09



「二人ともそこのソファーに座っていいからね」
 そう言った壱琉先輩が指を差している生徒会室の中央を見ると、そこには三人用のソファーが二つ置かれていた。そしてその間にはローテーブル。休憩用のスペースらしい。左側のソファーには男が座ってパンを食べているので、俺達は向かいのソファーに座れということだろう。うう。完全にアウェイな雰囲気である。俺達のことなんて気にせずいつも通り会話してくれて構わないのに、何故か全員無言だし。何だか、俺達を観察しているようだった。緊張する。あまり見ないでほしい。俺はなるべく彼らと顔を合わせないように俯きながら、藤咲に続いてソファーが置かれているところへ歩いていった。
「あ、こいつ、廊下でヤってた奴じゃん」
 そして沈黙の中、そんな言葉が生徒会室に響く。
「えっ……」
 頭が真っ白になる。俺に対しての言葉だ。すぐに分かった。急いで声が聞こえてきた後方を振り返れば、そこにはアッシュグレーのストレートマッシュの男。陶器のような白い肌に、薄桃色に染まった薄い唇。新緑の色をした瞳。どちらかといえば綺麗めな顔立ちをしているが、そんな儚い印象を崩すように何個もゴツい指輪やネックレスを付けていた。ピアスも両耳に大量に付けていて何だか痛々しい。――何で、そんなこと。まさか見られていたのだろうか。心臓がバクバクと煩い。誤魔化すようにぱちくりと目を瞠る。すると彼はゆっくり俺に近付いて、背後からガシッと俺の腰を掴んだ。
「ひっ……」
「なあ、俺とも一発どう? 絶対あいつより上手い自信あるんだけど、俺」
 そしてそのまま彼は自身の股間を俺の尻に押し付け、腰を振る。セックスを彷彿させるような動き。振動が後孔に伝わってきて、思わず声が出そうになった。な、なになになに。何で俺こんなセクハラまがいなことされてるの。しかもこの人若干勃ってる気がするし。
「や……やだ……っ」
 ふるふると首を横に振る。何故か力が入らなくて彼を突き放すことも出来なかった。早く助けてほしくて、掴んだままの藤咲の制服の裾をぐいっと引っ張る。思考停止していたのだろう。ぼうっと俺達を見ていた藤咲は我に返って、「ちょ、ちょっと」と俺と彼の間に割り込もうとし――それを抑えるように、外野から「拓人」と低い声が飛んできた。背後の男の動きが止まる。
「永久の前だぞ。殴られたいのか?」
 そう脅迫まがいの注意をしたのは、会長の隣の席に座って書類整理をしていた副会長だった。威嚇するようにトントンと指で机を叩く副会長。そんな副会長にギロリと睨みつけられた彼は一瞬驚いた表情を見せるがすぐに面倒臭そうに眉をひそめて、渋々俺から手を離した。おまけに溜め息。
「んだよ、可愛い冗談だろ。本当過保護だよな、副会長は」
「うるさい。黙って座っていろ」
 そう言い放った副会長に、彼はやれやれと肩をすくめて既に男が座っていたソファーにどっかり座る。そしてそんな彼らを微笑みながら見ていた会長は、空気の流れを変えるように「ごめんね、うるさくて。座って座って」と俺達にソファーを示した。立ちっぱなしだった俺達は「は、はい」とその言葉にありがたく甘えて、空いているソファーに腰を下ろす。あー、やっと座れた。
「大丈夫? ごめん、助けてあげられなくて」
 一人疲れきった足を癒していると、隣に座った藤咲が身体を寄せて耳元でそう囁く。
「あー……いや、うん……」
 ああ、さっきの……。藤咲のせいでさっき男にされたことを思い出してしまって、俺は視線を泳がせながら歯切れ悪く返事をする。話の内容が内容だったから目を合わせられずに頷くしか出来ない。まあ、突っ込まれたわけではないし、相手にとっては冗談らしいし。正直結構怖かったが、わざわざ言うことではないだろう。一応「大丈夫」と付け加えて何となく会長に視線を移せば、視線に気付いた会長はにこやかに「折角来たんだし、自己紹介でもする? 」と問いかけた。
