12.転倒と災難




 ……何かがおかしい、とアスルは考える。戦を交えながら数日かけて辿り着いたガリア王城で、アスルはうんと休息するつもりだった。ガリア王との謁見の間に招かれたアイクの決断によっては永住する土地になるかもしれないが、アスルは『そうならない方』に賭けている。だからこそ先に案内された部屋で英気を養い、これからに備えようとしていた――はずだった。
 なのに、この状況は何だ。
「なんでこんなことに……」
 鋭利な輝きを浮かべ、長剣の切っ先がアスルに向けられる。軽さと扱い易さに重きを置いた細身の剣身は、それでも切られたり、突き刺さろうものなら無事では済まない威力を持っている。
「さあ、いざ尋常に勝負!」
「ちっがーう! そうじゃない!」
 先程から不穏な気配が感じ取れて仕方がないアスルは、それを即座に否定した。
 傭兵団の新入りであるワユは、どうもじっとしていられない性分らしい。部屋に案内されるやいなやアスルに抗う暇を与えさせず中庭へと連れ出し――今に至る。
 落ちてくる日差しを遮る木々の葉は無く、此処に赴く以前より一層鋭さを際立たせて瞬く陽射は容赦なく肌を刺す。身体まで刺し貫かれては洒落にならないと、アスルは必死に訴えかけた。
「やだやだ、おろしてよそれ。そもそも、なんであたしなわけ? 適材適所ってあるじゃん!」
「素早い敵にも切り込めるようにしたいんだよね。あんたシーフって聞いてさ、今あたしが求めてる鍛錬相手にぴったり! 避けるだけでいいから」
 向かい合い剣を構えるワユは、アスルの睥睨を受け入れないまま剣を突き付ける。
 少女らしさの残る声に似合わないあっさりとした、捉え様によっては切り捨てるような口調だった。最早話し合いすら許されぬ状況に、アスルは肩を大きく落として落胆した。
「あたしの休息……」
「いくよ!」
 膠着した空気を先に崩したのはワユだった。
 躊躇も迷いもない刺突が繰り出される。アスルは息を呑む暇もなく後方へと跳躍する。ゆるい空気の揺らめきを銀の閃光が切り裂き、城の壁にふたりの影が大きく踊った。
「速……っ、ひいい!」
 ワユが素早く踏みこむ。剣筋はまだどこか粗削りな印象を残すが、軽やかで、何より速い。年若ながら傭兵稼業を営んでいるだけのことはあり、それは素早く人を仕留めるためのものであった。
 次々と繰り出される斬撃をアスルは滑らかな動きで躱しきる。しかし、常に全力で動き続け避けているせいか、早くも額から疲労の汗が滴り落ちる。
 ワユの猛攻は止まらない。踏み込んでの袈裟掛けを後退して交わし、間合いを取る。白銀の残光は空を切るだけに留まるが、すぐに切り返し得物を構える――その繰り返しだった。
 怒涛の太刀筋を凌ぎながら、どうしたものかと、アスルはこの場を切り抜ける策をあれこれ思案する。……そもそも、彼女に付き合う義理など何処にもないというのに、一方的にしてやられるのはあまりにも理不尽ではないだろうか!
「んもおお! こうなったらあたしもあんたのこと的だと思って攻撃するから!」
 このままでは壁に追いやられて逃げ場を失ってしまう。何より、本当に切られかねない。アスルは懐からナイフを二本引き抜いて真っ直ぐ、威嚇するように突き出した。ワユと視線が交錯する。――そこにあるのは、会心の笑み。
「いいねぇ、あたしも速さには自信あるよ。当ててみれるもんなら当ててみなよ!」
 ワユは声を立てていっそう笑う。雷のごとき一閃が、より苛烈に虚空を灼いた。
「皮肉が通じない、っ、うおおおお!」
 振り下ろされた剣を咄嗟にナイフで受け止めたが、すぐに手のひらが衝撃で痺れ始める。
 意地と気力だけでなんとか堪えていたが、当然上から強い力を掛けられれば受け止め続けることが出来るはずもなく、ずるりと足が前に滑った。
「やば――!?」
 声が漏れるより早く、アスルの身体が重力に従って後ろに倒れこむ。それに気付いたワユも、力を加えるのを止め「あれま」と声を上げる。
 驚愕に強張った背中が、地面に打ち付けられた。
「いったーー!! ……くない!?」
 衝撃と余韻が襲う――予定であったのだが、身体を仰け反らせて滑るアスルを、何かが支え、衝撃を緩和してくれたお陰で殆ど痛みは無い。
 そう、『何か』を下敷きにして、アスルはほぼ痛みを感じることなく済んだらしい――。
「――え」
 わずかな痺れを纏ったまま、アスルは肩越しに背後を振り返る。
 草に覆われた地べたに、銀色の髪がうねりながら広がっていた。白磁の肌はぴくりとも動かず、長い睫毛に縁取られた瞼は閉ざされている。
 美しい造形をしているが、紛れもなく人であった。
「…………ぎゃあああ!?」
 横たわった肢体にアスルの悲鳴が上がる。
 尻込みするアスル越しに顔を覗かせるワユも、眼の先で少女の姿を確認して顔をしかめた。
「なんで、誰、いつの間に? というか、死んでる? うそ、なんで!?」
「あんた、まさかその子を……」
 アスルの両肩を掴み、ワユが詰め寄る。ぐっと近づいた距離にたじろぎながらも、アスルは必死にかぶりを振った。
「違う、違うって! あたしじゃない!」
「……生きて……ます……」
 死人――に近しい状態だった少女がゆっくりと起き上がる。草と土にまみれた長い髪を梳くその様は、ひどく頼りなく儚い。
 濡れた葉から滴が落ちるような囁きと、ひどく朧げな眼差しは、状況を把握できているのか怪しい。流れゆく息はか細く、もとよりなかったもののように、空に散じる風に馴染んでゆく。
「いや、死にそうなんだけど?」
 ワユが間髪を入れず問いかけると、少女の腹の虫が代わりに返答した。
「すみません、お腹が……空いて……それで、倒れてしまって……」
「なるほど――あっ」
 言い終わるより先に、ワユの脚がもつれた。
 図らずも倒れかかってきたワユを不本意ながらも支える形となったアスルは、またしても襲ってきた混乱をいなしながら彼女の頭上をじとりと睨んだ。
「今度はなに!?」
「あたしもお腹空いたな〜って自覚したら、力が抜けて……」
「……はあ!?」
 一泊置いて漏れた声は素っ頓狂なものだった。
「私も……動けません……」
「……はあああ!?」
 思考がままならない。唖然とするアスルを他所に、二人の瞳は縋るようにゆらいで潤んでいた。
「何か持ってきてくれない? 頼むよ!」
「頼まれてくれると、嬉しいです……」
 アスルは目にごく少量の涙を浮かべ、頭を抱えこんだ。そして、自分の出せる限りの大音声で叫んだ。
「もおおおお! やだあああああ!」