01



 ――膨大な魔力を体内で生成・貯蓄することが出来る。それが俺の異能だ。
 基本魔力は常に体内で作られ続け、体液と共に排出される。しかし魔力の生成量は圧倒的に排出量を上回っており、定期的に異能を使うか、体液ごと吐き出さなければ体内に魔力が溜まり続けてしまう。魔力というのは身体にとって不要物なのでそれが溜まると調子を崩し、最終的に発狂してしまうのだ。
 体内に留めておける魔力量は個人差があり、すぐに満杯になってしまう者もいれば、暫く溜めても平気な者もいる。俺はどちらかというと後者で、魔力のキャパシティは他の異端者より数倍大きい。しかし、それ以上に魔力の生成量も数倍早かった。結局どんなにキャパシティが大きくても魔力の生成が早ければすぐに溜まってしまう。そういうことだ。
「だから、定期的に吐かないと気持ち悪くなっちゃうんだよ……もういいだろ」
 そう藤咲に説明しながら、俺は鏡の前で制服に着替えていた。鳥の囀りが聞こえる。空は雲ひとつない青空で、今日は快晴らしい。しかしこんなにいい天気なのに、鏡越しに藤咲を見れば彼はソファーに座って仏頂面で歯を磨いていた。俺の説明に納得していないらしい。そんな顔をしていても絵になるんだから腹が立つ。まあ、藤咲が不機嫌でも俺には関係無いので、俺は彼を無視して一個一個Yシャツのボタンを止めていった。水色のYシャツに襟元が黒で縁取られた白いジャケット、黒と灰色のチェック柄のスラックス。そして赤色のネクタイ。ここの学園の制服はなかなかにお洒落だが、白いジャケットは汚したら目立ちそうで少し怖い。きゅ、とネクタイを締めて、髪を適当にセットし、俺はようやく鏡から離れる。準備は全て終えたので、後は部屋を出るだけだ。藤咲は洗面所に行ったようで、俺は誰も座っていないソファーへ腰を掛ける。
「はあ……」
 腰をさすりながら溜め息。腰が痛い。後孔もヒリヒリと痛むし、尻の中に違和感があって落ち着かない。原因は考えなくても分かる。昨日の行為だ。毛先を赤く染めた黒髪の男を思い出して、思わず眉間に皺が寄る。気遣ってもらったとはいえ無理矢理突っ込まれたのだ。痛くないわけがない。それにヤった場所も場所だった。廊下でヤればそりゃあ腰も痛む。一日休んだだけでどうにかなるものではなかった。
「……で? 具合悪いときにタイミング悪くその先輩に見つかって、簡単に犯されたってわけか?」
 考え事をしているときに突然声をかけられて、びくっと肩が震える。見れば、藤咲が鞄を肩に掛けて眉をひそめながら俺を見つめていた。何だよ、そんな言い方無いだろ。なんて言い返しそうになるが何とか堪えて、俺も鞄を持って立ち上がる。あまり喧嘩はしたくない。
「こんなことになる前にちゃんと言えよ。言ってくれたら俺だって……」
「……出会ったばかりなのにそんなこと突然言われたって迷惑だろ」
「そんなの関係ねえよ。俺達同室なんだしさ、助け合った方が絶対良い」
 押し付けがましい……。藤咲の熱い言葉を聞き流し、俺はひょこひょこと腰を庇いながら玄関へ向かう。ただでさえ俺は寝起きが悪くて機嫌もそこそこ悪いのに、朝一で不愉快な話題を振られるのは困る。返事をするのも怠かった。
「……」
 藤咲を無視して、くあ、と欠伸を洩らしながらドアノブに手を伸ばす。結局昨日はホームルームに出ることなく早退してしまったのだ。だからこそ今日はとっとと教室に入ってしまいたい。遅れれば遅れる分だけ気まずくなるのは分かっている。藤咲の相手をしている場合ではない。しかし伸ばした手はドアノブを掴むことが出来なかった。
「う、わっ……!」
 誰かに――と言っても一人しかいないが――襟を掴まれたと思ったら、そのままくるりとひっくり返され、ドンッと扉に背中を押し付けられる。驚いて顔を上げれば、すぐ近くに藤咲の顔があった。とん、と俺の逃げ道を塞ぐように両腕を扉に付ける。所謂壁ドンというものだった。
「なあ、夜中もごそごそやってたよな。何やってたんだよ」
「……」
「またそうやって黙るんだ? 俺のこと利用して良いんだよ。それの何が嫌なんだよ」
 藤咲の身体で光が遮られ、朝にも関わらずこの場だけ夜みたいだった。何で、こんな状況に。吐息混じりに話しかけられると無駄に緊張してしまう。そう俺が困惑している間にも藤咲は俺の顎に手を添え、くいっとそのまま持ち上げる。顎が固定され、目を逸らすことが出来ない。どろりと溶けてしまいそうな赤い瞳。同じ赤でも、彼方先輩よりも薄い赤だった。
「どうせ夜中こっそり魔力吐き出してたんだろ? また吐いたの?」
 そう言われて、思わず言葉が詰まる。疑問形だが、妙に確信しているような言い方だった。まあ、実際その通りだから何とも言えないんだけど。
