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 俺は二人のところへ駆け寄り、要先輩へと手を伸ばす。早くこいつを藤咲から離さなきゃ何をされるか分からない。こんな時まで「水瀬、逃げろって!」と藤咲が叫ぶが、聞こえない振りをした。早く藤咲を助けて逃げよう。俺だけ逃げるなんてもう全く考えていない。こんなことになったのも全部俺のせいだ。だから――
「てめえはこっちだよ!」
「うわっ」
 あと少しで要先輩に手が届きそうだったときだ。急に足が動かなくなり、前に進めなくなる。な、なに!? 猛烈に左腕が痛い。焦る気持ちを抑えてそこを見ると、背後から凄い力で腕を掴まれていた。骨ばった男らしい手。隆一先輩だ。
「は、離せって!」
「離すわけねえだろ! くそ、舐めた真似しやがって!」
「嫌だ! 藤咲! 藤咲ってば!」
 嫌だ、嫌だ! 後ろにいる隆一先輩に腕を掴まれたまま、藤咲に向かって叫ぶ。ああ、くそ! 結局何も出来ずに終わるのかよ! 隆一先輩の手を振り払おうと必死になるが、力が強くてどうにもならない。
「くっそ! 離せよ!」
 藤咲も要先輩の髪を掴んだり膝で先輩の背中を蹴りつけたりと抵抗していたが、要先輩は全く動じていなかった。ずるずると隆一先輩に引っ張られ、藤咲たちから遠ざかっていく。もう、何度も繰り返し藤咲の名前を呼ぶしか出来なかった。
「はは、美しい友情だねえ」
 そんなとき、要先輩の目が俺を捉える。どろり、と溶けたチョコレートのような甘い色をした瞳。
「な、なに……」
 そして、その目がそっと細められて、
「――んんっ!」
 にたりと弧を描いたその唇は、そのまま藤咲の唇を塞いだ。
「ンっ、んぁ、やめ、っん、んんーーーっ!」
 ガンガンと床や要先輩の背中にぶつけるのも気にせず、ひたすら足をばたつかせる藤咲。両手両足を使って必死に要先輩を引き剥がそうとするが、二歳も年上の男に馬乗りにされてしまえばこの状況を脱することは不可能だろう。要先輩はがむしゃらに暴れる藤咲を無理矢理押し付けて、俺に見せつけるようにねっとりとキスを続ける。ちゅ、ちゅぷ、という水音まで聞こえていた。
「ふ、藤咲……っ」
 手を伸ばしても、届かない。何度名前を呼んでも状況は変わらなかった。隆一先輩は二人をちらりと視界に入れただけで、そのまま俺を引きずっていく。もう抵抗する気も無かった。
 俺が彼方先輩に犯されているところをただ見ていることしか出来なかった藤咲の気持ちが、ようやく分かった気がした。

 隆一先輩に引きずられて訪れた先は、もう誰もいなくなった俺たち一年A組の教室だった。隆一先輩は教室に入った途端、投げ込むように俺から手を離し、適当な机にどっかりと座る。……こんな簡単に手を離して、俺が逃げてしまうとは思わないのだろうか。鍵なんてかかってないんだし、今ならこの場から逃げられるのに。
「……」
「……」
 でも、そうは思っても何だか逃げようという気には到底なれなくて、俺も隆一先輩の隣の席に座る。もうどうにでもなれって感じだ。
 今頃藤咲と要先輩はどうなっているだろう。まさか、殺しまではしないよな。だって人を殺したら流石に罰せられるって直都も言っていたし。だけど要先輩は過激派メンバーの中で一番質が悪いと聞いている。要先輩は藤咲のことを気に入っていたようだったからそこまで酷いことはしないと思いたいけど、でも好きだからこそ酷いことをしたいとかいう歪んだ愛情を持っている人だってこの世界にはいるし、さっきも藤咲を痛めつけて「興奮する」なんて言っていたような人だし……自分には何も出来ないってことは分かっちゃいるけどやっぱり不安で心配で仕方がなくて、助けに行ってしまおうかと思ったときだ。「あのさあ」と隆一先輩が話し始めたのは。
「俺、未来が見えるんだよ」
 ぼそっと呟かれて、一瞬何を言っているのか理解が出来なかった。は? 未来? 何のことだ。
「魔力があればあるほど、何十年、何百年先の未来も見えるんだ」
「……」
「未来予知が、俺の異能ってわけ」
 未来予知。隆一先輩はぼんやりと虚空を見つめながらぼそりと呟いた。突然の告白に、「はあ」と力の抜けた声しか出ない。
 まあ、そう言われれば入学式のときも先程も異能を使おうとしなかった理由が分かる。そりゃあ未来予知をしたところで生徒会をやっつけられるわけがないし、俺たちを捕まえられるわけがない。でもどうして今更自分の異能を俺に伝えたんだろう。異能なんていずればれるにしても自分から教えるようなものではない。そんなの先輩なら分かっているはずなのに。
「別に自慢するために異能ばらしたわけじゃねえからな」
「……じゃあ、なんで」
「これからの話に重要になってくるからだよ」
 これからの話。そう言われて、何となく嫌だなと思う。なんだか、これを聞いてしまったら本当に後戻りが出来なくなるような気がして。でも隆一先輩の話が気になるのも事実で、聞きたくないと遮ることは出来なかった。俺は返事もせずに無表情で隆一先輩を見る。すると隆一先輩は俺と視線を合わせて、俺の腕を掴んだ。

「一年後、俺たちは永久に殺されて死ぬ」

 ……えっ?
「冗談じゃねえぞ。永久が、俺たちを、殺すんだ」
「なっ……えっ、え?」
「言っておくけど、今までもたくさんの奴等が犠牲になってる。去年俺のグループにいた先輩だって、あいつに殺されたんだ」
 隆一先輩は至って真剣な表情でそう告げる。――会長が、先輩方を、殺す。先輩の言葉が右から左へすり抜けていって、上手く頭に入らない。ええと、それは、どういうことだ? 先輩は冗談を言うようなタイプではないだろうし、表情や声のトーンからして事実を述べているのだろう。だが、そう言われてもなかなか信じられない。そんな現実味のない話。俺は目を見開かせて、ただ隆一先輩の水色の瞳をぼうっと眺める。何も言えなかった。
 確かに会長は何を考えているのか分からないような人だ。普段何をしているのかも、どんな異能を持っているのかも分からない。隆一先輩の方が会長のことを知っているし、付き合いも俺の何十倍も長いのだろう。そんな先輩が言っているのだ。
「今お前たちにとっては俺たちが悪役なんだろ。分かってる。でも、本当にそれでいいのか?」
「……」
「お前は、永久を――この学園を何も知らないんだぞ」
 言葉が重い。視線が痛い。隆一先輩に掴まれているところが熱くて、今すぐにでもその手を払い除けて逃げ出したかった。この状況に耐えられそうにない。逃げ出したい。でも、先輩の視線が恐ろしくて身体が動かない。
 入学して三日目。まだ学園の雰囲気にも慣れていない。なのにそんなことを言われてもどうしようもない。隆一先輩に逆らったことが間違いだったってことなのか。生徒会が俺たちの敵? 何が正しいのか、何が間違ってるのか、それすらも分からない。
「……そ、そんなこと、いわれても」
 隆一先輩の言葉に何も言い返せなくて、何だか無性に泣きそうになった。



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