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 季節は巡り、どこにも平等に訪れる。しかし、それがもたらす気象は国によって異なり、地質や自然の恩恵にも差はある。
 ベグニオン歴642年、クリミア王国では春の季節を迎えようとしていた。
 王都メリオルの城下町では慎ましい静寂を纏いながらも穏やかさが伺え、街並みを外れると人々が口を揃えて語るクリミアの風景ーー整然と生い茂る青葉の緑と澄み切った晴空の青の対照が鮮やかなまでに目に入ってきた。
 あたたかな気候のなか、心地のよい微風を受けながら見る春の光景はどれほど心を落ち着かせてくれるものだろうか。だが、どれだけ想像しようとも、結局は歓迎されない侘しさが残るだけーー少なくとも、隣国ガリアの民としてライはそう思っている。
 武よりも文が栄えるクリミア王国は親ラグズを掲げ、和平を願いその建国当時からラグズの国であるガリア王国との同盟関係が結ばれている。しかし互いの民への浸透は薄く、ベオクの国でラグズが居着くなど当然良い顔はされず、風物を楽しむ暇など微塵もない。
 獣牙族のラグズであるライはその筆頭で、王命を終えた今、速やかに帰るべく肩を縮ませて足を進めている。勿論、ベオクに悟られないよう、ラグズの特徴である耳と尻尾はきちんと隠した上でだ。時々すれ違う人々の、春めいた明るい色合いの装いをちらほらと見受ける一方、くすんだ茶色のローブを重ねたライの格好はやけに目立つ。
 何度も目にし、いつしか胸に焼き付いた懐疑のまなざし。それは大乱のない比較的平穏な時代であろうと変わることはない。
いつものことではあるのだが。短い嘆息をついた。
 ――これでもマシになった方なのだとライは思うのだ。
 クリミア現国王ラモンは“賢王”と謳われ、ラグズとの共存を強く望み、その望みを実現させるべくガリア国王カイネギスと友好関係を築いた。武官の行き交いなど、己が架け橋とならんとするその采配は、ラグズであるライから見ても好意的に映るものであったし、二人の国王が胸に抱く共存という方針に基本的には賛同している。王に使える戦士という立場的なものだけでない、ライ個人の感情としてもだ。だからこそ、ラグズからすれば嫌悪でしかないベオクとの連絡役を担い、同胞が首を振っては悲壮な顔で頑固拒否するベオクの国にだってこうして出向く。変わらない言葉で、同じ答えが得られようとも。それに必然性があるのならば異存はない。
 尤も、ライにとってベオクとの対話は獣牙の兄弟たちが厭うほどのものではない。寧ろ、交流を重ねる内にベオクと話すことが趣味と言える程に成り上がっており、ベオク相手に緊張感を抱かせず軽快に会話することが得意だと語った時の同胞から向けられた怪訝な顔は、今でも鮮明に思い出せる。
 鳴き声だろうと言語だろうと、音や語感が異なるだけで結局は意思疎通を図るという行為に辿り着く。なればベオクだろうとラグズだろうと、さして変わりはない。己の価値観を狭め歪めてしまうのならば、奥底に根付き時に血潮を滾らせる先祖の記憶≠ネど思考の妨げでしかないのかもしれない。――それがライが変わり者≠ニ揶揄される理由なのだが。
 何より、心まで預けるわけではない。獣牙族の傾向としては、正に何事にも正々堂々が当てはまり、卑怯や嘘を嫌い、包み隠すことを知らぬ者が多い。そうした種としての在り方が、ベオクとの共存に踏み込めない要因であるのだろうが、ライ個人としては、本心を見せずとも話すことは容易く、交流を持つのと心を許すのも、また別の話であるという考えだ。
 包み隠すのは上手いに越したことはない。優しい嘘だって時には必要である。
 大事なのものは己が信念、己が価値観。
 目端の利く性質と柔軟な思考。加えて、獣牙の義を重んじ侵されぬ力と猫特有の俊敏さ。
 王の望みが果たされるのならば、彼はどんな命令も苦にせず執行するつもりであったし、国王カイネギスから見ても、彼は間違いなく信頼に値する優秀な戦士であった。
 穏やかで、悲しくて、暖かくて、息が詰まりそうで、泣き出しそうで、嵐のようで、かわいそうで、愛しい。春の訪れは、すぐそこまで迫っていた。


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