04



「ふ、何だよ。心配してくれてんのか?」
 そんなことを考えながらぼうっと彼方先輩を見つめていたら、彼方先輩はいつものようににたりと笑って俺をからかう。心配ってほどでもないけど、まあ、確かに少し気にしていた。言い当てられて何となく恥ずかしい気持ちになるが、今更否定しても誤魔化せないので、俺は開き直って無言で彼を見つめ続ける。そんな俺を見て、先輩は珍しく呆れたように苦笑を零した。
「……別に、大した関係じゃねえよ。中等部からずっと一緒だったってだけで」
「……」
「それより、殴られたところ大丈夫か? あいつそこまで力強くねえから大丈夫だとは思うんだけど」
 彼方先輩はそう言いながら俺の頬に触れる。あまり触れられたくない話題だったのだろう。話を逸らされた。そう思う前に頬にピリッと痛みが走って、俺は思わず顔をしかめた。
 そこまで力が強くないって言ったって、それは彼方先輩視点の話であって、俺からしたら物凄く力が強かった。筋トレでもすればいいのだろうか。そしたら今回も藤咲や彼方先輩に助けられることなく、自分で何とか出来たのかもしれない。なんて考えていたら、突然誰かにぐいっと肩を掴まれて後ろに引っ張られた。彼方先輩の手が頬から離れる。きょとんとした彼方先輩の表情。
「水瀬に近付かないでもらえません? 変態が移るんで」
 俺と彼方先輩を引き離したのは、不機嫌なオーラを一切隠そうとしない藤咲だった。藤咲は俺を守るように前に立ち塞がり、彼方先輩にそう吐き捨てる。二つ上の先輩に向かって辛辣な言葉を投げかける彼に流石にビビるが、彼方先輩は怒る様子も見せず、寧ろ楽しそうに「へえ」と笑ってみせた。心が広いというか、何というか。
「そんな寂しいこと言うなよ。ええと、何だっけ? 名前」
「……俺が教えるとでも?」
「ははは。まあ、知ってるんだけどな。藤咲くん」
 首にかけているヘッドフォンを弄りながらけらけら笑う彼方先輩に、藤咲は大きく舌打ちをする。おまけに彼方先輩は「慧ちゃんが何度も呼ぶから覚えちゃったよ」なんて余計なことまで言うから、慌てて藤咲から目を逸らして近くにある桜の木を眺めた。感じる視線。別に教えたくて教えたわけじゃない。心の中を読まれてしまっただけだ。不可抗力。俺は悪くない。多分。
「つーか、そんなに嫌わなくてもよくねえ? 寧ろ好かれてもいいと思ってるんだけど」
「は? 水瀬を襲っておいて何を言ってるんですか?」
「だって良いお仕事あげただろ? どうだった? 慧ちゃんのナカは」
 桜が綺麗だなあ、なんて現実逃避していたときだった。突然俺の名前が出されたと思えば、とんでもないことを言われていた。素早く顔を上げて彼方先輩の表情を確認すれば、ご機嫌そうに笑みを浮かべている。あえて避けていた話題をほじくり返す先輩に思わず殺意が沸いた。全く関係無い同室者に後処理をさせただなんて気まずくて仕方なくて、お互いなるべく触れないようにしていたのに……!
