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真緒はその日生徒会の業務を片付け、副会長である敬人と打ち合わせを終えて生徒会室を出た。外はすっかり暗くなっていて、廊下に人気はなかった。春先で少し空気が冷えていて、真緒の頬を冷たい風が過った。それが今の真緒には心地よかった。
目の前の仕事を片付けて、夢中になって。考えたくないことが山ほどあったのだ。
これからの自分のこと、仲間になる紅月、DDD。生徒会長からの提案、真のこと、北斗のこと、スバルのこと。
―――紅月に勝ったあの日のこと。
少し気を緩めてしまうと脳裏に過るあの日のライブ。真緒はあの日、誰でもない自分がステージに立ててよかったと思った。気分が高揚して、体のどこかしこが熱を持っていた。ステップを踏む足も、手の振りも、自分の歌声ですら何一つセーブできない。ふと視線を横に向けると必死に自分と同じステップをぎこちない様子で踏む真がいて、はじける笑顔を見せていた。真緒の斜め前には北斗がいて、力強いダンスと歌声で皆を引っ張りながら、普段見せない興奮した表情をしていた。飛び出すようにアドリブを入れて地面を力強く蹴ったスバルはこれでもかというほど大きな跳躍を見せる。
あの瞬間を、全員が楽しんでいたのだ。
生徒会長からユニットの解散を言い渡されたとき、真緒は昨日の出来事は夢だったのだろうかと思った。自分たちの進退をかけたらいぶだったというのにこの上なく楽しかったのは、至福の時間だと思えたのは夢だったからなのではないだろうかと。夢の縁から突き落とされて、現実を突きつけられて。
「悪くない提案だと思う」
そう言ったのは、夢だと割り切りたかったから。夢を追って傷つくのが怖かったからだ。真緒はあの日のことを思い出すと胸の奥がちりちりと焼けるような心地になった。気持ちと思考が分離して、身体が避けてしまいそうだったのだ。
音のない廊下は、今は通りたくない心地がした。踏み出せば夢の現実の境界が分からなくなりそうで。
真緒は深く息を吸ってようやく歩き出した。するとくい、と制服の裾を引っ張られる。あまり強い力ではなかったようで、すぐにその感覚はなくなった。その代わり、しばらく聞いていなかったように思う、いつもより覇気のない声が自分の名前を呼んだ。
「真緒」
小さい声で、名前を呼んだのはここにいるはずのないなまえだった。驚いた真緒はなまえの腕をつかんで廊下生徒会室からすぐ離れた。昇降口に抜ける階段脇の角を曲がるとようやくなまえのほうを見て慌てたように極力小さい声でなまえを問い詰めた。
「お前なんでこんなところに!
捕まるかもしれないだろ!」
「渡したいものがあって」
「だからって…」
真緒はため息をついて視線をなまえから外す。もう無関係だ、そう頭の端で思っていても見過ごすことができなかった。英智からの提案を受けたときになまえはその場にいなかったがきっとあんずから連絡がいっているだろう。ユニットを捨てて紅月に入るといった手前、真緒はなまえの顔をみることができなかった。なまえは真緒の名前をもう一度呼ぶと彼の胸に押し付けるようにしてCDを渡した。
「これ、聞いてほしい
…ううん、歌ってほしい。みんなで」
なまえが言うみんなが紅月ではないことは、わかっていた。受け取ることもできずに、真緒はなまえに言葉を返せずにいた。受け取ろうとしない真緒になまえは唇をかんで強くCDを押し付けた。そして上擦った声で訴えかけるように声をあげる。
「私は、あの日のこと夢で終わらせたくないよ」
「なまえ、」
「確かに、夢みたいなステージだったけど…まだ、スタートじゃん」
これから、四人でもっとたくさんのステージを、夢を現実にしてほしいんだと。なまえの瞳は、真緒を映していた。瞳に映った真緒の顔はその言葉にすぐ返そうとしていた。
「――俺だって、」
「衣更?」
廊下の向こうから聞こえた男の声になまえはとっさに真緒から離れて階段を走り降りて行った。かしゃん、と薄いケースに入ったCDが落ちる音がする。真緒はそれをしゃがんで拾い上げると、中を開けて壊れていないか確認した。割れていないことを確認すると、自分がほっと息をついたことに気付く。
「…なんで」
「まだ残っていたのか」
「あ、」
「もう遅い、帰ったほうがいいぞ」
廊下の向こうから現れた敬人に真緒は「はい」と短く返すと持ったままのCDをカバンの奥に詰め込んだ。壊れないように。そっと。
「あの曲さ、あんずとなまえで作ったんだってな」
Knightsと対戦する直前、まっすぐ相手のユニットのパフォーマンスを見つめながら真緒はあんずに話しかけた。あんずは視線をそのまま舞台に向けて、うんと返事をする。
「聴いたらさ、あの日のライブを思い出したんだよ」
いや、思い出したってのも違うかも。
そういう真緒は少し言葉にするのが難しいといった様子で、普段器用な彼が言い淀んでいるのが、あんずにはどこか珍しいように感じた。真緒は丁寧に、伝えたい言葉を選んで紡いでいく。
「あの曲は、俺たちの歌だったんだよな」
なまえがメロディをかいて、それにあんずが歌詞をつけて。歌詞を見て曲を聴くとあのステージが浮かんだ。隣を見れば仲間がいて、ペンライトの光の向こうにあんずたちがいた、あの時。
「俺たちじゃないと歌えない」
真緒は敬人が言った言葉を思い出す。不器用な副会長は、真緒の迷いを感じて背中を押した。「自分にとって一緒に泥をかぶっていい奴は誰か」その問いかけに、真っ先に浮かんだのはスバルたちだったのだ。あの四人で、この曲をステージで歌いたい。
「あの歌、歌いたいんだ」
これから先、ずっと。
夢の続きを紡ぎたいのだ。
そう言って真緒はようやくあんずを見て笑った。「お前たちの気持ちにも応えたいからさ」と言った真緒にあんずは変わらない笑顔を見せた。状況は芳しくない。それでもスバルが真を連れ戻してくれると信じて、北斗がきっと戻ってくれると、ステージに四人で立てると信じて戦おう。あんずは力いっぱい真緒の背中をたたいた。真緒は驚いた顔をしていたがすぐに勝気な笑みを浮かべるとあんずにやりかえす。
「いっちょ踏ん張ってやりますか!」
小さくとも力強くともった明かりを、絶やさないために。