17



 俺は関係ない。知らない。世界が滅ぼうが、誰かが死のうが、俺には関係ない。そう言えたら楽なのに、声にならなかった。思わず隆一先輩から顔を背ける。だけど先輩は俺をどうしてもこっち側に引き込みたいようで、「目を逸らすな」と俺の顔を掴み、強制的に目を合わせられた。
「現実を見るんだ。よく考えろ。今のところ、未来はまだ変わってない」
「……」
「でも、お前の異能があれば未来を変えることが出来るかもしれない」
 俺の異能があれば、未来を変えられる――なんて、そもそも規模が大きすぎる。俺はただ平和に過ごしたいだけだ。こんなことを了承したら、本当の本当に穏やかに過ごせなくなる。大体、俺如きじゃどうにも出来ない問題な気もする。それこそもっと、藤咲みたいな才能のある奴を仲間に引き入れた方がいい。実際の戦いの場になったらきっと俺は何も出来ないから。――さっきみたいに。
 それに、隆一先輩の言うことを全て信じられていない自分もいた。確かに学園のことは全然分からない。会長のことも隆一先輩のことも、全然知らない。この三日間で俺が見てきた彼らは、本当の彼らでは無い。そう言われてしまえば何も言えなくなるくらい、俺たちの関係は薄っぺらい。
 でも、逞先輩に追われている俺たちを生徒会室で匿ってくれた会長も、会長の一部だ。そんな優しい会長を、俺は信じていたかった。
「……むりです」
 先輩に協力するなんて、そんなの。俺には無理だ。絞り出すように声を出す。思ったより小さな声だった。俺は目を伏せて、ふるふると首を横に振った。「は?」と隆一先輩の声が振ってくる。
「てめえ……まだ分かんねえのかよ……!」
「わ、分からないです、分かるわけないじゃないですか。だって、そんな、会長が殺しをするだなんて」
「てめえが永久の何を知ってんだよ! あいつはああ見えて、やると決めたら最後までやる男なんだぞ!」
「で、でも、会長は俺たちを助けてくれましたもん! 俺はそんな会長を信じていたいんです!」
「助けたって、実際てめえらのためなんかじゃない、自分のためだ! お前が思ってるほどあいつは優しい男じゃねえんだよ!」
 教室中に響き渡る俺たちの声。ヒートアップする。徐々に大きくなっていく声は、今までの人生で一度も出したことのないほどのものだった。――会長が俺たちを助けてくれたのは、自分のため? そんなの。
「そんなの、隆一先輩たちだって同じじゃないですか!」
 俺はそう叫んで、先輩の腕を振り払う。そして勢いよく立ち上がり、先輩を見下ろした。くらくらする。声を出すというのは思ったより体力を消耗した。先程殴られた箇所がじんじんと痛む。でも、それを無視し、俺ははやる気持ちに任せて言葉を続けた。
「誰だって自分が一番だ。俺だって、自分を守るためなら誰だって犠牲にする。会長や先輩たちと変わりないです」
 先輩の言うとおり、会長も目的があって俺たちを助けてくれたのかもしれない。そこに純粋な優しさは無かったのかもしれない。でも、隆一先輩だってそうだ。目的のために、俺たちに何をしてきたんだ。
「俺はどっちも選ばない。これからも俺は自分を守るために生きていく。でも、俺を助けてくれた会長と俺を恐怖で支配しようとした隆一先輩、どっちかを選ばないといけないんだったら、俺は会長を信じたいし、信じます」
 言いたいことは言った。言葉を整理しないまま感情に任せて伝えてしまったから自分が何を言っているのか全く分からなかったが、それでも後悔はない。俺は自分を落ち着かせるようにはあ、と息をこぼす。そしておもむろに隆一先輩を見ると、先輩は恐ろしいほどの無表情で俺を見ていた。
「……」
 沈黙が続く。さっきまで先輩と俺の声で騒がしかったのが嘘のようだった。先輩のことだ。言うことを聞かない俺に苛立って殴ってくるだろうと思っていたから、黙り込んでいる先輩を見ると逆に心配になる。どうするべきか。このまま教室を出てもいいんだろうか。自分が今どのような行動に出るのが正解なのか分からず、俺は先輩を見下ろしたまま、ただ呆然と立ち尽くしていた。その時だった。ガラガラと音を立てて教室の扉が開いたのは。