「慧ちゃんのナカ、溶けそうなくらい熱かっただろ? 処女だからか、すっげえ狭くてさ……ぎゅっと俺のちんこ離してくんねえの。前立腺こすったらびくびく震えちゃって。……気持ちよさそうにとろけた慧ちゃんの顔、思い出しただけで射精しそう」
 腰にくる甘い声。情事を思い出して、カッと顔に熱が集まる。そんなの藤咲にわざわざ言わなくてもいいのに! 生々しい話題に耐えられなくなって、「や、やめてください……!」と彼方先輩の元へ駆け寄って腕を掴む。それでも彼方先輩のどろりと溶けた欲情した赤い目に捉えられると、途端に何も言えなくなってしまった。うう、ずるい。
「なあ……慧ちゃんもまた挿れられたいんじゃねえの? 俺の大きいちんこで、奥突かれたいだろ? ほら、ここ……」
 そして気付けば逆にぐいっと腕を引っ張られ、後ろから覆いかぶさるように抱きしめられる。耳元で囁かれて、思わず俺は身体を縮こませた。甘い匂いのせいで頭が働かない。このまま流されてもいいかなって思っちゃうから嫌だ。そしてとどめに彼方先輩は俺の腹部をぐっと圧迫する。
「うう……や、やだ……っ」
「やだとか言って、満更でもないんだろ? 可愛い顔してる」
 そう言いながら先輩は俺の耳を舐め、スラックス越しに俺の後孔に触れる。直接触れているわけでもないのに、びくびくと身体が震えた。いやいやいや。ここ、外なんですけど! それなのにこのまま触れられていたいという気持ちが確かにあって、言い返せない。俺の腹に回っている彼方先輩の腕に縋るようにぎゅっと掴む。もうやだ。どうしよう。はあ、と熱い息を吐いた。その時だ。
「いって!」
 彼方先輩の大きな声が聞こえたと思ったら、背後の体温が消えた。急いで後ろを見れば、さっきまで黙っていた藤咲が彼方先輩の横腹に蹴りを入れている。藤咲の背後にどす黒いオーラが見えたような気がして、息を呑んだ。さっきから藤咲の機嫌が悪い。
「本当ふざけんなよ! それ以上するなら去勢してやるからな!」
 はー、はー、と息を荒くしながらそう彼方先輩に怒鳴り散らす藤咲。若干顔が赤い。そんな藤咲を見て、彼方先輩は蹴られた腹を押さえながら「それが本性かよ。面白いな」と笑った。
「何が面白いんだよ! 次水瀬に手出したらマジで殺してやる!」
「まあまあ、落ち着けって。血管切れるぞ」
「てめえが煽ってくるんだろ!」
 もう敬語すら使わなくなっている。藤咲は本気で怒っているようだが、彼方先輩は藤咲をからかっているだけだ。完全に藤咲で遊んでいる。そろそろ止めてくれないと流石に藤咲が可哀想だ。なんて思っていると先輩は俺の考えを読んでくれたのか、自身を落ち着かせるように息を吐く。
「……ま、からかうのはこの辺で止めておくとして」
 そう前置きをして、彼方先輩は真顔で真っ直ぐ俺を見つめた。
「俺が言うのもなんだけどさ、慧ちゃんは厄介な異能持ってんだからなるべく目立たないようにしろよ。利用されるのが目に見えてるからな」
 本当にお前が言うなって感じだが、茶化すような雰囲気でもないので無言で彼の言葉を聞く。厄介な異能。やはり先輩からもそう見えるようだ。少し複雑な気持ちになりながらその発言にこくりと頷くと、先輩は満足気に俺の頭を撫でる。
「何かあったら風紀委員会室にでも来いよ。匿うくらいはしてやるからさ」
 そう言って彼方先輩は俺の頭から手を離し、ヘッドフォンを耳に付け直す。そして俺の返事を聞かないまま、校舎に向かって歩き始めた。
「……」
 甘い匂いが離れていってしまって、少し寂しく感じてしまう。そう思ってつい彼方先輩を目で追っていると、藤咲がすっと横に立った。視線を移せば、むすっとした表情で俺を見ている。
「あまりあいつ信用すんなよ。初対面の男を廊下で襲うような男だぞ」
「うーん……まあ、そうなんだけどさ……」
「さっきも全然抵抗しなかったよな。何? 絆されてんの?」
 そう言われてしまうと言葉に詰まる。絆されてるのかな。そうなのかも。だってあの甘い匂いを嗅ぐと、何もかもどうでもよくなって身体を任せたくなってしまうのだ。別に俺は貞操観念が高いわけでもないから、一度やってしまえば二度も三度も変わらないのかななんて結構本気で思ってしまう。言わないけど。
「……もう流石に遅刻する」
 俺は鞄を肩にかけ直して、歩き始める。今まで上手く話を逸らせたことなど無いが、それにしてもあからさますぎたかなと藤咲を横目で確認すれば、藤咲は「……そうだな」と深く突っ込むことなく歩を進めた。



ALICE+