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「また永久にぶつかるようなことがあったらただじゃ置かないからな」
 やはり覚えられていたらしい。ちょっとぶつかっただけなのに。あの日のようにギロリと睨まれて、思わず肩が上がる。ただじゃおかない、って一体何をするつもりなのだろうか。
「ああ、あの時の食堂の子かぁ。全然気付かなかったよ」
 そんな物騒なことを言う副会長の言葉を聞いて、会長も思い出したように顔を上げた。ぶつかられた本人はすっかり忘れていたようだ。この人は相変わらず何を考えているのか分からないな。掘り返されたくない話題に俺は居た堪れなくなり、身を縮こませて「す、すみません……」と謝ることしか出来ない。そんな俺を見て「いいよ、気にしないで」と会長は続ける。
「それで、ええと……自己紹介だったよね。入学式でも挨拶したから分かると思うけど、俺は月之宮永久って言います。一応会長やってるけど、そこまで畏まらなくていいからね。気軽に声をかけてくれると嬉しいな。よろしくね」
「は、はい」
「生徒会室は一般生徒が入っちゃいけないっていうルールは無いし、今回みたいに困ったら隠れ場所に使ってくれても構わないから」
 会長はそう言って俺にふわりと微笑みかける。入学して今日まで散々な目に遭い続けてきたからか、そんな優しい言葉に少し感動してしまった。いい人だ。いい人すぎる。
 しかし、それとこれとは話が別である。使えと言われても、今後生徒会室にお邪魔する日は二度と来ないだろう。生徒会という目立つメンバーに関われば、今以上に面倒なことに巻き込まれる可能性があるからだ。これ以上危ない橋は渡りたくない。そう思って会長の言葉に敢えて返事はせずにへらりと愛想笑いを浮かべていると、肘掛けに座っている壱琉先輩は「でもさあ」と会長に声をかけた。
「大丈夫なの? さっきは俺が助けられたから良かったけど、これから毎日逞くんたちと鬼ごっこするわけにもいかないよねえ?」
 鬼ごっこと言うにはお互い本気すぎるが、確かに壱琉先輩の言うとおりだ。生徒会室にいる今は良いが、それこそこのまま昼休みが終わって生徒会室から出たら、また鬼ごっこが始まるかもしれない。逞先輩がいつ追いかけてくるか分からないまま毎日を過ごすのは、想像するだけでもストレスになる。とっとと諦めてくれればいいが、それも望みは薄いだろう。そうなれば俺達が何か行動を起こさなければいけなくなるわけだが。
「うーん。それはそうなんだけど」
 解決策はすぐには思いつかなかった。会長もそうなのだろう。箸を持ったまま、視線を宙に泳がせている。そして、沈黙。
「……」
 気まずい。俺達のために悩んでくれるのは有難いが、この空気には耐えられそうにない。拓人先輩は全く興味が無さそうにぼーっと俺達を見ているし、侑玖先輩は腹を満たして満足したのか腕を組んで眠っている。副会長なんて何故か不機嫌そうに顔をしかめていた。ううむ。
「そもそも俺は昔からあいつらのことは気に食わなかったんだ。この機会にぶっ潰してしまえばいいんじゃないか?」
 そして沈黙の中、ようやく声が生徒会室に響く。こんな物騒なことを言っているのはもちろん副会長だ。機嫌が悪いらしい副会長はペンを手先で弄びながら苛立ちを隠そうとせずにそう言い放つ。ぶっ潰すって。
「止めてよ。俺、隆一くんが俺に殺意向けてる顔結構好きなんだから」
「それだけの理由で一年を危険な目に遭わせるのか? 目的のためなら手段を選ばない奴等だぞ」
「まあ、それはそうなんだけど……」
 そう会長と副会長が言い合っている――と言ってもほとんど副会長が会長を詰っているようなものだが――、そのときだ。退屈そうにしていた拓人先輩はソファーに座りながら「分かった分かった」とようやく二人を宥める。
「狙われてるのは初くんだけなんだろ? なら庶務枠一つ空いてるし、生徒会に入ればいいんじゃねーの? そしたらあいつらも簡単に手出せないだろ」
「えっ?」
 生徒会に藤咲が入る? 突然の提案に驚いて、思わず話に関係ない俺が声を出してしまった。恥ずかしくなって、急いで口を手で押さえる。藤咲もまさか自分が生徒会に勧誘されるとは思ってもいなかったのだろう。状況を未だ把握できていないのか隣でぽかんと口を開けていた。そんな中、壱琉先輩は「それいい!」と嬉しそうに立ち上がる。
「昼休みとか放課後とか生徒会室にいてくれたら俺達も守れるしねえ。それに庶務の仕事も今のところ侑玖くんが全部やってるから、初くんが入ってくれたらきっと楽になるよお」
 ね、侑玖くん。壱琉先輩が侑玖先輩にそう話を振れば、侑玖先輩は閉じていた目を面倒臭そうに開けた。
「……別に今も一人で出来てるけど」
「でも二人だったらもっと楽でしょ? 仕事はいくらでもあるもん」
 壱琉先輩は拓人先輩の案に賛成らしい。何故かテンションが上がっている彼の言葉に侑玖先輩は返事をするのも面倒臭そうで、無言で会長をちらりと見る。どっちでもいいと言いたげだ。会長はその視線に気付いて、「なるほど」と藤咲を見る。
「俺も良い案だと思うよ。どうかな? もともといつかは一年から募集かけるつもりだったし、君さえ良ければ入ってみない?」
 会長の言葉に、一気に藤咲に視線が集まる。俺も藤咲を見れば、藤咲は困ったような表情をして俺と顔を合わせた。先輩からの直々の勧誘に、どう返事をしたらいいのか分からないのだ。
 正直俺は藤咲が生徒会に入ろうが入らまいがどっちでもいいのだが、まあ、入るのであれば少し面倒臭いことになりそうだなとは思う。イケメンで異能の才能もあって、それに加えて生徒会メンバーとなると絶対目立つだろう。ただでさえ入学式で色々やらかしてるのに。まあ、俺もやらかしてるけど。そう思いながら藤咲を見つめていると、返答を急かされているように思ったのか藤咲は「あー……」と唸りながら、目を泳がせた。
「えっと……」
「うん?」
 はっきりしない藤咲の言葉にも、会長は怒ることなく穏やかに待つ。――そして、数分。ようやく答えを決めたのか、藤咲は顔を上げた。ぴり、と緊張が走る。そして、

