02



「……そろそろ行くか」
 そうして何となく気まずい空気が流れる中、藤咲はそう言ってようやく俺から離れる。握られていた手がすっと離れていったのでふと藤咲の顔を見れば、俺の視線に気付いた藤咲はへらっと笑った。先程の自身の行動に自分でも戸惑いを感じているのだろう。下手くそな愛想笑い。俺は「ああ」と返事をして、鞄を肩に掛け直す。
「それで、身体は大丈夫なのか?」
「……まあ」
 扉を開けてくれた藤咲と一緒に、寮内の廊下を歩く。寮内ではまだ生徒が何人か廊下を歩いていた。腕時計を見れば、まだ時間には余裕があるようだ。そう思いながら何となく隣を見ると、藤咲は腰を庇ってよたよた歩く俺を気にしてゆっくり歩いている。
「……」
 藤咲は優しい男だ。人のことをちゃんと見ているし、誰かが困っていたらすぐに手を差し延べてくれる。自分の部屋が分からなくて困っていた俺に気軽に声をかけてくれたし、重たい荷物も一つ持ってくれた。俺が方向音痴だと知ってからは心配して付いてきてくれようとしたし、今も俺の体調を気遣ってくれている。男同士のセックスを見せられ、後処理までさせられた後なのに、だ。きっと俺が相手じゃなければ皆感謝していただろう。だから藤咲もまさか感謝されこそすれ拒絶されるとは思ってもいなかったのだ。「お前とどう関わっていいか分かんない」との発言も、藤咲の気持ちを考えてみれば分からなくはなかった。
「……ごめん」
 ほろり。自然と謝罪の言葉が口から出ていた。さっきまで意地でも謝らなかった俺が突然謝ってきたので驚いたのだろう。藤咲は赤い目を見開いてじっと俺を見たあと、困ったように笑う。
「どうしたんだよ。お前らしくないな」
「いや……」
「謝らなくていいよ。人の性格なんてすぐには変わらないんだし。俺も水瀬も」
 だからこれから少しずつ距離感掴んでいこうぜ。そう続ける藤咲に俺は何も言えず、ただただこくんと頷く。あいつはこういう性格だから、と割り切れたら良いのにそれさえも上手くいかないのは、俺達がまだまだ子供だからなのだろう。藤咲の言う通り、性格というのはなかなか変わらない。きっとこれからも割り切れずに不器用に過ごしていくのだ。俺も藤咲も。多分。
「……」
 沈黙。お互いよく喋るタイプでは無いから、気まずい雰囲気を醸し出しながら無言のまま俺達は寮から出た。寮から校舎までは一本道が続いていて、五分ほどで辿り着くことが出来る。咲き乱れている桜の木が道を縁取るように何本も生えており、まるで桜のトンネルのようになっていた。ピンク色の花びらがちらちらと降っており、寂しげに道の端々に積もっている。
「足元ばっかり見てたら転ぶぞ」
 視線の位置に戸惑って、落ちてくる花びらを何となく見つめながら歩いていれば、藤咲はそう言って俺の腕を掴んで軽く引っ張った。突然触れられたことで思わずびくっと肩が揺れるが、さっきまで揉めていたことを考えると振り払える空気ではないので我慢する。ううむ。

