08.不和と静謐
紅に染まる空は悲鳴にも似ていた。今日一日で此処で吐き出された悲しみが、怒りが、思い出が、全て掻き集められ、織り交ぜられ、一つの大きなうねりとしてあった。
佇まいだけならば常と同じ古城を、ふたりの青年が見据える。ひとりは名残惜しむように、ひとりは皮肉っぽく、各々の蒼の目を眇めていた。
真綿で包まれたような大気に、ふたりの青年は沈黙を守る。そこに、枯れた下草を踏みしめる、乾いた音が紛れた。音源に目を遣ったシノンが目を眇める。
シノンの眼の先には、常と変わらず微笑を浮かべる少女が立っていた。
「団を抜けるんだね。シノン、ガトリー」
笑みを貼りつけた蒼の目をもって、薄氷のような少女はシノンとガトリーを見据える。物静かであるはずのその声は、静かに霧散していった。
「アイクの野郎に命なんぞ預けられるか。オメェも今までみてぇに楽できなくなるなぁ?」
愛想笑いや取り繕うことから縁遠いシノンは、常と変わらない鋭さを醸し出している。
怯むことのないその瞳でアスルはシノンを絡め取った。
「あたしはあたしのしたいように生きるから問題ないのよ。これまでもこれからもね」
「ケッ、お気楽なこった」
明らかに貼り付けただけの笑みを浮かべるアスルに、シノンは皮肉屋の肩書に相応しく、意地悪く口端を釣り上げてみせた。
「少しでも容姿に恵まれた女ってのはいいご身分だよなぁ? 命がけで戦わなくとも言葉巧みに擦り寄れば食べるもんも着るもんも困らねぇんだからよ。こんな我が儘女拾うなんざ団長も見る目がねぇ」
一瞬、アスルが眼を瞬いた。瞬いて――やはり微笑った。
だが眼差しはどこか仄暗く、唇が描いた弧は完璧でありながら歪だった。
「……なんだよ」
「別に。いつまでも自分としか折り合いつけないで、自分の都合の良いようにしか人を見れないんだなって思っただけ」
喰らいついた音はいっそ穏やかですらあった。言葉にも激しさはない。
ただ、水面に小石を投じるように。消えることなく伝播していく波紋の如く、周囲を巻き込み渦を巻いて張り詰めた空気を作る。
「はン、それはお互い様じゃねぇか」
「そうだよ。その上で結論が違っただけ」
お互いに笑んでいるというのに人を和ませるような雰囲気はもう微塵も残ってはいない。
「ま、まあまあ! 二人とも落ち着くっす!」
重々しい空気を変えるために、さりげなく、ガトリーが横合いから口を挟む。
「折角の別れが険悪になるのは悲しいじゃないっすか。ね、ね?」
飄々と、流れるように、ガトリーはアスルとシノンの間に身を滑りこませた。威圧に呑まれないよう、深呼吸をした。
しかし、ガトリーの必死の仲介に二人が従う意思はない。笑みを深めたのがその回答だった。途端、周囲の空気がどっと重くなる。
「何言ってんだよ、オメェは。別れたら次は敵同士かもしれねぇんだぞ」
「そうそう。敵なら、殺すしかないよね」
快活さも無邪気さも、そこにはない。ほんの瞬きにも満たない刹那。その少女の、今までを共に過ごした彼女には見たことのない淡白さと無機質さにシノンは目を疑う。
「戦えもしねぇ雑用係が吠えるとダサく聞こえるなぁ、その言葉」
それでも、けっと悪態をついて答えたシノンの声音は揺らがない。
吐き捨てるように告げられた言葉に、一欠片の動揺すら見せない笑みを見つめたアスルの瞳が一つ瞬き、静かな声音が唇を割った。
「じゃあ、再会を今から楽しみにしておかないとね」
シノンから視線を外して、一瞬ガトリーを映した後に背中をみせた彼女には、微かな闇の陰がある。
「さよなら」
