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「――で、あんたの名字は?」
「えっ、えっと……」
「別に難しい質問してないでしょ。とっとと言わないと殺すよ」
「ひっ、す、鈴木です……っ!」
「鈴木ぃ? だっさい名字。却下」
 聞き覚えがありすぎる声に嫌な予感しかしなかった。つい藤咲と顔を見合わせたあと、俺たちはバレないようにこっそりと教室の扉に付いている小さな窓から中を覗いてみる。そこでは、とある男子が教師の如く教壇に立って生徒たちを見下ろしていた。黒髪にショッキングピンクのメッシュが入ったボブカット。小さな身体に、気が強そうな声。――過激派グループ「Deus ex machina」の一人、戸神朔夜だ。何故か彼は席に座っている生徒一人ひとりを指名して、名字を聞いているらしい。生徒たちもそんな律儀にこいつの言うことを聞かなくてもいいのにとは思うが、相手は入学式をぶっ壊したグループの一員だ。生徒たちは怯えて、言われるがままに自分の名字を伝えていた。
 さて、もう昼休みは終わってしまう。これからどうするべきか。こんな異様な雰囲気の教室にずかずかと入っていくほどの勇気は、残念ながら俺は持ち合わせていない。なんて考えながら隣を見ると藤咲は何を思ってか扉に手をかけていたところで、俺は思わず二度見をした。
「ちょ、ちょっと」
 馬鹿か、お前。乱入する気かよ。奴を止めようと俺は藤咲に手を伸ばすが、それよりも先に藤咲は行動に出る。
「人の教室で何やってんだよ」
 藤咲によって乱暴に開かれた扉の音に、教室中の生徒の視線が俺達へと集まった。じろり。視線が痛い。うう……藤咲も正義感溢れるのはいいけど、毎回毎回俺を巻き込むのは止めてくれ。俺は生徒たちの視線から逃れるように顔を逸らし、何となく壱琉先輩がいるであろう背後へ振り返る。もう頼れるのは壱琉先輩しかいない。一応生徒会メンバーなわけだし、何とかしてくれるだろう。そう思って振り向けば――壱琉先輩は忽然と姿を消していた。どこにもいない。何で!? 逃げられた!?
「うっわ……今一番見たくない顔が来たよ。ってことは何? あのクソヤンキー、あんたたちのこと捕まえられなかったわけだ。ウケるんですけど」
 壱琉先輩がいなくなって俺が焦っている間にも話はどんどん進んでいく。戸神は俺たちを見てゲッと言いたげに眉をひそめて、そう言葉を続けていた。そんな戸神に対して藤咲は不快そうに「……質問に答えろよ。何しに来たんだ」と声を低くする。臨戦態勢だ。
「見て分かんないかなあ。勧誘だよ、勧誘。隆一先輩たちはお前らを引き込みたいみたいだけどね、僕はあんたがグループに入るの死んでもごめんだから。だからこうして代わりの子を探してるっつーわけ」
 戸神が嫌みったらしく首を傾げると同時に、彼の耳を飾り付けているループピアスが揺れる。それに対して藤咲はむっと表情を歪めて咄嗟に言い返そうとするが、戸神は俺たちになんか全く興味もないというように視線を教卓に移し、「名簿あるじゃん。早く言ってよね」とその上に置いてある名簿を手に取った。
「えーっと、神が付く名字、っと」
「あー、もう! だからとっとと自分のクラスに戻れってば!」
「んー……あっ、いるじゃん! こんなすぐに見つかるなんて、僕ってやっぱり神に愛されてる! ……で、神藤郁海って奴はどこにいんの?」
 藤咲は耐えられないというように戸神の元へ駆け寄り、彼の肩を掴んで引っ張り出そうとするが、戸神はそれを無視して誰かを探している。そんな戸神が発した名前に、俺は首を捻った。――神藤郁海。聞き覚えがある。どこで聞いたんだっけ。そう思って教室中をぐるりと見回してみると、黒髪の地味な男が突然「へっ!?」と間抜けな声を出した。あ、思い出した。朝話しかけてきた弱気そうな委員長だ。戸神も藤咲もその声を聞いて、その男に視線を合わせる。そして戸神はにたあ、と意地悪そうに笑って身体の向きを神藤へと向ける。