「あーあ、携帯忘れるとかツイてない」

 ぴょこぴょこと跳ねさせた茶髪。そう嘆きながら教室に入ってきた彼は、さっきまでここで俺と話していた男だ。
「……直都?」
「ん、あれ。慧? ……と、隆一先輩じゃん。何やってんの」
 そう、教室に入ってきたのは直都だった。彼は忘れ物を取りに来たようだ。まさかここで人が入ってくるとは思わなかったから、俺と先輩はちらりと直都へ視線を移す。その視線に気付いた直都は、意外な組み合わせの俺たちを見て怪訝そうに目を細めた。よりによって過激派アンチの直都が来るとは。この二人が顔を合わせるのはまずい気がする。色々と。
「……よりによっててめえかよ。面倒くせえ」
「は? 何その言い草。……まさか会長のあることないこと、慧に吹き込んだんじゃないだろうな」
 思った通り、言い合いが始まる二人。雰囲気が一気に悪くなる。まあ、でも、丁度話が逸れて良かったのかもしれない。俺はなるべく話に入らないように、影を薄くして無言で彼らを見つめる。この間にこっそり教室から逃げ出そうかな、なんて思いながら。
「……まあ、いいか。それより初は? 待ってたんじゃないの?」
 だめだった。直都は自分の机の中を漁ってスマートフォンを取り出しながら、わざわざ存在を消そうとしていた俺に声をかける。触れられたくなかった話題。俺は誤魔化すように曖昧に首を傾げてみせた。そんなの、俺が知りたい。今、藤咲がどこにいて、どうなっているかだなんて。
「あいつなら要にボコられてるか掘られてんじゃねえの。要、才能のある奴大好きだからな」
 嫌味ったらしい笑みを浮かべたまま、頬杖をつきながらそう吐き捨てる隆一先輩。そんな先輩を見た直都は一体何を思ったのか俺へと近寄り、力強く腕を掴んだ。
「……なるほどね。慧、行くよ」
「え?」
「初のことは気になるだろうけど、要先輩と関わらない方がいい。多分俺でも要先輩には敵わないから」
 な、なんでそんなこと。直都はそう言って、俺の腕を引っ張ったまま教室の扉まで引きずっていく。隆一先輩は止めない。彼はやはり無表情で俺たちを見ていた。
「お前らが好き勝手出来るのは今のうちだからな。その報いはいずれ俺が返してやるから」
 そして後ろを振り向いた直都が先輩へ吐き捨てたのを最後に、俺たちは教室を出た。

「で? 何があったわけ?」
 直都に腕を掴まれたまま、廊下を歩く。向かう先は寮だろう。藤咲たちがいるであろうトイレ前とは正反対に歩いていく直都の背中を見ながら、俺は無言を貫く。色々ありすぎて何を言ったらいいのか分からない。
「まあ、大体想像付くけどさ」
「……」
「一応聞くけど……隆一先輩に付いたわけじゃないよな?」
 足を止めて振り返る直都。直都の視線が鋭くて、冗談でもこんな状況で「隆一先輩に付いた」だなんて言ったら殺されるだろうなと思った。俺も直都に倣って足を止め、首を横に振る。余計な騒ぎは起こしたくない。
「ならいいけど」
 直都はそれだけを言って、俺から目を逸らす。そして再び歩を進めた。
 ぱたん、ぱたん。カーペットに吸い込まれていく二人分の足音を聞きながら、ただただ歩く。鞄、藤咲のところに置きっぱなしだな。藤咲のやつ、無事かな。やっぱり戻った方が良かったかな。でも、俺じゃ何も出来ないだろうしな。なんて、無言でいると色々考えてしまって気分が沈む。それでも足は止まらなくて、気付けば俺は自分の部屋の前にいた。結局、俺は一人では何も出来ない。友人より自分の保身を選んでしまう自分に、少しだけ嫌気が差した。いつもはこんなこと思わないのに。
「いい? 俺も帰るけど、これから一人で初を助けに行こうだなんて思うなよ」
 ぼーっと自分の部屋の扉を眺めていた俺に、直都は釘を刺すようにそう告げる。丁度藤咲のことを考えていたところだったから、俺はその言葉に過剰に肩を震わせてしまった。真剣な表情をしている直都を見て、息を呑む。俺一人で助けに行こうだなんて無茶なこと思ってないけど、でも。
「初なら無事だよ。あいつが慧を独りにするわけないだろ」
「……」
「大丈夫。初はちゃんとこの部屋に帰ってくるよ」
「……そうかな」
「うん。だから慧は、初のこと待っててあげて」
 ぽん、と直都は俺の頭を撫でる。同じ身長でこうも子供扱いされると複雑な気持ちになるが、直都なりに励ましているつもりらしいので、俺は直都の気遣いを甘んじて受けることにした。直都の言葉にうん、と頷き、直都の深い森のような色をした瞳を見つめる。透明度の高い緑。会長と関わらなければ直都は普通に優しい。
「じゃあ、俺帰るから」
「うん」
「また明日、初と一緒に教室来いよ」
 直都はそう言って俺の頭から手を離し、俺に手を振りながら後ろ歩きで去っていく。「前向かないと危ないよ」なんて言いながら、俺も小さく手を振り返した。
「……」
 誰もいない廊下。自分の部屋の前なのに違和感があるのは、入学してきたばかりだからか、それとも隣に藤咲がいないからか。――早く、無事に帰ってきますように。そう祈るしか出来なかった。



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