06
ギィ、と重い音を立ててドアを開く。アイドル科のセキュリティは厳重だとはよく言ったものだが、実際立ち入り禁止のところだろうが生徒たちは潜り込んで行く。屋上もその一つで、立ち入り禁止であるはずなのに生徒の出入りが絶えない。晃牙も真の特訓のために屋上を使っているし、彼のユニットの仲間であるサーフィン好きの彼はここにサーフボードを置いている。
無法地帯に近いそこに、晃牙は再び足を踏み入れた。下校時刻近いこともあって今は人の姿はほぼ見られない。彼はまっすぐと屋上のへりに向かって歩みを進め、うな垂れるように丸まった背中に声をかけた。彼女は晃牙を一瞥すると手すりを掴んで大きく背を伸ばした。
「よう、オオカミ少年」
「んだよ非行少女」
「帰ろうとしてたんじゃなかったの?」
「…まあな」
真の特訓も一通り終わり、自宅に帰ろうとしていた晃牙。だがふと見上げた屋上に見慣れた赤毛を見つけて渋々戻ってきたのだ。
返事をしたきり何も言わなくなった晃牙に、なまえは少し笑うと「ちょっと聞いてくれる?」と投げかける。晃牙はその言葉にも何も返さず、欄干に背を預けて腕を組んだ。なまえは晃牙の様子を見て、虚ろな視線を下校していく生徒たちへ向けた。そしてそっと目を閉じると、自分の心の中を解いていくようにゆっくり話し始めた。
「小さい頃アイドルのライブを見たの」
それも、近所の公園で。
なまえがちょうど10歳の頃。ピアノ教室から帰る帰り道だった。そこにははっきりとした原色の衣装をきて、マイクを握って歌い踊るアイドルがいた。夢ノ咲からそう遠くないところに住んでいたけれど、実際にアイドルのライブを見るのはそれが初めてだった。それも夢ノ咲のアイドルたちで、まだまだ駆け出しの生徒や、テレビで活躍している現役もいた。激しいダンスを踊りながら、息を乱さず、笑顔を絶やさない。ストーリー仕立てになっているライブの演出に子供だったなまえは心を鷲掴みにされた。
「すっごくキラキラしてて、見てるうちに夢中になっちゃって」
なかなか帰ってこないなまえを心配した父に少し怒られたけれど、怒られることそっちのけでそのライブの感想を家族に話したことを、なまえはまだ覚えていた。すぐにその日聴いた曲をピアノで弾くと母が褒めてくれたのだ。「アイドルの曲だって作れちゃうね」と
。それが、今ここになまえがいるきっかけ。
「私もあんな音楽作れるようになりたい、って思ったんだけど」
言葉を濁したなまえを、晃牙は横目で見る。どんな表情をしているのか俯いているせいでわからなかったが声が少し震えていた。なまえはぎゅっと欄干を握りしめると、絞り出すように言葉を吐き出した。
「…わたし、今回のトリの曲、作れなかった」
曲を1曲仕上げる。それがなまえに課せられた課題だった。なまえはTrickstarの楽曲の編曲を頼まれていたこともあって彼らの特訓を見守っていた。そんな中で一つの相談が、リーダーである北斗の口から出された。
「両親のツテを辿って、ある作曲家に楽曲を依頼している」
北斗たちにとって、零からの助力を得られる可能性はある程度想定できた。だが、その近くに自分たちに協力してくれる作曲家がいるとは露も思わなかったのだろう。その作曲家の名前はなまえも聞いたことがあるほど有名な人でなまえが出す答えは決まっていた。
「じゃあ、その人の曲トリに持ってこよう」
北斗は間髪入れずに返したなまえを居た堪れない表情で見て短く返事を返した。なまえは声色は明るく、取り繕うように話を続けた。今回歌う曲の順番、編曲の方向性、トークをどこで入れるか。
無理に明るい声色で話しながら、なまえは自分がどんな表情をしていたかわからなかった。悔しさに眉を顰めていたのかもしれないし、ぎこちないながらも口角を上げて笑っていたのかもしれない。ただ、その心のうちは。
「そりゃ有名な先生に作ってもらった方が箔がつくし、みんなのためになる」
認めざるを得なかった。それが最良の選択であると。生徒会に勝つために彼が必死の思いで用意した曲だ。北斗が親の力を借りたくないと思っているのは数日共にいただけのなまえにもよくわかった。自分の力でアイドルになろうとしている彼が、親の力を借りてでもこの革命を成し遂げようとしていることも。だからこそ、彼の気持ちに報いるためにも勝たなくてはいけないのだ。
「でも、悔しい」
「すっごく悔しい‼」
なまえは絞り出すように、このどこにもぶつけようもない感情を吐き出した。自分なら、彼らを輝かせる曲を作ることができるのに。誰より彼ららしい曲を作ることができるのに。
今にも泣き出しそうななまえに黙って聞いていた晃牙は触れようと手を伸ばしたが、その手をぐっと握り込んで引っ込めた。
「(こいつはまだ踏ん張ってる)」
泣きそうな声色で、まだ泣くまいと踏ん張っているのだ。誰かに守ってもらわなければ進めない女ではない。でなければ今ここにはいないのだろうから。
「諦めるなんてダセ〜ぞ」
「わかってる!」
たとえそれが最良だとわかっていても。自分が作った曲が一番であると、自分が信じなければいけない。力強く晃牙に言葉を返したなまえは勢いよく顔を上げた。その表情は少し覇気がなかったが、憑き物が落ちたようにすっきりとした顔をしていた。
「あの時、Trickstarの曲を作りたいって思った気持ちはほんとだもん」
だから絶対形にする。
そう言い切ったなまえは自分の頬を叩いて気持ちを入れる。ありがと、となまえは晃牙の顔を覗き見て言った。晃牙はそんななまえから視線を逸らして「なんで俺様に言うンだよ」と呟いた。なまえは少し考えたように確かになんでだろう、と唸った。いつも馬鹿を言い合って、じゃれ付くように遊んでいて。曲を聴かせようと躍起になったり。喧嘩もよくする。そんな相手に。そこまで考えて、気づいたようになまえは晃牙に笑いかける。
「大神なら、慰めたり、変な気使ったりしないでしょ」
だからありがとね、と言うなまえの頬はやはり涙で少し濡れていた。けれど晃牙にはやたらその笑顔が眩しく、尊いもののように思えたのだ。晃牙はその芽生えかけた感情を振り払うと、にこにこと笑うなまえの頬を引っ張る。
「んぅ⁉」
「へらへらしてんじゃね〜よ、帰ンぞ」
「えっまって私荷物軽音部に置きっ放しなんだけど」
「先帰る」
「えー⁈待ってってば‼」
先へと背中を向けて歩いて行ってしまう晃牙をなまえは追いかける。晃牙は早くしろ、と行った顔をして振り返った。立ち止まって振り返る彼は、ぶっきらぼうで、それでも優しかった。「なにが孤高の一匹狼だ」「なんか言ったか」「なーんにも!」出会ってからそんなに時間は経っていないけれど、彼の不器用な暖かさは、なまえにとっても心地いいものなのだ。