「いいね、賛成! 俺はさっき自己紹介したから、侑玖くんから行こうよ」
 壱琉先輩は俺達が座っているソファーの肘掛けに腰を下ろしてそう提案する。無茶振りをされた"侑玖くん"とは、さっきから正面のソファーに座ってパンを食べている彼のことらしい。彼はパンから視線を移し、心底嫌そうに表情を歪める。
「……春原侑玖。庶務」
 群青色の髪色をしたウルフカットの男は、怠そうにそれだけを伝えた。眠そうに細められた黒い瞳。シンプルな青色のピアスがキラリと両耳で輝いている。ジャケットもネクタイも身につけておらず、ワイシャツとスラックスのみの服装。ここまでラフな格好をしている人は今のところ見たことがなくて、一見真面目で大人しそうに見えるのに意外とマイペースな人なんだなと思った。あの彼方先輩だってちゃんとジャケットは着ているし、ネクタイも付けている。
「侑玖くんはいつも怠そうだけど、話しかけたらちゃんと答えてくれるいい人だよ。大抵放課後は正面玄関で来客用のスリッパ磨いてるよね」
「……まあ」
 壱琉先輩に話しかけられ、侑玖先輩はパンを貪りながら適当にそう答える。声を発するのも面倒臭そうだ。人付き合いが苦手なのだろうか。そう思っていれば、彼の隣に座っているセクハラ男は何を思ったのか、突然侑玖先輩の肩に腕を回して彼を引き寄せた。
「じゃあ、俺の靴も頼んだら磨いてくれんの?」
 じゃあ、って何だ。その言葉を聞いて素直に迷惑そうな表情をした侑玖先輩は、何を言うわけでもなく彼を無視して食事を続ける。彼は多分誰かに絡みたいだけなのだろう。「無視すんなよ、純粋な疑問だろ」と拗ねた声を出したと思いきや、何故かするりと侑玖先輩のYシャツの隙間に手を差し込み、セクハラをかました。その瞬間、侑玖先輩の肘が見事に彼の鳩尾にクリーンヒット。
「いってえ!」
「食事の邪魔するな」
 仲がいいのか悪いのか分かんないな。苦笑するしか出来ないでいると、壱琉先輩は話を遮るように「じゃあ次は拓人くんね」と促す。相当痛かったのか涙目な彼は何とか体勢を整えて、俺達をちらりと見た。
「ああ、自己紹介ね……んーと、穂高拓人。十七歳。趣味は嫌がる男を無理矢理押さえつけることで、特技は周りの人に嫌われることです。書記やってまーす。よろしく」
 随分緩い挨拶だな。色々と突っ込みたいところはあるが、指摘してしまえば変に絡まれそうなので愛想笑いで誤魔化しておく。こんな奴が書記の仕事をしていると思うと、世も末だなと感じた。藤咲は相当呆れているようで無表情である。多分拓人先輩は藤咲にとって苦手なタイプなのだろう。壱琉先輩もそこから話を広げる気は無いらしく、「相変わらずだねえ」と笑ってから副会長に視線を向けた。それに気付いた副会長は仕方ないと言わんばかりに溜め息を吐く。
「自己紹介なんてしても今後深く関わっていくとは思えないけどな……まあ、いい。入学式でも顔を合わせていると思うが、副会長の三影叶吾だ。よろしく」
 背もたれに背中を預けながら、面倒臭そうに自己紹介をする副会長。会長以外どうでもいいって感じだ。あまり歓迎されていないらしい。まあ、当たり前か。ゆっくり出来るはずだった昼休みを見知らぬ一年に邪魔されてしまったんだから。
 というか今思えば、俺達初日に会長と副会長に会ってたんだっけ。食堂で会長にぶつかってしまって、副会長に思い切り睨まれたんだった。今の今まで忘れていたが、副会長は覚えているんだろうか。あまり覚えていてほしくないけど。そう思いながら副会長の言葉にぺこりと頭を下げれば、副会長は目を細めてジッと俺を見つめていた。



ALICE+