「ああ、あんたか。冴えない顔だなあ。異能もぱっとしなさそう」
 藤咲を振り払って、獲物を見つけた獣のようにこつこつとゆっくり足音を立てながら神藤に近付いていく戸神。獲物である神藤は「あ、あの、ひ、人違いです……」と顔を青くして必死に首を横に振っていた。しかし戸神はやはり人の話を聞かない人間のようで、彼は値踏みをするようにじっと神藤を観察したあと、「まあいいや」と神藤の顎を掴んで無理矢理上を向かせる。完全に悪者である。
「今日からお前は僕たちと活動してもらうから。放課後迎えに行くから逃げるなよ」
「えっ!?」
 ――そうしてタイミングを図ったかのように、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。
「じゃ、もう時間だから戻るね。失礼しましたあ」
「お、おい!」
 呆然としている神藤を放って、用を済ませた戸神はさっさと踵を返して教室の扉へと歩く。それを止めようと藤咲は慌てて戸神の腕を掴んで引き止めた。行く道を阻まれた戸神は心底嫌そうな顔をして振り返る。
「何。あんたが戻れっつったんじゃん」
「そうだけど。でも、お前らの都合で全く関係ないやつまで巻き込むなよ。迷惑だろ」
 二人の間に火花が散っているように見えた。ここで異能を使われたら堪らない。いつでも逃げられるように準備しながら、俺はこっそり教室を覗き込む。もう完全に俺は蚊帳の外だ。きっと今ここから逃げてもきっとばれないだろう。まあ、俺の教室はここだから行くところなんてないんだけど。きっと他の生徒たちも俺と同じ気持ちなのだろう。どうしていいのか分からない。そんな雰囲気が教室を包んでいた。
「はあ? あんたこそ関係無くない? ヒーロー気取り? 気持ち悪。寧ろあんたたちの代わりを見つけてやったんだから感謝してほしいんだけど」
「別に頼んでない。俺のことは俺が何とかする」
「あー、あー! 本当お前癇に障るなあ! 邪魔ばっかりしやがって! 僕に絡む暇があったら逞たちをどうにかしなよ! 強姦されても知らないからね!」
「いって!」
 そんな中、そう叫んだ戸神は腹癒せに藤咲の足を蹴ったあと乱暴に歩いて教室から出た。ばちり。廊下に突っ立っていた俺と目が合う。え、えっと。別に彼に言うことも何もなくて困っていると、戸神はそんな俺を見て何故か舌打ちをした。うーん、小さい戸神に睨まれてもあまり怖くないな。なんてぼんやり思っていると、戸神は「あのさあ」と俺に話しかける。
「あんたもこれ以上巻き込まれたくないならこいつとつるむの止めなよ」
「え?」
「じゃないときっとこれからもっと酷い目に遭うよ。あんたも、あいつも」
 それだけを告げたと思いきや、戸神はすっと視線を戻して隣のクラスへと戻っていく。小さい背中。あいつが何を考えてあのグループに所属しているのかは分からないが、悪い奴ではないのだろうか。
「……」
 ――これからもっと酷い目に遭う。強姦以上の酷い目だなんて今のところ思いつかないが、敵である戸神が忠告するほどだ。この学園の奴らの特徴もある。多分このままでは平和に三年間を過ごすだなんて夢のまた夢なのだろう。薄々勘付いてはいる。誰もいない廊下を眺めながら、俺は深く溜め息を付いた。
「……つるむの止めろって言われてもなあ」
 そんなの、俺だってそう思ってる。



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