それでもどこか寂しげに揺れた言葉が別れを告げた。
かけがえのないものを犠牲にした哀しみの只中で慟哭を繰り返していた夕暮れの空は、誰よりも鮮やかに笑っていた。
小さな炎が、ゆらめき、さざめき、ささやかな明るさを重ねていた。壁際に置かれた蜜蝋を蕩かす炎は、小刻みに震える光をもって、古城の一室に仄かな黄金を満たしている。
静寂が常に満ちていたそこに、靴音が押し退ける。
部屋の一角にて、しっかりと両手を組み合わせて目を瞑る男が顔を上げた。
戸を叩く音がして、壁に貼り付けらたような扉が開いた。
「戻ったよ」
穏やかな朝を想起させる声に、祈りを捧げていた僧侶の男――キルロイは視界を開けた。部屋に足を踏み入れた糸目の青年を見据え、聖人然とした面差しに病弱な体質なことだけではない疲弊を笑みに貼り変えて、青年を受け入れる。
「おかえり、オスカー」
「シノン、聞く耳を持たないといった感じでいってしまったんだけど……アスル、何か言っただろう」
オスカーと呼ばれた瑞々しい新緑の髪の青年は部屋の奥の寝台を覗き込み、首を傾げた。
彼女は寝台に座って、開口部から森を見下ろしていた。突如響いた言葉に、アスルは視線を声の主に向けるとひどく子供っぽく答えた。
「挑発を挑発で返しただけだもーん」
「はぁ……最後まで君たちは。まぁ、君たちらしいのかもね……」
曖昧に笑って言葉を濁した少女は、凪いだ瞳で同じ部屋にいる二人に微笑んだ。
「それより、オスカーとキルロイは大丈夫? ミストやヨファに付きっ切りで、悲しむ暇なかったんじゃない?」
穏やかな表情に悲哀や慟哭を隠す二人を心配する呼びかけに対し、オスカーもキルロイもぎこちない笑顔で返すだけだった。
「あんまり気追い詰めちゃダメなんだからね。まあ1000ゴールドくれるっていうなら? よしよししたり膝枕して癒してあげるけど?」
「お金取るんだ……」
「遠慮しておくよ」
二者二様に突っ込むその声さえどこか掠れたままで、困ったように眉根が寄るのが解る。
それを察してか、残念、とそれ以上の追及はせず少女のあおいまなこはふたたび窓の外へ注がれる。
常態に戻りつつある静けさに、一つの声が舞い降りた。
「アスルは大丈夫?」
キルロイの言葉に、オスカーが続く。
「君はいつもその調子だから、実は無理をしているのではないかと勘繰ってしまうよ」
部屋を満たす蜜蝋の炎は、少女の目を這う氷を融かすように、ゆらいでいる。
「優しいね、キルロイもオスカーも」
労いの言葉たちに返ってきたのは、ただひどく鮮やかな笑みだった。
「けど、こう見えて意外と図太くてさ。これくらいじゃへこたれないのでした。……はっ、今のは涙見せた方が可愛げあった……?」
ぶつぶつと呟きながら頭を抱えるアスルの常と変わらない姿に二人は思わず口許を緩める。
「……うん、ならアスルはそのままでいてよ」
「その代わり、何かあったらすぐに頼ること。いいね?」
僅かに頬を染めるアスルに向けられる視線は真っ直ぐに強く、真摯な色を宿すそれにアスルは小さく頷いた。
「キルロイ、オスカー……。あたしのこと、そんなにも好きだったの……!? きゃーっ!」
「そういうのじゃないから」
「そういうのじゃ……うん……」
オスカーは慎ましくもばっさりと切り捨て、キルロイは瞼を落とし、呆れたように息を吐く。声が見事に被ったので、二人は顔を見合わせた。
黄金のさざめきを生む蝋台の灯は、芯を焦がしながら蝋を蕩けさせ、落日とも暁ともつかない、きらびやかな翳りを撒く。
団長グレイルを失ったグレイル傭兵団の、最初の夜だった。