13
「わざわざ一年を勧誘するってことは、あいつら今人員不足ってことだよな」
俺の前の席に座り、教科書を鞄に詰め込みながら真剣な声色でぽつりと呟く直都。俺に話しかけているのかそれとも独り言なのか判断つかず、返事をしないまま顔だけを上げると、直都はくるりと俺の方へ顔を向けた。振り向く勢いが良すぎて、直都の茶髪が顔に当たりそうになる。びっくりして、俺は思わず身体を後方へ逸らせた。
「な?」
俺に話しかけていたらしい。……そう聞かれても、あのグループの事情なんて俺の知ったことではないんだけど。返事に困った俺は「さあ……そうなんじゃないの」と適当に返しながら直都から目を逸らし、廊下の様子を眺める。
――放課後。あれからすぐに教員が入ってきて、何事も無かったかのように授業が進められ、今に至る。流石に午後の授業では少し気まずい空気が流れていたが、今ではもうあの昼休みの出来事なんて最初から無かったかのように、生徒たちは次々と無邪気に廊下へ飛び出していた。真っ直ぐ寮へ帰る者もいれば、廊下で友人と談笑している者、別のクラスのホームルームが終わるのをひたすら待っている者もいる。まるで、普通の高校生みたいに。
「お前さ、何でそんなに他人事なんだよ。俺たちより渦中にいるじゃん。もっと焦ったら?」
なんて思っていると、直都は呆れたように笑って俺を見ていた。もう帰る準備を済ませたらしい。直都は鞄を肩にかけて立ち上がり、未だに席に座っている俺を見下ろしていた。うーん。
「いや、渦中ってほどでもないだろ。……そういうのはああいう奴のことを言うんじゃない?」
俺はそう言いながらちらりと教室の左側を見る。窓から三列目の、前から二番目。そこの席には、身体を緊張させてただひたすら自分の鞄を抱きしめてじっと座っている生徒がいた。ただでさえその背格好のせいで暗い雰囲気を醸し出しているのに、彼の黒髪は余計雰囲気を重たく見せる。
「ああ……郁海か……」
直都も彼を見て思わず苦笑いだ。俺も藤咲も色々と巻き込まれてきたが、今回は神藤が一番の被害者だろう。だって今まで彼はあの過激派グループとは一切関わっていなかっただろうし、このまま過ごしていれば最低でも卒業するまではあいつらと関わらないで生きていけたはずなのだ。それなのに名字のせいでこれからの三年間が変わってしまう。入学式で注目を集めてしまった俺たちが彼らに目を付けられたのは自業自得かもしれないが、神藤に関してはただの理不尽だった。流石に同情する。
B組はまだホームルームをしており、生徒たちは出てきていない。戸神も然り。ということは神藤はそれまで待っていなければいけないということだ。不安や恐怖、憎悪など、きっとどうしようもない気持ちのまま。可哀想だな。そう思っていれば――突然直都はその場から離れて、神藤の席へ向かって歩いていった。えっ、な、何をするつもりなんだ。このまま教室を出るのだとばっかり思っていたから、俺は思わず目を見開く。
「なあ、郁海」
直都に声をかけられた神藤は、真っ青な顔をして直都を見上げた。ゆっくりと開かれる灰色の瞳。目が死んでいる。おいおい。
「ええと……何?」
「成り行きではあるけど、お前あいつらのグループに入ることになったじゃん? だから言っておかないとと思って」
嫌な予感がする。藤咲にも言えることだけど、直都は行動が早すぎるのだ。もう少し慎重になってくれ。そう思うが、それでも俺には被害が来なさそうなので黙って観察することにした。直都は神藤を見下ろし、顔を近付ける。ここからでは直都の表情が確認出来ないが、きっとあの冷えた目をしているのだろう。それを証明するように神藤の表情が強張っていた。
「折角入るんだから、あいつらを内部からぶっ壊してよ」
「……えっ?」
「それともなに? もしかしてあいつらに言われるまま、この学園引っ掻き回すつもりなの? お前」
ほら、直都が動く理由なんて一つしかない。
「生徒会に迷惑かけるようなこと、しないよな?」
肯定しか許さないその声は、神藤の顔色を更に悪化させる。直都は保守派だって言っていたけど、この姿を見てしまえば過激派にしか思えない。生徒会が絡むと人が変わるからなあ。なんてぼんやり思いながら神藤を見れば、彼は今すぐにでも泣きそうな顔をしていた。本当ついてないな、この人。助けようとは思わないけど。俺だってこいつに見捨てられた身なわけだし。
