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「なに」
 勿体ぶらないで早く言ってくれればいいのに。そう思って黙っている藤咲を急かせば、藤咲は俺を横目で見て「あー、いや」と口篭る。言いにくいらしい。そしてやっと「お前絶対引くから」と小さく呟いたと思ったら、彼は覚悟を決めたように顔を上げた。引くようなことを言うつもりなのだろうか。そう思って首を傾げていれば、

「俺が、守りたいんです」

 水瀬のこと。そう続けた藤咲に、ちょっと引いた。
 沈黙が続く。藤咲の言葉を聞いた皆が何を考えているのかは分からない。俺みたいに何を言ったらいいのか分からなくて黙ってるのかもしれないし、ただそのあとの藤咲の言葉を待っているだけかもしれない。そもそも藤咲の話なんて興味もなくて聞いていなかったのかもしれなかった。そんな理由の分からない沈黙に藤咲は耐えられなかったらしく、慌てて言い訳を並べようと口を開く。
「ち、違うんです。そういう意味じゃなくて、俺が招いたことだから俺が責任取らなきゃいけないって思って、それに同室者だし同じクラスだし、水瀬に一番近いの俺だと思うから」
「うん。別に疑ってるわけじゃないよ。大丈夫」
 そう早口で捲し立てる藤咲を安心させるように、会長はふわりと笑みを浮かべた。それを見て、藤咲はほっと息をつく。
「……えーと。だから、皆さんに気にかけてもらえるのはありがたいですけど、でも、その……」
 すみません。その場に響くのは、藤咲の力の無い言葉だけ。何とも言えないこの謎の空気のせいで何だか居心地が悪かった。それはただの傍観者である俺だから感じるのかもしれないけど。
「あーあ、断られちゃったあ。残念」
 そしてそんな鬱々とした雰囲気をわざと大きな声を出して壊したのは、一番乗り気だった壱琉先輩だ。先輩はうーん、と背筋を伸ばして侑玖先輩に視線を向ける。侑玖先輩はそんな壱琉先輩に呆れたように「お前本気で言ってたの」と言い返した。
「もちろん本気だよ。侑玖くんが楽になるかもしれなかったんだよ? でもまあ、初くんがそう言うなら仕方ないよねえ」
 壱琉先輩は藤咲をちらりと見て、肩を竦めて苦笑する。確かに先輩は藤咲が生徒会に入ってくれればいいと本気で思っていたようだが、駄々をこねるほど子供では無かったらしい。ちなみに提案を断られた会長の方はというと穏やかに微笑みながら「大丈夫だよ。気にしないで」と気を遣ってくれていた。
「あ、あの……ほんと、声をかけていただけたのは嬉しかったんですけど」
「ふふ、仕方ないよ。それが君の気持ちなら大切にすると良い」
「……すみません」
「謝らないで。入ってくれたらいいなあとは思っていたけど、正直俺だってあまり期待はしてなかったし。……侑玖だって一人でも十分やっていけてるでしょ?」
 会長はそう言いながら藤咲から侑玖先輩へと視線を移す。侑玖先輩は突然会長に話を振られたせいか居た堪れなさそうに会長から視線を逸らして、「まあ」とだけ答えた。……会長のこと、苦手なのだろうか。少し疑問に思うが、そんなことを気にするほど俺は彼らとは仲良くないので気にしないことにする。会長も侑玖先輩の態度を気にも留めずに藤咲に「ね?」と微笑み返していた。
 会長が藤咲の返事にあまり驚かなかったのも、ある程度予想がついていたからなのだろう。藤咲も緊張で上がっていた肩をすとんと落として、「はい」とぎこちなくではあるが笑みを浮かべる。そろそろ話が終わりそうだ。
 守ってもらっている身でこんなことを思っているのは申し訳ないが、出来ることなら早く教室に戻りたかった。ほぼ初対面の年上の人達に囲まれているのだ。話に参加していなくても結構息が詰まる。なんて思っているとき、ずっと黙って二人の会話を聞いていた副会長は唐突に会長に「おい」と声をかけた。時計を見れば、もうすぐ昼休みが終わりそうな時間だった。
「もうこんな時間か。そろそろ戻らないとね。……次の授業なんだったっけ?」
「異能演習じゃないか? お前は見学してろよ。体調が悪化したら困る」
「はあい。――初くんたちも早く行かないと遅れちゃうね。ごめんね、引き留めて。壱琉、二人を送ってくれる?」
 弁当を片付けながらガタ、と席を立つ会長は、壱琉先輩にそう促す。逞先輩のことを警戒しているのだろう。壱琉先輩は会長にそう頼まれても嫌な顔一つせず、「りょーかい」と返した。
「さ、行こっか。急がないと間に合わないかも」
「は、はい」
 そして俺達は慌ててソファーから立ち上がり、扉に向かう壱琉先輩の背中を駆け足で追う。やっとこの場から離れられる。そうして柔らかい絨毯に足が取られないように気をつけながら歩いていたときだ。
「じゃあな、慧くん。気が向いたら俺ともよろしく」
 拓人先輩だ。振り返れば、先輩以外の全員がこの場から出る準備をしているのに、先輩だけは未だソファーに座りながら俺に対してひらひらと手を振っている。さっきまでつまらなさそうに無言で話を聞いていたのに、途端に楽しげに表情を変える先輩を見て少し呆れてしまった。何をよろしくするつもりなんだ。返事に困るようなことを言わないでほしい。
「拓人くんのことは気にしなくていいからね」
 結局俺は壱琉先輩に言われた通り、一切返事をせずに生徒会室を出た。

「ごめんね。無理言っちゃって」
 壱琉先輩と藤咲、そして俺。俺達のクラスである一年A組の教室を目指して、俺は横に並んで歩く二人の後ろをぺたぺたと付いていく。廊下ではまだ昼休みだからか、生徒たちがそれぞれ友人たちと楽しそうに話していた。そんな生徒たちを眺めながら、壱琉先輩は藤咲に対してそう声をかける。
「いえ……俺たちこそ、わざわざ送ってもらってすみません」
「えっ、全然いいよお。俺だって二人が心配だったし、会長に頼まれなくても送ってたと思うしね」
 そう話をしている二人を後ろから見ると、まるでカップルみたいだった。身長差もあるし、壱琉先輩は髪が少し長いから尚更。何だかなあ。いつも俺にべったりな癖にこんな時に限ってこうやって俺に背を向けている藤咲を見ると、少しだけ、ほんの少しだけだけど、もやっとする。まあ、別にいいんだけど。別に。
 なんて考えていると、それを悟ったかのようにタイミング良く藤咲が俺へ振り返る。それにびっくりして、俺は「えっ、なに」と何も言われていないのにそう声を出してしまった。別に疚しいことはしていないのに汗が出る。しかし藤咲はそれに気付いていないようで、「何か俺たちの教室だけ妙に静かじゃねえ?」と俺に話しかけた。
「……」
 確かにそう言われれば俺たちの教室の周りだけ生徒がいない。昼休みにも関わらず、扉も閉まっている。何かあったんだろうか。俺たちのせいでクラスメートが巻き込まれているんだったら嫌だな。少し胸騒ぎがして、縋るように藤咲を見返した。
「……とりあえず、行ってみよう」
 壱琉先輩の発言に賛同して、俺たちは恐る恐る自分たちの教室へと向かった。



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