「ありがたいお言葉ですが、止めておきます」

 思った以上に通った藤咲のその言葉に、「えっ?」と壱琉先輩の声が被せられた。予想していたのか全く驚いた様子を見せない会長は、微笑みながら「どうして?」と首を傾げる。副会長は「だろうな」と言いたげに頬杖を付きながら藤咲を眺めていた。まあ、俺も藤咲ならそう言うんじゃないかとは思っていた。
「いや……俺、生徒会に入れるほど出来た人間じゃないですし……」
「そうかな。君の異能の能力は高いし、それ以上に人のために動けるところを俺は評価しているんだけど」
 会長は入学式の出来事のことを言っているのだろう。そう言われた藤咲は照れることもなく、「そんなことないです」と困ったように返す。
「……それに、俺だけ安全なところにいるわけにもいかないし」
「うん」
「俺が生徒会に入ったところで、水瀬は危険なままじゃないですか」
 そう言って藤咲はちらりと俺を横目で見る。まさか俺の名前が出るとは思ってもいなかったので、少しびっくりした。自分のことだけ考えていればいいのに、こういう時も何故か俺のことを一番に考えるんだもんなあ、こいつ。俺だったら絶対自分が助かる方を選ぶのに。会長も流石に藤咲の言葉に驚いたようでぱちくりと目を瞬かせ、興味深そうに俺を見た。そんな会長の反応に対して無視を決め込んで、 藤咲は言葉を続ける。
「俺のせいで巻き込んじゃったのに、俺だけ助かるわけにも行かないですよ」
「ああ……それなら大丈夫だよ。慧くんも生徒会が守るし」
「いえ、それだと違うかなって」
 違う? 何のことを言っているのか分からなくて、俺は藤咲の横顔を眺める。同じ気持ちであろう会長は何も言わず、首を傾げるだけで藤咲の次の言葉を促した。しかし藤咲は会長から目を逸らし、自分の両手を見つめている。言うか言わないか迷っているようだった。



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