くしゃくしゃのチケット
その日、なまえはくしゃくしゃになったチケットを持ってある会場に来ていた。夢ノ咲学院の将来有望なアイドルたちが参加するフェス。それに参加するためである。作曲家としてなまえが担当したアイドルたちが出演することもあり、彼らからは見に来てくれと声をかけられていた。だが実際彼女が持っていたのはきちんと封筒に入った風のチケットではなかった。なまえには乱雑な側面があったが、彼女がもらったチケットを今の状態にしたわけではない。このチケットは担当したアイドルからもらったものでも、関係者として配給されたものでもなかった。というのも、譲り受けた時点からこの状態だったのである。
そのチケットがなぜなまえの手に渡ったのか、その過程を知るにためにはすこし時間を戻す必要があった。
その日、彼は廊下を走り、どこにいるともわからないなまえを探し回っていた。なまえにチケットを渡した張本人は焦っていた。なぜならその手に持ったチケットを入手するため時間がかかってしまったのだ。大きいフェスだけあって先行販売が多くある公演。アイドルの追っかけとして一人前となったなまえはすでにチケットを手にしている可能性があった。それに自分以外の参加アイドルがすでになまえにチケットを渡しているケースすらありうる。彼はなまえに約束を取り付けるでもなく、必要か否か聞く前にチケットを手配してしまった。本当に、無意識のうちに。
はた、と彼は足を止めてそのチケットを見た。強く握りしめていたおかげでむき出しのチケットはくしゃくしゃにしわを寄せていた。彼の眉間にも同じようにシワが寄る。なぜ自分はなまえのために走り回っているのだろう、と。
放っておいてもなまえは来るだろう。好きなユニットと、彼女が曲を作ったアイドルたちを見に。だがそれでは彼にとって意味が無い気がしたのだ。彼はかさ、とチケットのしわを伸ばすように指を這わせた。なまえにはこのチケットを渡さなければならい、と。
自分が用意したチケットで、
自分がよく見える席で、
自分の歌声を聴いて欲しいと。
「大神?」
やけに通る声でなまえが彼の名前を呼んだ。いつのまにか廊下で佇む彼、大神晃牙の背後に立っていたなまえはいつも通りの笑みを浮かべておはよう、と声をかけた。おう、と小さく返事を返す彼はすこし呆然とした様子でなまえの顔を見た。
「手出せ」
「え?なになに飴でもくれるの?」
「い〜から出せって」
「えっゴミとかならいらないんだけど」
恐る恐る出した手のひらに晃牙は握りしめていたくしゃくしゃのチケットを置いてすぐになまえに背を向けた。えっやっぱりゴミじゃんというなまえに心の中で舌打ちをしながら廊下を大股で歩く晃牙。
「それゴミにするかはてめぇで選べ」
「待ってってば、これって」
シワのついたチケットを伸ばしたのか、それを見たなまえは戸惑った。喉から手が出るほど欲しいチケット。しかもかなり前の席だ。行きたいと思っていたフェスのチケットになまえは瞬間的に喜んだ。だが関係者席の中でもかなりの良席になまえは困惑してしまった。それをゴミのように自分に押し付けて来た晃牙にも。なまえはとっさに晃牙の制服の裾を掴み呼び止めた。
「来るなら来い、絶対にその席で見ろ」
「どういう、」
「せいぜい見てアイドルのオベンキョウでもするんだな」
お世辞にも素直では無いその捨て台詞になまえは唖然としつつもそのチケットを胸元でぎゅっと握りしめた。耳まで赤くなった晃牙の後ろ姿を見送りながら、仕方がないなあと呟く。チケットのアテがなかったわけではない、ないが。
「今回はこれで我慢してやるか」
少し愛おしく思えたくしゃくしゃのチケットをかざしながら、困ったように笑った。初めて出会った時より晃牙の背中は少し大きく見えた。
「…はぁ」
なまえは公演が終わった後、用意された座席にしばらく座り込んでいた。大きなハコということもあってアイドルたちの気合は十分。掛け合いも力が入っていた。競うようなパフォーマンスと、その場を楽しんでいるアイドルたちの笑顔。もちろん招待されたなまえもイベントを楽しんでいた。中には度肝を抜かれるパフォーマンスがあったのだ。特になまえが一番驚いたのは、チケットを渡してきた晃牙のパフォーマンスだった。
UNDEADは過激な曲が多い中で女性をターゲットにした曲も何曲か存在する。それ故に女性ファンも多く、薫などは特に女性向けのファンサービスをするのだが。
『…愛してるぜ』
その言葉を発する直前まで、晃牙は観客を煽っていた。だがある一点を見つめすぐに背を向けて立ち止まり、静かにそう言った。普段の過激な晃牙の様子からは想像がつかないほど、やけに優しい声色だった。情感を込めたその言葉に、観客たちがあっけにとられたのか会場が一瞬の静寂に包まれた。すぐに女性たちの歓喜の声やざわめきが会場に戻り、晃牙は拳を掲げてステージに戻っていったの、だが。
「(目合った気がする)」
その後、涙を誘うステージや、素晴らしいパフォーマンスが続いたのだがなまえのまぶたの裏にはその光景が映り消えなかった。鋭い眼光は優しく伏せたまつげが和らげて、ただまっすぐなまえを、みていた気がした。激しいパフォーマンスのあと、上がる息を抑え、滴る汗を拭って、こちらを。
「大神もアイドルとして成長してるってことかあ」
なまえは退場していく観客を見ながら呟く。楽屋に挨拶に行って、招待のお礼を言って、最高だったと伝えよう。アイドルのお勉強ができました、と。きっと自分の成長を見ておけという意味、なのだろう。全く素直じゃないのだから、となまえはため息をついて妙に高鳴った胸の鼓動を落ち着かせた。いつも通り彼の煽りをからかってやろう、となまえスタッフに声をかけに歩き出した。
決死の晃牙の言葉もなまえには気付かれず、バックヤードで二人の取っ組み合いの喧嘩が始まることを、今は誰も知らなかった。