13.火消と密約
光で拓くことなどできる闇など。知れている。携えた色彩が、感情が、闇に浮くはずもない。彼らが潜み、生きるのはそういう世界だった。
そもそも、其処に棲まう羽目になった理由など、すでに噛み砕いて呑みこんで、煙の如く闇にたゆたい、漂うだけだというのに。
――だから、聞き覚えがあった。
「あなた何者?」
捕虜を解放し、聳え立つ牢獄だったはずのその場所の、風に流れゆらぐ砂埃と重い血臭さに混じったのは、微笑みからは似つかない冷たくそよぐ声。
「団長からそんな話聞いたことない」
傭兵と称するには些か華奢な、ゆるく波打つ空髪を無造作に靡かせる少女が、上背で体格も良い情報屋のその首に短剣を突きつけて立っている。傭兵団はと街道の先に眼を遣ると、一行とは既に距離が離れていた。
品定めするように情報屋を眺めるアスルに、喉許に鋭利な刃を当てられているフォルカは悠然と声を投げかける。
「十万だな」
「……はあ!?」
その意味するところを汲み取って、アスルの目が驚愕に染められる。
「その問いの答えに対する代価だ」
刃を向けられたままのフォルカは、そこに自らを捉える少女の刃など無いかのように、大仰な仕草で肩を竦めてみせた。
「俺は情報屋だ。その先の説明が必要か?」
「……成る程ね。商売としては理に適ってる」
地を踏みしめるかすかな音が混じった返答は落ち着いたものだった。アスルは突き付けていた短剣を鞘に戻す。彼女のこの言葉には答えずに、フォルカはひとまずは解放されたものと認識し、ひとつ息を吐く。
「感謝してよね、あたしは情報を軽んじたりしない。それで、あなたはどれくらい払えばグレイル団長との関係を話してくれるの?」
弧を描いた唇から紡がれる醒めた声に、フォルカは一切の感情を見せることなく平坦に、情報屋として金額を提示する。
「ひとまずは、五万だ」
ここで少しだけ間があり。その後、やけにあっさりと、アスルは懐から皮袋を取り出し情報屋に差し出す。
「……いいわ、払ったげる。さっさと話して」
その袋には確かな重量感がある。フォルカは固く巻かれた麻紐をほどき、中を確認する。まるで払うことを予想していたかのように、五万ゴールドきっちり入っている。
成る程、と熟れた葡萄の実に似た赤紫色の瞳を眇めたのち、彼はにたりと口端を吊り上げた。
「ひとまずと言っただろう。これはこの話を答えるに値する誠意を見る為のものだ。まだ話すとは言っていない」
「……はあああ!?」
なんともずるい言い回しに、アスルはぎょっと瞠目した。
「五万よ、五万! あたしが汗水垂らし……てはないけど。稼いだ……、かも怪しいけど。ともかく、そんなお金を払うって言ってんのよ!? どこをどう見ても誠意しかないじゃない!」
先程までの静謐で研ぎ澄まされた空気が嘘のように、どこか泣き出しそうな顔で「けち! ばーか!」と、聞くに耐えない稚拙で口汚い言葉を吠えはじめたアスルを見かねてか、情報屋は片手で顔を覆った。
「これ以上上乗せするとも言ってない」
「物は言い様じゃん! うわーん、どうせこれが常套手段なんだろ!?」
フォルカの細い切れ長の目には呆れたような色が浮かんでいる。アスルが恨めしく睨むと、相手をするのに飽きたと言わんばかりの溜め息が投げられた。
「あまり知られるわけにはいかないんだ。……そうだな、俺からの質問に答えられたら話してやろう」
ふいにフォルカが双眸を細めた。注意深い蛇のような目が、アスルをじっと覗きこむ。一瞬、冷たく張り詰めた空気が首筋を舐めたのを感じ取って、アスルは怪訝そうに小首を傾げる。
「なぁに?」
小石を投じるように、問いかけだけが落とされた。
「――“お前”は、誰だ?」
アスルがぱちくりと目を丸くする。
「なにそれ。どういう意味?」
真意を測りかねてかアスルは眉間に皺を寄せる。続いたのは、疑問に対する足がかりとなる言葉だった。
「そのままの意味だ。一つの肩書きは側面でしかないということだ。知らぬ存ぜぬで通すのも結構だが」
「……ふーん?」
どうやら考えこんでいるらしい。沈黙の後、思索において何かを掴んだらしい彼女は顔を上げた。
「……なるほどね、あなたがいくら積まれても話す気がないというのは分かった」
声音をわずかに落としたアスルは皮袋を指さす。
「やっぱり、その五万ゴールドはあなたにあげる。……でもこれは、誠意としてのお金じゃない」
据えられている碧の、その真摯さに、今度はフォルカの眉根がかすかに釣り上がる。
「あたしとも契約しましょう? 尤も、仕事や依頼じゃあないからこれっきりの取引だけど……これはその契約金」
ふざけているのか本気なのかよく判らない声が、鋭く遠く響く。
「……要求は?」
変わらず飄飄とした調子の少女に動じることなく、情報屋は的確に状況に対処する。
「“私のことを絶対に喋るな”」
鉄の匂いが混じる風と砂埃と緊迫感とが満ちるその場所で。
目の前にいる華奢な少女の、雫が滴り落ちた後の漣のように清らな声を聞いた。
――これに、聞き覚えがあった。見覚えがあった。
だから、彼女の望むものが何であれ、その無邪気な願いを五万ゴールドで叶えられるならば――などという情や感慨の類を情報屋は持ち合わせてはおらず、挟むつもりも毛頭ない。
情報屋にとって、貨幣こそ最も的確で信用できる力であり、依頼内容に釣り合う“力”を示されれば、“情報屋”には、仕事としてそれを受ける義務がある。それだけのこと。
「いいだろう、承った」
フォルカが静かに首を縦に振る。彼が皮袋を仕舞い込んだのを確認して、アスルはわざとなのか素面なのか判然としない笑みを漂わせる。
「あーあ、痛い出費。貯金がすっからかん! これから頑張って働いて、お金もらわなきゃ」
揺蕩う髪をなぞり、アスルは流暢に言葉を繋げる。
「あたしね、これでも頑張ってるんだ。でもね、これ。砂上の楼閣だから。崩れる時はあっけなかったりするんだよね」
「……それでも、単なる作り物とは思えんがな」
淡々と、フォルカが確信めいたものを口にする。これにアスルはどこか弁解めいた言葉を並べる。
「女の子だもの。優しくはできないけど、明るく美しく在りたいし、多少嘘つきくらいの方が、可愛らしいでしょう?」
吹き抜ける風は、紡がれる言の葉を蒼穹に攫う。やがて、風に流れて揺らいできたのは、一行からはぐれたアスルを探す若き団長の声。
ぴくりとも動かない表情で、平坦さすら覚えさせる赤紫の目で、フォルカは「行かないと」と、背を向ける少女の振り向きざまの言葉を受けとめる。
「ここで話したことは二人だけの秘密ね、“情報屋”のお兄さん?」
口許にその微笑を残したまま、睫毛に縁取られた碧の目に鋭利さが宿る。
対して、感情を浮かび上がらせることの少ない表情の中、気だるげに灰褐色の髪をかき上げながら落とされたのは薄い瞼。
「追加のオーダーなら、千だ」
「……高っ!」
紡がれたのは、揺るぎない男の持論だった。