20



「藤咲……藤咲、大丈夫?」
 藤咲にそう声をかけると、藤咲は耐え切れずにがくっと膝を折って床に座り込む。うわ、うわ。大丈夫か。再び倒れ込みそうになった藤咲の腕を慌てて掴み、俺は藤咲と一緒にしゃがみこんだ。手を握って、俯いている藤咲の顔を覗き込む。目は虚ろで、呼吸も浅い。目は合わなかった。
「具合悪い? ベッド行ける?」
「うん……」
「水とかは? 飲む?」
「いらない……頭痛い……」
 小さい声だがちゃんと返事をする藤咲にほっとしながら、とりあえずベッドに運ぶために「立てる?」と問いかける。しかし藤咲は相当体調が悪いようで、動こうとしない。そういえば入学式後のときも藤咲は頭を痛がっていた。多分藤咲は魔力が無くなると、それが頭痛として現れるタイプなのだろう。……やっぱり、あの手しかないかな。躊躇ってる場合ではない。辛そうな藤咲をこれ以上見ていられなくて、俺は藤咲の顔を両手で包み込み、目を合わせる。
「……水瀬?」
 不思議そうに俺をぼんやりと見つめる藤咲。その視線に気付かない振りをして、俺は膝立ちの状態で藤咲を見下ろし、そのまま唇同士を合わせた。
「んっ……みな、んぅっ……」
 藤咲が微かに抵抗するが、俺はそれを防ぐように強引にキスをする。そして無理矢理藤咲の口内に舌を突っ込み、唾液を流し込んだ。口を切っているのか藤咲の口の中は鉄の味がして、藤咲は痛そうに眉をひそめる。そんな藤咲に、何だか少しだけ興奮した。キスをすればするほど自分の身体から魔力が吐き出される感覚。ミントを食べたかのような爽快感に身を任せながら、無心でキスを続ける。魔力を渡すだけだ。そこに他意はない。そう思い込ませようとするが、きっとそれだけでは終わらない何かがある。それが何というものなのかは、分からないけれど。
「はあ……」
 そしてようやく、俺たちは唇を離した。ごく、と唾を飲む音が聞こえる。それがどちらから聞こえたものなのかは分からない。俺たちはキスを終えても、しばらく目を合わせていた。藤咲の顔色が悪いのは変わらないが、少しはマシになった気がする。ちゃんと魔力を渡せたようでちょっと安心した。
「……元気出た?」
「んん……? うん、ううん……?」
「どっちだよ」
 掠れた声で聞けば、なんて言っていいのか分からないのか、それとも状況に混乱しているのか、どっちとも取れるようなよく分からない返事をする藤咲に、俺は思わず笑ってしまう。そしてそんな俺を見て、藤咲も釣られてへらりと笑みを浮かべた。疲れきった、下手くそな笑み。それでも笑みを見せた藤咲に、俺はようやく安堵して、震える息を吐く。ああ、なんかもう、だめだ。
「ごめん、俺のせいで、こんなことになって……」
 そう言いながら俺は床に座り込み、藤咲の冷たい手をきゅっと握って目を伏せる。今回は本当に俺のせいだ。藤咲に言われた通りに教室で待っていれば良かったし、隆一先輩を煽るようなことを言わなきゃ良かった。隆一先輩と顔を合わせてしまったあの時、すぐに逃げておけばこんなことにはならなかったのだ。そしたら藤咲が俺を守ろうと自分を犠牲にすることもなかったし、こんな傷だらけの状態にならずに済んだ。死にかけることにはならなかった。藤咲から目を逸らし、淡々と謝り続ける俺。本当、馬鹿みたいだけど、俺じゃなくて藤咲が一番辛かったはずだけど、俺のほうが泣きそうだった。
「何で、水瀬が泣きそうになってるんだよ……お前らしくない……」
 そんな俺を見て、藤咲は呆れたように笑って俺の頬に触れる。
「いいんだよ、俺がやりたくてやったことだ。……水瀬のせいじゃない」
「……でも」
「俺、別に水瀬のためなら死んでも構わないって、本気で思ってるんだよ」
 藤咲はそう言いながら頬から後頭部へと手を滑らせ、優しい手つきで頭を撫でる。そしてそのまま俺を抱きしめ、すり、と頬同士を触れ合わせた。未だ魔力が作りきられていないからか、藤咲から柑橘系の魔力の匂いはしない。それでも微かに藤咲自身の匂いがして、少し落ち着いた。
「正直、何で俺がこんなに水瀬を守るのに必死になってるのかは分かんないんだけどさ」
「……」
「だっていつも俺が助けても余計なお世話って言いたげな態度だし、俺が話しかけても大抵無視するし、全然可愛くないんだもん、お前」
「……なんだよ、悪かったな」
「ふふ。……でも、なんか放っておけないんだよ」
 話しながらも藤咲の手は止まらず、俺の髪をそっと大切なものを扱うように優しく梳かす。なんか変な雰囲気だな。そう思うが、それでも藤咲から離れようとは思えなくて、俺は大人しくされるがままになっていた。
「俺、これからもきっと自己犠牲は止められないと思うんだ。あいつに"死ぬ"って言われちゃったけどさ、止める気もない」
「……なんで。俺、別に藤咲に何もしてない」
「まあ、そうなんだけどさ……なんて言えばいいんだろ。よく分かんない」
 ううん、と唸る藤咲の言葉を待つ。本当に自分の気持ちが分かっていないようだ。藤咲に頭を撫でられていると段々眠たくなってきてしまって、うとうとしながら藤咲の肩に頭を乗せる。もう何でもいいから、とりあえず休んだほうがいいんじゃないの。なんて思っていた。

