゆっくりしろよ。転んだら危ないだろ」
こくり、と頷くのを確認して、俺は周りを見渡す。
平日だからか、サービスエリアにはあまり人は居なかった。
昼は何がいいだろうか。
一応春だが、まだ寒いしな。
ラーメン・・・はこないだ食ったしな。
うどんか…?
そんなことを考えていると、袖を引っ張られる感覚がして、
俺は視線を下げる。
彼女が靴を履けたらしい。
両足をきちんと合わせて座っている。
「じゃあ、行くか」
「…」
彼女は俺の袖から手を離さないまま、車から降りた。
「…」
「…」
俺は彼女がドアを閉める音に意識を戻して、車にロックをかけた。
彼女に視線を送るが、彼女も負けじと俺に視線を送る。
離させないのか?
離さない
みたいな会話が視線でやった気がする。
「…昼飯なに食う?」
「うどん」
「…」
「…」
首を傾げる彼女が咳をした。
ああ、彼女は風邪をひいていたのだ。
別に俺と同じことを考えたとかではなさそうだ。
うどんとおかゆは身体の弱い彼女にとっては
主食のようなものらしい。
***
唐突に彼女が口を開いた。
「…ちひろさんは…私との関係なんだと思ってる?」
「…」
鼻をかみ過ぎたのか、鼻の頭を赤くしながら、
うどんをすする彼女を見つめる。
俺の箸から、うどんがずるり、と落ちた。
あ、汁飛んだ。あつい。
「……隣人?」
「りんじん」
彼女は一度繰り返すように、呟くと、
どこか嬉しそうに頬を緩める。
「…急になに」
「ううん、今日さ…車乗るときにレディーファーストって言ってくれたでしょ」
「ああ、お前ちゃんとドア開けれるか心配だったから」
心外だとでも言うように、彼女は眉を顰めた。
「…そういうことか。なんだ、がっかりした」
彼女はおしぼりで口元をおさえて、頬づえをついた。
こら、食事中に肘をつくな。
「…私さ、たぶんなんだけど、黒子くんとかタツヤとか
たいが以外の同年代の男の子と並んで歩いても妹に見られると思うの」
「…」
「私これでも、十六歳なんだよ。結婚もできるし」
不満を呟く彼女の視線の先には
リア充が居た。
「…好きな奴でも居るのか?」
「ううん、居ない。…ただ私のお兄ちゃんは大我やタツヤだけなの。
それ以外の人は友達であっても、お兄ちゃんじゃない。
…友達っていう対等な関係なはずなの。必要以上に過保護に扱われても困る」
彼女は頬づえをついたまま、視線を彷徨わせ、最終的には頭を抱えそうになっている。
「なんか、分かんないの。
子ども扱いと、身体が弱い子っていう扱いの境界線の違いが…、
…みんなね、私の頭を撫でたがるの。それこそ初対面とかそういうの関係なく」
「…でも、嫌いじゃないんだろ?」
以前彼女はそう言っていたはずだ。
「うん、そうなの。嫌じゃない…でも、
そうやって受け入れるってことは、子どもっぽいの認めるみたいで嫌だとも思うし…、
大我は撫でられても、別にそんな風に捉えられないのに」
「そりゃあ…」
火神を思い浮かべる。
俺よりでかくて、鋭い目つき…。
アレが撫でられて、弟扱いされる…?…俺の想像力じゃあ、ちょっと厳しい。
はっきり言って、見た目だけの印象なら関わりたくないな。
「…てかさ、何で俺にそういうの話すの?」
「…え」
「まさか、俺以外に話せる友達いないとか?」
皮肉に笑うように言ったつもりだったのに、彼女は目を見開いたまま固まってしまった。
「…悪い。俺が悪かった。頼む、泣くな」
「泣いてないし」
おそらく羞恥心で頬を赤く染めている彼女は、
顔を見られないよう俯かせながら、俺を下から睨み上げるように見つめてきた。
「…うどん」
「…」
「冷めるとまずいだろ。とりあえず、食うか」
「…うん」
項垂れる頭に罪悪感を感じながら、俺はこの後どうすか思考を巡らせた。
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