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 グレイル傭兵団が待機するゲバル城内は慌ただしさに包まれていた。団員たちは戦の事後処理に追われ休息する暇もない。
 団長であるグレイルは団員全員の装備品を確認する為、各々に割り振った個室を回り補充がてら労いの言葉を掛けている。副長のティアマトがそれに伴う資金の収支を把握する為に奔走し、参謀のセネリオは地図と睨み合い、これから進むべき路を切り開くべく思考を巡らせていた。
 先の戦いで傭兵団と共に行動を始めたワユもまた、早々に手当てを終え挨拶回りに勤しんでいる。――ついでに鍛錬相手を探したいと意気揚々と言ってのけるものだから、寝台に磔にして養生させたいと思ってしまったその心は、内に秘めておくことにする。
 勿論、フィリスとて例外ではなく、杖使いであるキルロイと共に杖を振るい傷を癒し、見様見真似ではあるが身につけた医術の知識を駆使してそれぞれの負傷に応じた処置を施していった。
 全てが片付いて一息つける頃には、すっかり日が沈み森林に夜の帳が下りていた。
「えへへ」
 治療を終えた二人を食事当番のミストが出迎え、――ガリア軍が用意してくれたものではあるのだが――給仕を終えて席についたところで、彼女は嬉しそうな笑みを零す。
「どうかされましたか、ミスト殿」
 蒸し芋を匙で掬いながら、向かいに座るフィリスは不思議そうに見遣った。キルロイはその様子を微笑ましそうに眺めながら、繊細な仕草でパンをちぎって口に運んでいる。
「えっ……殿はいいよ! 普通に呼んでほしいな。私も普通に呼ぶし」
 フィリスはどう答えれば良いか対処を考えたが、ミストの純な瞳に穴が開くほど見つめることに耐え切れなかったらしく、小さな声で肯首した。
「……では。ミストと」
「やったぁ!」
 彼女はまじまじとフィリスを凝視していたかと思うと、不意に相好を綻ばせた。
「あのね、今まで年の近い女の子って近くにいなかったから……こうしてフィリスが一晩でもいてくれて嬉しいなって」
 あまりにも純粋な愛らしさは母性本能を激しく揺さぶるのものであったが、フィリスの表情は硬くも不安そのもので、顔を曇らせずにはいられなかった。
「……私はあまり、同年代の方とお話するのは得意ではなくて、期待には添えられないかもしれません」
 匙を置いて食事を中断すると、フィリスは押し殺した声で呟いた。ミストはその意図が分からないとでもいうように小首を傾げる。
「新しいドレスを仕立てて頂いただとか、曲を何節まで弾けるようになっただとか、難しいステップを踊れるようになっただとか、そういう話には疎くて。私も年の近い方とお話するのは久しいので、余計に」
 それもそのはず、彼女が指す同年代の女性とは、帝国の、他家の貴族令嬢だ。そして、同年代の少女とは、すなわち競争の対象である。
 窮屈なドレスも、足が痛くなる細い靴も、臭い化粧も、我慢してきた。行儀作法も、刺繍の手習いも、舞踏の練習も、楽器の扱いも『伯爵令嬢』に必要なことはなんだって身につけてきた。しかし、そのどれもがフィリスの心を高揚させるに至らなかった。
 魔道の追求。槍術の教えを請い実践する。――この二つこそ、フィリスを昂ぶらせるもの。熱情を注いだもの。
 当然、同い年の令嬢たちに理解されることなく、抜きん出る異彩の杭は嫉妬と侮蔑の対象として打たれた。
「ええっ!? そんなこと普通の女の子は話さないよ!」
「……そうなのですか?」
 確かにミストの言う通り、自分の生きてきた枠組みの中での話だ。しかしそうなると、ますます何を話したら良いのかが分からない。
「うーん、とはいえ私も歳の近い子とはあまり喋らないし……じゃあ、好きなものの話をしよう!」
「好きなもの、ですか?」
「そう、その人を知るには好きなものを知るのが一番! わたしはね、まずお父さんやお兄ちゃん、傭兵団の皆でしょ、オスカーのご飯でしょ、それからお掃除にお洗濯に……」
 ミストからの提案は極めて真っ当だった。それでいて、少し会話を重ねるだけで彼女の心根のやさしさをさまざまと思い知っていたフィリスは、語られる内容の可愛さに些か面食らった。
「み、ミスト! フィリスさん困ってるよ!」
「あっ……ご、ごめん!」
 見兼ねたキルロイが食事の手を止めてフォローに入ると、ミストが慌てて頭を下げる。フィリスもつられてこうべを垂れていた。
「いえ、此方こそごめんなさい。好きなものと言われて、すぐには浮かばず……」
「そっかぁ。じゃあ好きな人は?」
 話題の延長上としてごく自然な問いかけだった。単純であるが故に、言葉を濁しがちになる問いかけ。
「好きな人、ですか?」
「うん。こういうの話してみたかったんだ」
 ……フィリスの表情が、僅かに歪んだ。
 小さく口を開き、少しの間逡巡した後に唇を動かそうとして――躊躇い、ミストから目線を逸らす。
「……ミストには、いるのですか?」
「えっ!?」