「初めて水瀬に出会ったときに、一目惚れしてたのかも」

 ……ん? 何?
「なんちゃって。はは、何言ってんだ、俺。あー、頭痛い。寝よ。もう遅いし」
「え、あ? なに? えっ? ちょ、は?」
「さっきよりは調子戻ってきたけど、まだ体調悪いんだよ。だからかな。ちょっとおかしいこと言ってたわ、忘れて」
「いや、いやいや。ちょっと待ってよ、この状態で寝るの? 寝れる気がしないんだけど」
「大丈夫、羊数えてたらすぐ寝れるよ。そしたらおやすみ。また明日」
 そう言った藤咲はぱっと俺から身体を離し、早口で言い訳を並べたと思いきや、そそくさと立ち上がってリビングに向かって行ってしまった。引き止めてもそれを無視して歩いていく藤咲は未だにふらふらしているし、時々壁にごつんと頭をぶつけている。しかしきっとその理由は具合が悪いだけではないだろう。もう、どうしたらいいのか分からない。感情が追いつかない。だって、こんなにころころと気持ちが変わること、滅多に無い。俺は呆然として、藤咲の背中を見つめる。追いかける元気はもう無かった。
「……あ」
 すると、藤咲は何を思ったのか突然足を止めて振り返る。
「心配してくれてありがとう。嬉しかった」
 そして、へにゃりと力無い笑みを浮かべて、一言。それだけを伝えて、藤咲は再び歩いて行ってしまう。な、なに? なんて? 混乱している間に、ぱたん。リビングに続いている扉が閉まった。返事をする暇も無かった。
「……」
 し、心配してくれてありがとう、なんて、何でこんなタイミングで言うんだよ。心配するのは当たり前だろ。というか、ありがとうを言うのは俺の方だし。お礼を言われるようなことしてないし。……あー、もう。
「ば、馬鹿じゃねえの……!」
 色々と言いたいことはあったが、それ以上に藤咲に照れている自分が無性に嫌だった。くそ。むかつく。逃げやがって。俺は一人残された玄関で、全身の熱が集まって熱くなっている顔を両手で覆う。どきどき、心臓が煩かった。――何かが、変わるような予感がした。



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