02



 713号室は案外近くにあった。藤咲が部屋の前で生徒手帳をカードリーダーにかざすと、ガチャと鍵が開く。なるほど、この生徒手帳は鍵の役目もあるらしい。
「へえ、凄いな」
 感嘆しながら中に入る藤咲の後に続いて、俺も玄関で外靴を脱ぐ。玄関を入って廊下を渡った先にあるのは寮とは思えないほど広い共有スペース。キッチンやテレビ、その他諸々もしっかりと設備されていて、流石に少し驚いた。共有スペースの左右には更に扉があり、その中はきっとそれぞれの個室になっているのだろう。プライバシーも心配いらないというわけだ。これから一年間お世話になるであろう部屋を見渡していると、「なあ」と藤咲に声を掛けられた。
「荷物、どうする?」
「あ、ごめん。持つよ」
「ああ、そういうことじゃないよ。大丈夫。部屋に運べばいい?」
「……じゃあ、頼む」
 ふんわり微笑む藤咲に対して、俺は目を逸らすことしか出来なかった。……申し訳なさすぎる。俺がもっと気が強ければ奪い返せたのだろうが、あいにく俺は控えめな性格なのだ。困ったな、と思いながら素直に応じて、キャリーバックを手に持つ。持ち運べないような大荷物は事前に送っておいたから、多分どちらかの部屋に置いてあるのだろう。藤咲がまずは右の部屋に入っていったのを見て、俺もそれに続いた。
「あ、俺の荷物だ」
 入って早々目に入ったのは、俺が愛用している白い本棚。そして周りには大量の段ボール箱。ベッドやテーブルは常備されていると聞いていたので持ってきてはいない。クローゼットも埋め込み式だ。何畳あるんだ? 多分、実家にある俺の部屋よりも広いかもしれないぞ。少し複雑な気持ちになりながら、藤咲にそのへんに荷物を置くように声を掛けた。
「ありがとう。重かっただろ」
「ううん、全然。それよりここ食堂もあるらしいから、夕食のとき一緒に行こう」
「ああ、うん」
 へえ、食堂もあるのか。二つ返事で引き受けると藤咲は少し嬉しそうに笑って、「じゃあ時間になったら呼ぶな」と部屋の扉を開ける。そのまま藤咲を見送ろうと彼の背中をぼーっと見送っていると、彼は何かを思い出したように足を止め、顔だけちらっとこちらに向けた。
「何か困ったことがあったら言って。俺、重力操る異能持ってるからさ」
 人好きのする笑みを浮かべながらそれだけ伝えて、返事をする間もなく今度こそ藤咲は部屋を出る。パタン、と閉まる扉の音を聞きながら、俺は無意識に息をついた。

 ――異能。これこそがこの学園の最大の特色だ。
 ここ100年ほど前から、世界には「異能」と言われる特殊能力をもった「異端者」が存在するようになった。突然変異である。一般人とは細胞の作りから違っており、エネルギーを生成する際の副産物として魔力が生まれるのだそうだ。未だに世間には超常現象など存在せずテレビのやらせか存在しない物と認識されているが、それでも異端者は影で次々と生まれていく。そんな中、異端者だけが通う学園が山奥にひっそりと存在していた。それが、私立月之宮学園である。異能は第二次性徴期に本格的に発現するため、高校生になると異端者はこの学園に強制的に入れられる。大抵の人が自身の異能を自覚し始める時期だからだ。
 魔力は身体に毒であり、定期的に異能を使用しなければいけない。しかし、人前で異能を使用すれば生きにくくなることは容易に想像出来る。この学園はそんな好奇の目から異端者を守る役割もあり、逆に彼等が異能を使って犯罪を犯さないように見張る役割もある。そんな俺も自身が異端者だということに最近気付き、この学園に入れられた一人である。
 そのため、この学園に通っている生徒は全員異端者だということになる。藤咲もそうだ。先程自分でも言っていたが、彼は「重力を操る異能」を持っているらしい。能力が一つしかないということは彼も純血なのだろう。イケメンは能力も高いと来た。
 そんなことを考えながらせっせと部屋の片付けをしていれば、「そろそろ行こうぜ」と扉の向こうから声がかかる。はっと顔を上げて備え付けの時計を見れば、もう18時を過ぎていた。もうこんなに経ってたのか。時の流れを自覚すると急に腹が減って、ぐう、と腹が鳴る。まだ荷物は全て片付けられてはいないが、それでもある程度使えるようにはなっただろう。今日はこの辺で止めておこう。俺は「よっこいしょ」と重たい腰を上げ、生徒手帳を持って個室を出た。
「どう? 片付いた?」
「まあまあ」
 リビングで俺を待っていた藤咲とぽつぽつ短い会話をしながら一緒に部屋を出る。ピッと藤咲が生徒手帳をカードリーダーにかざして戸締り完了だ。よし、行くか。
「水瀬、そっちじゃないよ」
 多分こっちから来たはずだと思い、左を曲がったが違ったらしい。グッと腕を掴まれることで、俺の足は先に進むことなく止まった。
「やっぱり水瀬って方向音痴だよね?」
 藤咲はクスクスと笑いながら「こっちだよ」と腕を掴んだまま、エレベーターへ俺を引っ張っていく。あまり自覚は無かったが、確かに初日から迷子になっていたため方向音痴を否定することも出来なかった。……なるべく一人で行動するのは止めた方がいいかもしれない。