「あ、隆一先輩。あれ、例の一年じゃないっすか?」

 なんて思っていたら、背後から低い声。隆一先輩。聞き覚えのある名前に首だけ振り向けば、二人の男がこちらを見ていた。出来れば見たくなかった顔。つい「げっ」と声が漏れる。
 血のような赤色の髪に長い襟足。切れ長の瞳と、吊り上がった眉。ぐちゃぐちゃに縛られた青いネクタイ。ギリギリまで下ろされたスラックス。どこからどう見ても不良な彼は、確か昨日の入学式を壊しにきた男たちの一人だ。そしてその隣に立っているのは、そいつらのリーダー格である神代隆一である。根元がすっかり黒くなってしまっている人工的な金髪に、強気な瞳の男らしい顔立ち。今日の彼は黒色のパーカーの上にジャケットを羽織っており、首元にはキラリと青色のネックレスが輝いていた。こんなに早く彼らに遭遇するとは思っていなくて、つい眉をひそめる。嫌な予感がした。
「ええと……神代隆一さんと、神宮寺逞さん?」
 無視して去ればいいのに藤咲は律儀に彼ら二人の名前を呼んで首を傾げる。俺の腕は掴んだままだ。対応するのは結構だが、俺を逃がしてからにしてほしい。そう思ってぐい、と藤咲の手から逃れようとするが思った以上に強く掴まれていて離れない。
 そんな俺の心情は露知らず、逞先輩は不機嫌そうに眉間に皺を寄せたと思いきや、突然「気安く呼んでんじゃねえよ!」と威嚇するように桜の木を力強く蹴った。花びらが大量に舞い落ちる。
「てめえ、よくも隆一先輩に恥をかかせやがったな!」
 激昂した逞先輩は大股で藤咲の元へ近寄り、グッと力強く藤咲の胸ぐらを掴んだ。それと同時に、藤咲は庇うように俺を後ろに突き飛ばす。逞先輩よりも藤咲の方が身長は若干高いが、それでも逞先輩は藤咲以上に力は強いようで、首が絞まる形になっている藤咲は苦しそうに呻き声をあげた。
「お前のせいで俺達の計画は滅茶苦茶だ! どうしてくれんだよ、ああ!?」
 キスが出来てしまうんじゃないかと思うくらいまで、逞先輩は藤咲に顔を近付けて怒鳴り散らす。興奮しているせいか一切周りを気にせずに叫ぶ逞先輩に何となく不愉快な気分になる。どうしようかな。そう思案していれば、ずっと黙っていた藤咲が突然ふっと鼻で笑った。
「本当に俺のせいですかね? 俺が手を出さなくても、いずれ捕まってたと思いますけど」
 だってあまりにも計画性が無さすぎましたよね。藤咲はそう嘲笑する。珍しく人を煽るような言い方をする藤咲に、俺は流石に冷や汗をかいた。ああ、もう、そんなこと言ったら絶対逞先輩キレるだろ。この人単純そうだし。なんて考えていたら思った通り逞先輩は青筋を立てて、「何だと!?」と空いている拳に力を込めた。うわ、うわ。こんなところで暴力沙汰はまずいって。
「や、止めましょうよ。もう授業始まりますし……」
 本当は藤咲を置いて逃げ出してしまいたかったが、微かに残る良心が痛んで、気付けば俺は逞先輩の腕を掴んでいた。しかしギロリと睨まれ、簡単に言葉が詰まる。だって目つきが悪すぎるのだ、この人は。まるで蛇に睨まれた蛙だった。
「んだよ、邪魔すんじゃねえよ。それとも、何だ? てめえが責任取んのか?」
「いや、そういうつもりでは……」
「なら首突っ込むんじゃねえよ! 殺すぞ!」
 血の気が多いな。意地でも藤咲の胸ぐらから手を離さない逞先輩に何とも言えない気分になり、俺は説得することを諦める。このままでは本当に授業に遅れてしまうし、何より無駄に殴られるのはごめんだ。怪我が増える。俺は苦笑を零しながら先輩から手を離した。殺されたくはない。大人しく俺だけ校舎へ逃げよう。そう思って彼らの横を通り過ぎようとしたときだった。
「……ん?」
 彼は突然何を思ったのか、藤咲の胸ぐらは掴んだまま反対の手で俺の腕を掴み返して自身の方へ引っ張った。彼から離れようとしていた俺の身体は不意打ちを食らって、そしてそのまま先輩の胸元へダイブする。邪魔するなと言っておいて、どうしたんだ。情緒不安定か? なんて怪訝に思っていると。
「お前、変な匂いするな」
 ――は!? 首元に顔を埋められ、すん、と匂いを嗅がれる。変な匂いって何だ。お前のほうがよっぽど変な匂いしてる。匂いのキツい香水をつけている先輩にそう言い返したくなるがそれをぐっと堪えて、距離を取ろうと先輩の胸板を押す。思ったより簡単に離れて拍子抜けするが、それよりも真面目な顔をしてこちらをじっと見つめる逞先輩に嫌な予感がした。そういえば彼方先輩のときも匂いでバレてしまったのだ。俺が魔力を溜め込んでいるということが知られたら厄介なことになるに違いない。まずい。何とかして誤魔化さなければ。普段使わない頭をフル回転させる。ええと、ええと。
「なあ、お前――」
 逞先輩の口が開く。ああ、こんな時に限って何も思いつかない! 藤咲も焦ったのか「おい!」と逞先輩に声をかけるが、彼は全く聞く耳を持たない。どうしよう。どうしよう。そう困っている時だった。
「こんなことしてる場合じゃねえだろ。早く連れていくぞ」
 さっきまで高みの見物をしていた隆一先輩がようやく声を出した。面倒臭そうにがしがしと頭を掻いて、彼は俺達を見下ろす。身長は俺とそこまで変わらないはずなのに、随分高いところから見下ろされているようだ。会長とはまた違ったカリスマ性を彼から感じて、つい口を閉ざす。
「は、はい。こいつだけでいいですか?」
「はあ? そいつもだよ。永久に告げ口されても困るからな」
 永久、って会長のことか。なんてぼうっと考えていたが、今とんでもないことを言われた気がする。――連れて行かれるって、俺も?



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