兄妹ケンカと仲直り
小さい頃、私はあるものと、ある人が嫌いだった。
アメリカに転勤して、親友の綾と離れ、環境の違い、そんなストレスで、私は日本に居たときより、身体を崩しやすくなった。
そして、ある日を境に大我とケンカすることが多くなった。
「…う、うわああああん。」
「…。」
頬がジンジンして熱い。
大我は戸惑った顔で、拳を握ったまま固まっていた。
私はすぐ泣いた。
涙腺が緩いのかもしれない。
「…大我のバカバカバカ!バスケなんてただのボール遊びじゃないっ!
そんなくだらないことしてる、辰也って人もどうせ大したことない癖にっ!」
「バスケをバカにすんなっ!辰也のことも悪く言うなっ!」
泣き散らして、髪を引っ張って、頬を抓って、殴り合う。
手加減なんてそんなことしない、出来ない。
だって、許せない。
でも、力が違いすぎる。
子どもという生き物は、非常に無邪気ゆえに、力加減が出来ないのだ。
大我は辰也という男の子に、バスケを誘われてから、バスケに夢中になって、外に出る回数が増えた。
今までだったら、ベットで寝ている私の横で、傍に居てくれたのに。
最初はへえ、楽しいんだ。よかったねぇ。と、笑っていた。
だが、大我は私を置いてバスケをしに行ったのだ。
今までなら、熱を出した私を置いて行くなんてありえなかった。
大我は一番に私を心配してくれて、一緒に居るのが楽しいって言ってくれた、思ってくれた。
なのに、大我は辰也との約束を優先して、私を置いて、バスケを楽しんで来たのだ。
私は我慢出来なかった。
どうして?
今までだったら、そんなことしなかったのに。
バスケも、辰也っていう男の子も、嫌い、大嫌い。
大我を私からとって行くんだ。
私を置いて、一人にする大我も嫌い、大嫌い。
*
「あれ?タイガどうしたんだい?」
「何が?」
「そのほっぺの傷だよ。猫にでも引っ掻かれたの?」
「…あー、名前にやられた。」
触れると、地味にヒリヒリした。
昨日のことを思い出すと、ふつふつと静まりかけた怒りが思い出されて、眉を顰めた。
「名前?…タイガのガールフレンド?」
「ち、ちげぇよ!妹!双子の妹!」
「へぇ、タイガ妹なんて居たのか。かわいい?」
「…可愛いくねぇよ。辰也とバスケのこと悪く言うし、あんな奴嫌いだ。」
「え、俺?」
「昨日ー」
俺は我慢出来ずに、口を開いた。
「辰也のこと知らない癖に、ひでぇこと言うんだ。」
「…なるほどねぇ。」
辰也は考えるように、目を閉じた。
「うーん…でも、女の子に手を出すのは良くないよ?」
「あんなん女じゃねぇよ。」
*
*
「あら、大我おかえり。」
「あれ、母さん帰ってたのか?」
「うん、名前が熱出して、いつもより酷いみたいで…。」
「また出したのか、アイツ。」
俺は少し、うんざり気味に言った。
「大我はバスケしてたの?」
「おうっ!」
「楽しそうね。」
「めっちゃ楽しい!」
「そう、いいことね。」
母さんは笑いながら、俺の頭を撫でた。
その母さんの笑い方は変だった。
笑ってるのに、泣いているみたいだったから。
「母さん、何か悲しいのか?」
「え、どうして?」
「悲しそうな顔してる、ように見えたから。」
「…悲しいわけじゃないの。ただね、名前も大我みたいに元気な子に生んでやりたかったなぁって。
大我みたいに外で遊んで、友達も作って…欲しいのよ。
でも、母さんが元気に生めなかった所為で、名前はいつも部屋に一人ぼっちで、寂しい思いさせてる…。」
母さんの目から、涙が流れた。
「…悪くない。母さんは悪くない。」
「…大我、ありがとう。大我は優しい子ね。」
母さんが笑う。
けど、やっぱり笑い方は変だった。
*
母さんは名前のために、プリンを買ってくると言って、出かけた。
(プリンは名前の大好物だ。)
考えたことがなかった。
俺は走っても、泳いでも、別に倒れたりしない。
時々風邪はひくけど。
俺にとって、それが普通だから。
でも、名前にとっては普通じゃないんだ。
俺みたいに学校に行って、授業を受けて、放課後は友達とバスケして、…そんな当たり前なことが、名前は出来ない。
俺が過ごしている間に、名前はずっと部屋で一人で過ごしているのか。
…それって、すごく寂しいことじゃ…
コンコン
名前の部屋の前を通ると、咳の音がした。
鼻を啜る音もした。
(泣いてる…?)