 この寮は八階建てになっており、二、三階は三年フロア、四、五階が二年フロア、六、七階が俺たち一年フロアになっている。そして俺たちが向かっている食堂は寮の一階にあった。生徒数が多いからだろう。食堂も引くほど広く、どこに座っていいか分からないほどだ。白を基調とした清潔感溢れる食堂には四人掛けのテーブルと椅子がセットでいくつか並べられており、俺たちはそのうちの一つに腰を下ろして備え付けのメニューを見る。ここはカフェテリア方式になっているようで、食堂と言えば食券を貰って自分で取りに行くタイプだと勝手に思っていた俺は少し驚いてしまった。この学園は何もかも想像とは違っていて、実はこれは夢なんじゃないかと思う。
「何食べる?」
 悶々と考えていたときだった。目の前に座る藤咲に声を掛けられて、ハッと現実に引き戻される。藤咲はもう決めたのだろう。彼を待たせるわけにもいかないので、俺はたまたま目に入ったカレーにすることにした。
「すみません」
 藤咲は手を上げて店員を呼び、注文を済ませる。何もかもやらせて申し訳ないが、きっと藤咲も人の世話を焼くのが好きなタイプなのだろう。慣れていくしかないなと思いながら、俺は席を立った。ちょっとトイレに行きたかった。
「どうした?」
「トイレ」
「一人で大丈夫? 一緒に行こうか?」
「いや、平気。すぐ戻る」
 そこまで迷惑は掛けられない。心配性というか、寧ろ過保護な藤咲に少し苦笑してしまう。「届いたら先に食べてていいから」と藤崎に声を掛けながら前を見ずに歩いていると、突然藤咲が俺の後ろを見て目を見開いた。「水瀬、後ろ」と声を掛けられ、急いで前を確認しようとしたが、遅かったようで。
「うわっ」
 目の前にいた誰かと肩が思い切りぶつかってしまって、思わず声をあげる。顔を確認すれば、そこには――
「大丈夫?」
 さらさらと手触りの良さそうな銀色の髪に、透明感のある海のような水色の瞳。異様に肌が白く、男子高校生にしては細くて折れてしまいそうな身体の彼はまるで病人のようで――俺は、思わず黙り込んでしまった。
「新入生かな?」
 身体に染み込むような優しい声。彼に見惚れているのか、もしくは畏怖しているのか。自分でも何故自分がこんなにも動けないのか全く分からなかったが、ただ黙るしか出来ない何かがそこにはあった。黙り込んだ俺を気にも止めず、彼はにこりと美しく笑って「気をつけてね」とその場から立ち去る。立ち去る姿も美しかった。返事も出来ず、つい彼の背中を視線で追っているときだ。
「……」
 後ろから殺意が向けられている。振り向けば、先程まで銀髪の彼がいた場所に黒髪の強面な男が立っていた。彼の友人だろうか。声を掛けようにもどう掛けていいのか分からない。多分先輩だろうし、先程失礼なことをした身としては黙る以外のことが出来なかった。そんな俺をひたすら睨みつけた黒髪の彼は、諦めたように俺から目を逸らし、無言で彼を追う。
 彼が去った瞬間、一気に周りの雑音が耳に入ってきた。無理矢理夢から引きずり下ろされたようなそんな感覚に、少し頭が痛くなる。ざわつく食堂内に、俺は溜め息を付かずにはいられなかった。



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