05.姫君と幼子




 その女性はとてもうつくしい人だった。
 少し癖のある深緑の髪に縁取られた肌は白く、彼女がそっと微笑むたびに薔薇色に色づいた。伏し目がちな双眸は鳶色の光沢を湛え、潤むようなまなざしは見る者すべての心をとろけさせるようだ。桃色の唇から小鳥がさえずるような声が紡がれるたび、微かな息遣いすら聞き逃すまいとだれもが耳を澄ませた。清楚なドレスに隠された華奢な肢体――。
 この甘美な女性がクリミア国王の遺児という姫君の肩書きまで持っているのだから、天は二物も与えたとは彼女の為にあるような言葉だといっても過言ではない。
 エリンシア・リデル・クリミア。街道で倒れていた彼女を救出し、彼女を南のガリア王国まで送り届けるべく、グレイル傭兵団の砦は喧騒に溺れかけていた。

「もおっ。どうしてあたしがこんなことしなきゃならないわけ? 団長のばーか! ばーかばーか!」
 呪文を唱えるように何度も何度も繰り返しながらアスルは砦の外れにある倉庫内を闊歩していた。
「アスルったら! 口より手を動かしてよ!」
「そうだよアスルちゃん、皆で手分けして荷造り終わらせよう?」
「ミスト〜! ヨファ〜!」
 戦えなくとも傭兵団のため尽力する年少二人が愛らしくて、アスルはよしよし、と無邪気に話す二人の頭を撫でる。「またそうやってサボって」と、口では憎まれ口を叩きながら、眼を細めてそれを受け入れてくれるのだから余計に愛おしい。
 しかしアスルにとっての至福の時を壊す声があった。
「皆さんはとても仲が宜しいのですね」
 気を紛らわせる為、アイクの指示で荷造りを手伝うエリンシアが微笑みかけける。
「なぁに、バカにしてるの?」
「す、すみません。そういう意味で言ったわけでは……」
 エリンシアの小鳥が囀るような囁きは、アスルにとって癇に障るようだ。
「こら、アスルったら、エリンシアさまになんて口聞いてるのよ! ごめんなさいエリンシアさま。この人ったら、綺麗な人を見ると嫉妬しちゃうというか……」
「ふーん」
「アスル!」
 アスルのそれは一見子供じみてはいるが、あまりにも意思の疎通を拒絶するものだった。
グレイル傭兵団の団員達は、無関心を貫くセネリオや天邪鬼な性格のシノンを除いて皆がエリンシアに対して好意的だった。親愛なる家族を失い命辛々に逃げ延びてきた……彼等に見つけてもらわねば今頃とうに朽ちていた命。救ってもらっただけでも感謝し足りぬというのに、アイクやミストを始めとする団員達が掛けてくれる励ましの言葉は深く心に染み渡った。特に団長であるグレイルの言葉には、不思議なほどの説得力がある。彼が「死ぬな」と一言告げるだけで、不死にでもなれるのではという気すら起こしてしまう。
 ――だからだろうか、例え言動が幼くとも明確な敵対心を告げられるとひどく気が滅入った。
「あの、アスル様」
「なに!?」
 また話しかけてきたと言わんばかりの返答に、エリンシアは恐る恐る言葉を絞り出す。
「アスル様は、とても綺麗でいらっしゃると思います」
 エリンシアがそう言い切った瞬間、隣でミストとヨファは視線を交錯させた。世辞や褒め言葉には弱いアスルのことだから、たちまち機嫌を良くして饒舌に話し始めるのだと二人は踏んでいた。
 しかし、返ってきたのは予想外な声だった。
「なに、それ」
 アスルは冷淡に言い放った。子どもみたいに頬を膨らませたり、喚いたり、怒りを表現したりしなかった。
「あたしが綺麗なのは、当たり前なのよ」
 淡雪が舞い降るような声を、アスルは落とした。一瞬、エリンシアは息を詰まらせる。
「き、気に障ったのなら申し訳ありません、ただ、アスル様はとてもご自身の容姿を誇りに思っているようでしたので……」
「ばかにしないで!」
 壁を拳で叩いて、砦まで響き渡るくらいの声量で、叫んだ。
 エリンシアは肩を震わせて驚いていた。彼女だけでなく、ミストとヨファも澄んだ瞳をぱちくりさせて、アスルを見据えている。
「アスル……? どうし――」
「大体、どうしてウチを巻き込むの? 戦争とか知ったこっちゃないのに。そういうのはお偉いさん同士で勝手にやってればいいでしょ!」
「それは……ごめんなさい」
「謝れば済むと思ってるの? まったく呆れちゃうんだから!」
 我慢ができずに、アスルから次々と呪いの言葉があふれ出す。心臓がいつもより速く脈を打っているのが伝わる。
 彼女がわなわなと拳を震わせていると、その腕をアイクがつかんだ。
「何があったかと来てみれば……アスル、言い過ぎだ。いい加減にしろ」
「なんでお姫様を庇うの。……お姫様だから? 鼻の下伸ばして安請合いして、いい加減にするのはそっちじゃん!」
まるで栓が抜けたように激しい感情が溢れ出す。それは荒々しい礫になってアスルの口から飛び出し、アイクに叩きつけられた。
「あんた、今日変だぞ。いったい何が不満なんだ」
 アイクは訳が分からないと言いたげにゆるりと小首を傾げてみせた。目の奥が熱くなっていくのを感じながら、アスルは彼を睨んだ。
「不満? ねぇ、それを言えば何でもしてくれるの? ガリア行きをやめてくれる?」
「それは……」
一瞬、アイクの瞳が揺らぐ。彼はわずかに視線を逸らした。
「ほら。そんなことできっこないでしょ!」
 アイクの手を力任せに振りほどいて、アスルは逃げるように背を向けて、倉庫から出て行こうとした。
「もういい、分からずや! 絶対後悔するんだからっ」
「おい、待て。アスル……!」
 しかし、アイクの一言で立ち止まった。
「絶対追いかけてこないで」
 そして、ひどく穏やかに言う。
「エリンシア姫、ごめんなさい」
 その声色は柔らかさを帯びているのに、真意を窺うことは叶わなかった。
「戻ってきたら、いつものあたしでいるから。……もう、お姫様にも酷いこと言わないから。だから、今は一人にして」
 アスルはアイクの顔も見ずに、そこから駆け出す。
 この癇癪はこの場限りのもので、後日アスルは何ともないような顔でエリンシアに接するのだが、アスルのいう後悔は後の悲しみとして傭兵団に刻まれていくこととなる。
 引き返したくとも、立ち止まることが出来ないところまできていた。