「いた…母さん…どこ…?
あたま…いたいよ…おかあーさん…居ないの?」
カラカラに掠れた涙声が部屋の中から聞こえる。
俺はドアを開けた。
「おかーさん?」
「名前…」
「たいが…おかーさんは?」
「プリン買ってくるって。」
「…いないの?」
「うん。」
冷えピタをつけたおでこ。
目も、鼻も、頬も、赤い。
頬は何度も涙が流れた後が見えた。
「……出てって。」
「はぁ?」
「風邪うつったら、バスケ出来ないでしょ。…出てって。」
名前は寝返りを打って、俺から顔を背けた。
「…行かない。」
「…たいが?」
「頭痛いか?」
「…うん。」
頭が痛いと言われても、正直どうしていいか分からなかった。
俺はとりあえず、名前の頭を撫で続けた。
*
「タツヤ?」
いつものようにコートでバスケをして、休憩をとっていたとき、タツヤが目を瞑っていた。
呼んでも、返事がなかった。
すぅすぅと寝息がした。
(・・・寝てるのか?)
ふと、名前を思い出した。
小さい頃から、身体が弱いから、部屋で寝ている事が多い。
でも、本当に目を閉じて寝ていることが多いんだ。
名前は青白い。
体調が良いと、俺より白いぐらいだけど。
目も、口も、閉じて、ただただ眠る。
特に、貧血なんか倒れた時の顔は嫌いだ。
死んだみたいで。
…もう目覚めないんじゃないか、って怖くなる。
今も名前一人部屋で寝ているんだろう。
外に出たのはいつだっただろう。
俺の元気が名前に分けてやれればいいのに。
「タイガ?」
「タツヤ、起きたんだ?」
「うん、ちょっと昨日夜更かししちゃってさ。」
*
私はアホだと思う。
また、同じようなことでケンカをした。
…いや、一方的に大我を困らせた。
ぶっすー!と膨れる私に大我は頭を掻いて困った顔をした。
「行きたいなら、行けばいいじゃん。」
「いや、でも、名前」
「べっつにー?熱なんていつものコトだし、大我は楽しくバスケしてこればー?」
私がそう言えば、大我は傷ついたような顔をしてゴメンと呟いた。
「ごめん。名前はいつも部屋で一人寂しいのに、俺ばっか、自分の好きな事してごめん。」
威勢のいい、短気で、うるさい大我はどこへ行ったのか。
こないだから困った顔をして、ごめんと呟く。
違う、違うよ。
謝らないといけない方は私の方なんだ。
いつも謝らなきゃ、って思うのに、私は不機嫌な顔をして大我を責めてしまう。
それは、大我が羨ましいから。
大我は普通の身体だから、外に出れば友達が居て、遊びに行けて、好きなバスケが出来て…私はそんな大我が羨ましくて、妬んでしまう。
部屋の中で過ごして、部屋と一体化してしまいそう私。
やっと外に出れたと思ったら、視界がぐらぐらと揺れて、ここまでだと言われるかのように、暗くなっていく視界。
そんな視界の中で、心配そうな顔で私の名前を呼ぶのは大我と両親だ。
(ごめん、ごめんなさい。…私のせいで、またお出かけ台無しにしちゃった。…ごめん、ごめんね、大我。)
暗い視界に微かな光が入る。
音が近くなって、正確に聞こえる。
(たいが…大我、…あのね、お出かけごめん。今日大我の、行きたいハンバーガー屋さんだったのに、ごめん。)
「…めん。…たい、」
「名前!名前!おい!…名前、起きたか?」
「…んー…?あ、れ…大我?」
「ここは家だ。もう大丈夫だからな。具合はどうだ?気持ち悪いか?」
「…うん、だいじょうぶ、だよ。」
「そ、そっか。」
大我は一番最初に私が居る場所を教えてくれる。
以前倒れて目を覚ました時、誰も居ない白い部屋で、大泣きしたことがある。
病院に運ばれて、両親が医者と話していて席を外していたそうだ。
あのときの恐怖を今でも覚えている。
恐怖なんて、大げさだと思われるかもしれないが、幼い私にはとても怖い経験だったのである。
目を覚ましたら、見たこともない部屋、嗅いだこともない匂い、家とは全然触り心地が違う布団、
…何も知らない空間に一人で放り出されるのと幼い私にとっては変らなかった。
それから、大我は私が目を覚めたら第一に私が居る場所を教えてくれるのだ。
一番目を開けて、安心する瞬間は大我の顔。
でも、安心と同時に罪悪感が生まれてくる。
目を開けて、視界に入ってくる大我の顔は、心配と不安が入り混じって、物凄く泣きそうな顔で名前と呼ぶから。
最初はなんで、大我がそんな顔をするのか分からなかった。
大我は何も感じないのに。
熱を出して、頭痛とか、咳とか、また貧血で立ちくらみしたり、そんな苦しみを味わうのは私、本人なのに。
どうして?大我がそんな顔をするの?
