檸檬紅茶味の君
見舞いに来てくれているはずなのに、俺の事には目もくれずただいつもの大きなスケッチブックに鉛筆を擦り付けて描く手を止めない彼女は、もうこの病室の日常と化している。
「……いつも、なに描いてんの」
「豹馬が見てる景色」
「……」
彼女が、尋ねたことだけ返してくるのは、昔からだ。
だから、俺が告白した時だって、二つ返事だったのかもしれない。
「……珀亜さんは、ほんとに俺が好きなの」
「好きじゃなかったら、毎日来ないし、君の見てる景色を知りたいとも思わない」
彼女の言葉は確かだ。でも、今の俺にはその言葉を素直には受け取れない。
「俺だけが好きなんじゃ、意味無いじゃん……」
ベッドのシーツをぐしゃりと握る。
足は思うように動かなくなって、今までの栄光も崩れ落ちて、ずっと信じてきた才能も揺らいで、好きな人さえ振り向いてくれなくて。
今まで泣けなかった分が、今になって溢れる。
ハンカチが差し出された手は、黒鉛で少し黒ずんでいた。
「……君の、力になれなくてごめん」
その言葉に首を横に振る。これは、ただの八つ当たりで、静かに何も言わずにいつもそばに居てくれた彼女が唯一の光だったのは間違いない。
「おれこそ、ごめん、はくあさん、」
差し出されたハンカチは徐に俺の涙を拭った。
「私は、豹馬の苦しみを理解してあげられない。でも、君を好きなことには変わりないから」
彼女はスケッチブックを置いて、俺の頭を撫でた。
「豹馬」
「なに、」
「君の涙を、思いを、私に見せてくれてありがとう」
彼女はそう言って少し口角を上げた。彼女のそんな表情を見るのは初めてだった。
「はくあさんの、うれしそうな顔……はじめてみた、」
「え?……君といる時は、いつだって嬉しいんだけどな……」
「!」
呟かれた言葉に驚く。表情は一定で、必要以上に言葉は使わなくて、何を考えているのか分かりにくい彼女が、そう思っていたことが嬉しくて、沈んでいた気持ちなんてどうでも良くなった。
「はくあさん、今それ言うの、ずるい……」
「なんで?」
「……なんでも!」
すっかり収まった涙は、もう流さずに済みそうだ。
彼女は鉛筆と練り消しを仕舞って、開いたままのスケッチブックも閉じてしまった。
「もう、行くの?」
「うん、今日予備校あるから」
「……珀亜さん、」
行かないで、なんて、受験生には言えないか。立ち上がった彼女を見ていると、何を思ったのか、彼女は俺の頬に手を添えた。
「豹馬、また明日」
そう呟いて、唇が重なる。
付き合って、初めてのキスだった。
「は、くあ、さん」
「じゃ」
やるだけやって、帰った彼女に、呆気に取られる。
「ほんと、ずるい……」
まだ、感触の残った唇を触って、頬は熱くなって。
下がりたがらない口角を、枕に顔を当てて隠した。