 質問を返されたミストは目を見開き、驚きの声を上げた。
 まさか自分のことを聞かれるなんて思いもしなかったのだろう。顔を真っ赤にして硬直している。
「ち、違うよ? 別にわたしはそういうのじゃなくって! か、家族としての、好きというか……」
「?」
 しどろもどろになりながら必死に説明すると、フィリスは狼狽した様子が気になったのか、真面目な表情で彼女の顔を覗きこんだ。
 それがより恥ずかしく、一層顔を真っ赤にさせるものだから、ミストは染まった頬を隠すように手で押さえていた。
「えーっと、えーっと……」
「ふふ、ミスト狼狽えてるね。僕も気になるな」
「も、もぉ〜! キルロイまで!」
 微笑。隣にいるキルロイは、笑みを深めて嬉しそうにしている。心地の良い談笑はいつの間にか空気を和らげ、二人との距離を縮ませてくれたようにも思える。
 彼らの些細な気遣いを感じたフィリスは、それに上手く応えられない己の不甲斐なさにゆるく苦笑する。
「ずるい返し方をしてしまいましたね。ごめんなさい」
 ゆるい苦笑はそのままに、言葉を絞り出すように唇を動かす。
「そうですね……“好き”を好意と意味する前提で、側にいなくては気になって仕方がない気持ちを好意と定義するのならば、“いる”と答えるべきなのでしょうか」
 彼との時間の一瞬一瞬が、淡く、甘く、降り積もったもの。
 それは確かに好意である。この好意がやがてどこに行き着くかはフィリス自身にも分からないが、きっとそう定義するのが一番当てはまっている気がした。
「私のこと、ずっと面倒見てくれた人がいて、その人にはとても感謝しているんです。共に過ごした時間は、一生の宝物です。……ですが」
 不意に、妙な感情が篭った呟きが少女から漏れる。――そこで、フィリスは言葉に詰まった。
「……ごめんなさい。やはり私は、話すのが下手みたいです。つまらない話をしてしまいました。今のは忘れてください」
 それ以上の言葉は続かなかった。神妙な面持ちのフィリスからはいつの間にか笑みが消えていた。……これ以上の追及を拒絶していた。
「ううん、今のフィリスさんが在るのは、その人のお陰なんだろうなっていうのが伝わってきたから、大丈夫だよ」
 キルロイが案じるように言った。その素直な微笑みに、ミストも機嫌よく頷く。
「そうそう。素敵な人なんだなぁっていうのは今ので充分わかったよ」
 そう言われたフィリスは、一瞬目を瞬かせて、込み上げてくる気持ちに耐え切れず、素直に表現した。
「……そうなんです。とても、素敵な方なんです」
 ――ぎゅっと胸を押さえて、まるで花が咲いたように、ふっと暖かく微笑んだ。
「……フィリス、そうやって笑ってる方が絶対いいよ!」
「え?」
「その人もきっと、笑ってるフィリスさんが見たいと思って、一緒にいてくれたんだよ」
「……」
 ミストにもキルロイにもそう言われて、フィリスは目を白黒させながら戸惑う。
 自分のそれは、ミストが浮かべる満面の笑顔であったり、キルロイが零す柔らかな微笑には遠く及ばないものであるのだが、彼女たちを見ているとつられて笑みが溢れてきて、何だかくすぐったい気持ちになるのだ。
「そうだと、嬉しいのですが」
 再び雰囲気が和らいだところで、フィリスは間を置かず話題を転じた。
「あの。私、貴方がた傭兵団のお話が聞きたいです。傭兵を生業としている方にお会いするのは初めてなのです。よければもう少し一緒にお話してくださいませんか?」
 自分から話題を切り出すのは久方ぶりで、どきどきしながら言葉を紡ぐ。
「もちろん! うーん、どの話からしようかな?」
「ならば、キルロイ殿が傭兵団に入った切欠をお聞きしたいです」
「僕の話? そうだね、少し長くなるんだけど――」
 食事が再開し、語られる話は飽きさせることを知らない。……そういえば、いつも話題を提供してくれるのはライの側であったと、彼のことを思う。
 ライはいつも、明るくてこちらの気持ちを和らげる会話をしてくれる。一見簡単なようで、視野が広く頭の回る人にしか出来ないことだ。
 彼の言葉、そして見識には、経験と思考を重ねた厚みがある。だからこそライは、ガリアにとっては貴重な、国王カイネギスの行政になくてはならない忠臣なのだと認識している。
 だからこそ、理解している。……彼の慈悲無くしては、本当は手の届かないひとであると。
 ――それでも。と、その後に続くものは、浅ましく、自分勝手で、傲慢でしかない。
「フィリス?」
「は、はい!」
 話を聞きながら、自分の世界に入ってしまっていたようだ。呼ばれて我に返ったフィリスは、慌てて返事をする。
「大丈夫? 疲れていたりしていない?」
「はい、私は大丈夫です。続けて頂けますか?」
「じゃあ――」
 キルロイが話を再開し――少女は瞼を閉じて、自分の経験したことのない未知で色鮮やかな話に聞き入った。
 ――静かに、夜は更けていく。



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