「そ、そんなこと……」
「そんなこと?」
「あっ、えっと……も、もちろんそんなこと、したくないけど……」
だが、やはり居た堪れない。震えた声で返答する神藤を見ていられなくて、俺は鞄を持ち、音を立てないようにこっそり席を立つ。二人はそんな俺には気付く様子もない。
そもそも何で俺がこんな放課後に教室に居座っていたかというと、トイレに行っている藤咲を待つためだ。一人で帰るのは危ないんじゃないかと言われて、仕方なく。だけどもうこの教室にもいられないし、廊下で待っていることにしよう。そう決めて、心の中で神藤に合掌したあと俺はこそこそと教室を出た。「『したくない』じゃなくて『しない』だろ。殺すぞ」なんて物騒な直都の言葉を聞きながら。
「……」
つーか、それにしても遅くないか、あいつ。うんこだろうか。便秘なのかな。教室の扉を閉めたあと俺はぺたぺたと廊下を歩き、藤咲が篭っているであろうトイレの前で足を止める。ここで待っていればすれ違うことなく、確実に藤咲と会えるだろう。壁に背中をぴったり付け体重を預けた状態で、俺はふう、と深く息を吐いた。このまま無事に帰れればいいんだけど。鞄を持ち替えて、俺は吹き抜けになっている天井を見上げる。
――隆一先輩率いる「Deus ex machina」。入学式の事件後に勧誘活動をしているということは、今の状態では生徒会には敵わないと気付いたからだろう。その溝を埋めるために、未だグループに属していない一年の外部生を中心に人数を増やそうとしている。直都にはああ言ったが、きっと直都の想像通り人員不足なのだろう。単純に考えて、現時点で五対四。数を合わせておいて損はない。まあ、神藤みたいな大人しいタイプが戦力になるとは思えないが。
しかし、戸神は隆一先輩たちは俺たちを引き込みたがっていると言っていた。だから多分神藤という代わりを見つけたとしても、藤咲を狙うのをぱったり止めないだろう。だって神藤よりも藤咲の方が断然戦力になるからだ。行動力がある藤咲、自信がなく消極的な神藤。どう考えても手元に置いておきたいと思うのは藤咲の方だ。一目瞭然である。……これからも俺が藤咲と一緒にいるのであれば、あまり気が抜けないかもしれないな。なんて考え込んでいると。
「あ」
しばらく染め直していないのだろう、プリンになっている金髪。パーカーの上にジャケットを羽織り、だるそうに向こうから歩いてくる男が視界に入って、俺はがっくりと肩を落とす。もうやだ。何で毎回タイミング悪く出くわすかなあ。左奥から歩いてきたその男を見て、溜め息を付かずにはいられない。ぱちり、目が合う。向こうもまさか俺とばったり会うとは思ってもいなかったらしく、目を瞬かせていた。
「お前も学ばねえなあ……」
こつこつと俺の方まで歩いてくる男――隆一先輩は、溜め息混じりにそう俺へと投げかける。いや、殴られた上に追い掛け回された俺ならまだしも、先輩が溜め息を付く理由は無いと思うのだが。そう思いながら助けを求めるように廊下を見渡せば、そこにはまだ他の生徒がちらほらといる。しかし生徒たちは巻き込まれたくないと言わんばかりに目を逸らし、そそくさとその場から離れていった。それを見た隆一先輩はジャケットのポケットに手を突っ込み、皮肉げに笑う。お願いだから藤咲は早くトイレから出てきてくれ。
「お前は逃げねえの? また無理矢理連れていくかもしれないぜ?」
先輩はそう言いながら俺の前へ立つ。鞄は持っていないから、何か用事があって一年フロアに来たのかもしれない。俺は先輩の手元を見ながら「……連れていくんですか?」と返した。手を出されたらすぐに逃げよう。そう思って鞄を持つ手に力を込める。
「まあ、様子見て」
しかし隆一先輩は朝のように俺を連れて行こうとはせず、何故か隣に立って俺と同じように壁に背中を預けていた。世間話でもするつもりか? 流石に怪訝には思うが、先輩が思った以上に穏やかなせいでどうしたらいいか分からない。だからか、とっとと逃げればいいのに俺はその場に立ち尽くして、隆一先輩の横顔をぼーっと眺めることしか出来なかった。
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