私は大我が熱を出すまで、分からなかった。
*
「大我?だいじょうぶ?」
「…ん、あったまいてぇ…われそう…」
健康的な大我の頬が赤く染まって、いつもより息も荒い。
私は大我の頭を撫でた。
でも、大我は顔を痛みで歪めたままだった。
その顔を見ていたら、私も頭が痛い気がしてきた。
大我は痛みに我慢出来ずに、泣いた。
何故か、私も泣いた。
(ああ、…そっか。)
大切な大切な、家族の、私の、たった一人の、お兄ちゃん。
そんな大事なお兄ちゃんが泣いてる、苦しんでる、…平気な訳ない。
平気で居れる訳ないよね。
大好きなお兄ちゃんが泣いてる。
痛いって言ってる。
「…大我、大我。」
「名前…」
大我の胸のあたりに抱きついた。
「大我…そうだよね。」
「…?」
「大我が苦しいと私も苦しいよ。泣いてたら私も泣いちゃう。痛いって言うなら、私も痛い。」
「…俺もだ。…名前が熱出して、苦しい、なら、俺も…苦しい。」
このとき、私は初めて分かったんだ。
大切な人の喜びや苦しみは、全部背負ってしまうものなんだと。
*
寝がえりを打って、大我に抱きついた。
大我が熱を出した時のように。
「…大我、大我。」
「うん?」
大我は結局バスケに行かなかった。
私とお昼寝をしてくれた。
「大我はバスケ好き?楽しい?」
そんな質問をすると、きょとん、として、大我は笑顔で言う。
「すっげぇ楽しいし、大好きだっ!」
「ふぅん。」
「…あ。」
私の答えが素っ気ないことに、大我は気まずそうにした。
昼寝する前と同じ、空気が流れた。
「私身体弱くて良かった。」
「…な、なん、で。」
「私、バスケ嫌いだったの。
私から大我をとったから。
大我私のコト置いてきそうだから、怖かった。
バスケに夢中になって、私が熱出しても、倒れても、もう助けにも、心配もしてくれなくなる、かもって。
そう思ったら、大我にあんな酷い言葉言っちゃった。
ごめん、大我。
でもさ、もし大我が身体弱かったら、バスケ出来ないじゃん。
バスケ好きな大我見るの好きだよ、私。
楽しそうな顔の大我好き。
だからね、私身体弱くて良かった。
今まで、ごめんね。酷いコト言って。」
一気に言いたい事を言ったからか、少し酸欠気味になった。
大我はぎゅうって私を抱きしめた。
「ばっかじぇねぇの。
俺がお前を置いてく訳ねぇだろ。
寧ろ、お前のがどっか行きそうな癖に。
たくさん話してぇことあっても、寝てばっかだし、…人が死ぬ時は寝る時と変らねぇんだ。
時々、怖い。
このまま、お前が目覚めないんじゃないかって、すっげぇ、怖い。
でも、絶対お前は俺が守る。
兄貴だから、お前は大事な俺の妹だから。
…あと、ありがとな。」
普段あまり素直にならない、大我の言葉にが嬉しくて、でも、心配掛けてごめんとも思って、
気付いたら、泣いて居た。
大我は慌てて、私の頭を撫でて、抱きしめてくれた。
それでも、泣きやまない私に、おどおどして、仕舞いには二人で大泣きした。
*
「ねえ、今思うと、私ってすごく優しくない?ねえ、兄思いの妹だよね?」
「そのビデオ見るたびに、自分に酔うのやめろ。」
たいがが作ってくれた、ハンバーグを食べる。
うむ、美味。
日々料理の腕上げてくなぁ。憎たらしい。
「でも、まさかお父さんが盗撮してるとは…。」
「…だな。」
あの日のお昼寝謝罪事件は、今でも覚えているし、ビデオとして残っている。
お父さんはかなりの親ばかだ。
イベント行事になると、かならず何かが送られてくる。
でも、仕事大好き人間だったりする。
「…なぁ、これマジで着んのか?」
「…そりゃあ、せっかくお父さんが送ってくれたんだから、着て写真ぐらい送り返そうよ。」
私は段ボールから、トラのパジャマと子猫のパジャマを取り出した。
「ハロウィンだろうねぇ…過ぎてるけど。」
「…過ぎてるよな。」
prev もどる next