06



 ――それから俺達はホームルームを終えて、早速授業を受けることになった。異能関連の授業はまだ先らしく、今は国語や数学といった一般的な科目だけだ。四月のこの時点では授業もほとんど中学校の復習で、正直面白くない。俺は頬杖を付きながら、目の前にあるぴょんぴょんと跳ねている茶髪をぼーっと見つめていた。
 この学園に来てもう三日が経った。いや、まだ三日しか経っていなかった。それなのに目立たないでこっそり生きていきたいという俺の願望は、もう既に叶いそうにない。先程の出来事を思い出しながら、俺は小さく溜め息を吐く。まあ、自分が異端者だと知った瞬間からこれから平凡に生きることは無理だろうと悟ってはいたが、それにしてもここまでとは思わなかった。
 そもそも自分が異端者だと知ったのは極々最近である。それまでは異端者の存在すら知らず、のほほんと学校生活を送っていた。それなのに、まさかこんなことになるとはなあ……。診断結果が送られてきたときのことを思い出してげんなりする。別に一般人として生きていた頃が幸せだったとは思わないが、それでも確実に今よりはマシだろう。一応昨日まで貞操を奪われることは無かったわけだし。
 なんて色々思い返していると、チャイムの音が教室中に響き渡る。顔を上げればさっきまで授業をしていたはずの教員は気付いたら教室の外に出ていて、周りの生徒もぞろぞろと席を立っていた。椅子を引く音が不愉快で、つい顔をしかめる。もう昼休みらしい。俺は無意識にゆっくり息を吐いた。
「授業、思ったよりつまんなかったなあ。まあ、最初はこんなもんか」
 そんな俺に直都は後ろを振り向いてそう話しかける。明るい声で話しているが、若干頬が赤くなっているから多分授業中寝ていたんだろう。少し笑いながら「そうだな」と適当に返事をして、俺は席を立った。腹が減った。そんな俺を見て、直都は不思議そうに瞬きを繰り返す。
「食堂行くの?」
「……いや、購買」
「へえ。……気をつけてね」
 気をつける。何に、とは聞かなかった。うるさいと一蹴することも出来なかった。――その言葉にどんな意味を含ませているのか分かってしまったからだ。
「……」
 そんなの、言われなくても分かってる。二度も掘られてたまるか。俺の不注意でまたあんな目に遭うのはもう懲り懲りだ。だがそれを言葉にすることなく、ただ彼の言葉にうん、と頷く。しかし話しかけてきたのはそっちのくせに直都はもう俺への興味が失せたようで、俺の返事も聞かず喜々として弁当の蓋を開けていた。……本当そういうところあるよな、こいつ。
「なあ、水瀬も食堂行くの?」
 直都に対して苛立ちを通り越して呆れていると、そう後ろから声をかけられた。聞き覚えのありすぎる声。「いや」と素っ気なく返事をしながら振り向けば、予想通り後ろには藤咲が立っていた。その言葉を聞いた彼は「じゃあ購買? 俺も行こうかな」と呟く。
「別に俺に合わせなくてもいいけど」
「一人じゃ寂しいんだよ」
 一人で食堂も行けないって女子かよ。俺以外に友達作ればいいのに。そう思っていたら藤咲はもう直都の弁当に興味を移したようで、「直都は弁当なんだ? 凄いな」と彼の弁当を覗き込んでいる。つられて俺も見れば、直都の弁当は意外にもバランスがしっかり取れていて色味も鮮やかだった。確かに凄いな。俺が作ったら多分茶色になる。作ったことないけど。直都の意外な特技を知った気がする、とじろじろ見ていると、俺達二人の視線に気付いた直都は顔を上げて、むす、と少し不満げな表情をしながら口を開いた。
「別に……夜ご飯の残りとか冷凍食品とか詰めてるだけだけど」
「いやいや、それでも凄いよ。俺ギリギリまで寝ていたいもん」
「何だよ、褒めても何も出ないよ。とっとと購買行ってくれば?」
 直都は眉間に皺を寄せながら、シッシッと俺達を追い払う。照れ隠しとかではなく本当に嫌がっているようだ。褒められるのが嫌なタイプなんだろうか。これ以上話していても直都の機嫌を損ねるだけな気がしたので、俺は藤咲の制服の裾をぐいっと引っ張った。
「ん? ああ……そろそろ行くか。じゃあな、直都」
「はいはい」
 俺の気持ちを悟った藤咲は代わりに直都にそう挨拶をして、俺達はそのまま教室の扉へと向かった。生徒たちはほとんど教室から出ており、直都のように弁当を作って持ってきている人はごく一部だった。かかるお金はどれだけ変わるんだろう。自炊すればいくらか節約出来るんだろうか。そう考えていれば、藤咲も同じようなことを考えていたのだろう。隣でぼそっと「俺も明日から弁当にしようかな」と呟いていた。
「……作れるの?」
「まあ、人並み? あ、水瀬の分も作ろうか?」
「いいよ、別に……面倒臭いだろ」
「一人分も二人分も変わらないよ。……放課後、弁当箱買ってこようかな」
 ……ううん。真顔で言うから本当なのか冗談なのか分からない。でも藤咲は普段冗談を言うようなタイプではないし、本当に作る気なのだろうか。一応断りはしたが、するっと流されて自然と作ってもらう流れになってしまった。……まあ、作ってもらうだけなら別にいいか。藤咲が勝手にやってることだし。そう自己完結させて、返事をしないまま教室の扉を開けようと手を伸ばしたが。
「うわっ」
 その前に勝手に扉が開いた。視界に入ったのは、青いラインが入った履き潰された上靴。あれ、この学園の教室の扉って自動ドアだったっけ? なんてとぼける間もなく。
「よお……さっきぶりだなあ?」
 ひゅっ、と喉が鳴る。聞き覚えのある低い声に、一瞬心臓が止まった気がした。
「……」
 恐る恐る視線を上げて確認してみると、そこに立っていたのは朝にも出会った赤髪の男――神宮寺逞だった。そいつは扉に手をかけ、出入り口を塞いで悪者のようにニヤリと笑う。まるで親の仇を見つけたような恐ろしい表情。走ってきたのだろうか。汗をかいているし、息も荒い。嫌な予感がした。
「な、なんで……」
「何でって、お前らを連れてきたに決まってんだろ。あのまま泣き寝入り出来るかよ」
 一度だけじゃなく二度までも隆一先輩に恥をかかせやがって。そう続けた逞先輩は、俺の腕を掴もうと手を伸ばす。しかしその手はパシンッと藤咲に跳ね除けられ、宙を泳いだ。
「止めてください。俺達を連れて行って何をするつもりなんですか?」
 藤咲は俺を庇うように前に立ち、逞先輩を睨みつける。女を守るように立つ藤咲に何とも思わないわけではないが、まあ、庇ってもらえるに越したことはない。黙って逞先輩を見つめていれば、逞先輩は大きく舌打ちをして思い切り壁を蹴りつけた。
「んなの俺が知ったこっちゃねえよ! 隆一先輩が連れてこいって言うんだ。文句言わずにさっさと付いてこい!」
「は? 嫌です。何をされるかも分からないまま、付いていけるわけないでしょう」
「うだうだ言ってんじゃねえ! 面倒臭えな!」
 そう言って逞先輩は衝動に任せて藤咲の顔面を殴ろうと腕を振り上げる。――うわ、暴力。あの力で顔面なんて殴られたら流石に流血沙汰だ。そうは思うが俺が藤咲を助けられるとも思えなかったので、俺はただ逃げるようにぎゅっと目を閉じた。



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