 ――昨日、あれから意識を失った俺は藤咲に部屋まで送ってもらっていた。彼方先輩に体内へ魔力を吐き出されたのが相当効いたようだった。そして藤咲は俺が意識を失っている間にわざわざご丁寧に後処理をしてくれたらしい。目を覚ましたときには身体は綺麗になっていて、少し複雑な気分になった。そんなことまでしてもらった後だ。藤咲の前であからさまにトイレに駆け込んで吐くのは何だか居た堪れなかった。だから藤咲が寝た時間を見計らってトイレで吐いていたのだ。ただそれだけのことだった。だがそれを素直に言うのは流石に憚れて、俺は無言を貫く。それに対して藤咲も何か思うところがあったのだろう。呆れたように息を吐いて、目を細めた。
「……そういうのが気に食わないんだよ」
 そして、そう囁いたかと思いきや、藤咲はそのまま顔を近付けて――口を塞いだ。
「っ!? ん、んんッ……!」
 突然のキスに思わず目を見開く。おいおい、俺達出会ってまだ三日目だぞ。何でこんなことになってんだよ。抵抗しようと両手で藤咲の胸を押すが、唇はなかなか離れない。寧ろ舌を入れようとしてきたので、俺は意地でも口を開けないように力を入れた。流石に藤咲もイラついているようで、表情が険しい。これで諦めて口を離してくれたらいいのだが。そう思っていたが、そこまで彼は物分かりが良くなかった。
「ひん……っ!?」
 ぐり、と股間に藤咲の膝が押し付けられて、声が出る。びっくりして藤咲の身体を離そうと更に抵抗するが、手首を掴まれそのまま扉に縫い付けられた。口が開いた隙を突いて、ぬるりと生暖かい舌が入ってくる。上顎をくすぐるように舌で撫でられれば、ぴくりと腰が跳ねた。ああ、もう。何だこれ何だこれ。藤咲が少し屈んで俺にキスしているせいで、重力に任せて俺の唾液がどんどん藤咲の口内へ流れていく。ぎゅっと目を瞑れば、舌の動きが鮮明に分かってしまって、何というか、もう、どうしようもない。そして最後にじゅ、と舌を吸われて、ようやく唇が離れた。唾液が橋のようにお互いの唇を繋いでいるのを見て、つい顔が赤くなる。しかしそれに反比例して藤咲はどんどん顔を青くしていった。おまけに、はあ、と深い息を吐く。彼の熱い息が耳にかかってびくついてしまうが、完全にそんな空気ではない。
「……まだ出会って三日しか経ってないのにこんなこと言うのもあれだけどさ、俺……お前とどう関わっていいか分かんないんだよ」
 藤咲はまるで懺悔をするように、ぽつぽつと呟いていく。声色が暗い。俯いているせいで藤咲の表情が読み取れない。俺は彼方先輩のように相手の思考を読むことは出来ないので、とりあえず藤咲の言葉を待った。
「俺は友達に気にかけてもらえたら嬉しいし、だから俺も出来ることなら何でもやってあげたいって思ってる」
「……はあ」
「でもお前はそうじゃないんだろ。反応で何となく分かる。……でもさ、俺にはこれしかないんだよ」
 分かってたのか。無意識だと思っていたから少しびっくりしてしまった。しかし、「俺にはこれしかない」という言葉がやけに引っかかって、首を傾げる。そんな俺の様子に気付いているのかいないのか、藤咲はようやく押さえつけていた俺の手首を離して、代わりに俺の両手をぎゅっと包み込むように握った。熱い。
「頼ってもらえないの、結構しんどい。同室だろ。影でこそこそ吐かれるよりは、入学式のときみたいにこうやってキスで魔力を渡される方が全然マシだ。身体に負担かからないし、俺も魔力貰えるし、悪いことじゃないだろ」
「そ、そうだけど……相手は男だぞ……」
「そんなの関係無い。俺も首突っ込みすぎないように気をつける。でも、俺だってお前の助けになりたいんだ。……拒絶はしないでほしい」
 要約すると、魔力が溜まったら俺とキスをして吐き出してくれ、ということらしい。力強く手を握られて泣きそうな顔でそんなことを言われてしまえば、「迷惑」だなんて言えなかった。本当はあまり人に借りを作りたくはないし、弱みを見せたくないのだ。藤咲が正義感溢れる性格なのと同じで、俺も人に助けを求めたくない性格だった。それだけだ。しかし彼が妥協している分、俺も妥協しなければいけないのかもしれない。さっきのキスのおかげで身体が軽くなったのは事実だし、頻繁に吐いてるせいで最近胃液が逆流することもよくある。まあ、俺を利用してくれって言ってたし……お互い都合の悪い提案でも無いし……
 この時にはもう考えるのが面倒臭くなっていた。拒否したってまた面倒なことになるだけだし、このままここにいたら授業に遅れてしまうかもしれない。仕方ない。腹を括るしかないのだ。
「うん……」
 言いたいことはたくさんあったが、何もかも諦めて頷いた。正直うざったいなって思うけど、それでもここまで俺のことを心配してくれて、何とかしたいと行動に移してくれる藤咲に、ちょっとだけ俺も当てられてしまったのかもしれない。



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