01



「藤咲くーん。そろそろ本当のこと言ったら?」
 放課後、風紀室。生徒会室と似たような作りになっているその部屋の中心には、生徒会室同様ローテーブルを挟んだ二つのソファーが置かれている。そのソファーにそれぞれ向き合って座っている彼方先輩と藤咲の周りには、何とも気まずい雰囲気が流れていた。ソファーの肘置きに頬杖を付き、長い脚を組みながら呆れたように藤咲に問いかける彼方先輩は、何だか疲れきっている。こんな彼方先輩の顔見たことがない。俺は横にぽつんと置かれた一人用のソファーに腰をかけながら二人の会話をただただ聞いていた。――あれから二週間が経ち、桜も散り始めた四月の中旬のことだ。
「だからトイレ前で転んで意識飛ばしてただけなんですって」
 藤咲も藤咲で彼方先輩の気持ちを汲み取ろうともせずに適当に誤魔化すものだから、ちょっと冷や冷やする。ぼーっと風紀室に飾られている絵画を眺めながらそう返す藤咲に、彼方先輩はあからさまに大きく溜め息を付いていた。温厚な彼方先輩でも流石にそろそろ怒るんじゃないか。一応、藤咲のことを思って事情聴取しているわけだし。
「嘘つくならもう少し上手い嘘つけよ……要がやったんだろ? もう分かってんだって、こっちは。あとは藤咲くんが証言すれば俺達は要を処置することが出来んのに、何で被害者であるお前が要を庇うわけ?」
「別に庇ってるわけじゃないです。もう帰っていいですか」
「あー、もう……別にいいけど、また明日来てもらうからな」
「明日も明後日も同じ問答の繰り返しですよ。この二週間で分かったでしょ。……行こ、水瀬。お腹空いた」
 そう言ってソファーから立ち上がり、俺と目を合わせて微笑む藤咲。今に始まったことじゃないけど、やっぱり彼方先輩と俺への態度違いすぎない? そう思いながらも俺は苦笑して「うん」と頷き、立ち上がる。まあ、俺は藤咲が心配で無理矢理付いてきただけだし、藤咲が帰るって言うのなら従うしかない。彼方先輩が風紀室に呼び出したのは藤咲であって俺は含まれていないのだから。
「えっと、そしたらすみません。また今度……」
 すたすたと扉の前へ行こうとする藤咲の代わりに、俺は一応彼方先輩にぺこりと頭を下げる。すると会釈をされた彼方先輩は目だけを動かして俺を見て、ひらりと手を上げた。
「はあ……じゃあな、慧ちゃん。今度は二人きりで会おうぜ」
 うわ、出た。彼方先輩の軽口。ちょっと困るんだよな、そういうの。それでも、その言葉に深い意味がないことは最近少しずつ分かってきたので、慣れてきた俺は「機会があれば」と返す。まあ、実際彼方先輩と二人きりで会っても話すことなんて無いし、そんな機会は滅多に来ないだろう。そう思って返したわけなのだが、藤咲はそう捉えなかったようで「そんな日は一生来ないですから!」と俺の腕を引っ張って、そのままずるずると俺を引きずりながら風紀室の扉を開ける。
「うわっ、ちょ、藤咲……!」
 掴まれたところから藤咲の熱が伝わってくる。しっかりと掴まれていて、少し痛い。……いや、まあ、確かに俺はこないだ彼方先輩に襲われたけど、でも、関係のないお前がそんなに先輩に敵対意識持たなくてもよくないか……!? そう思いながら先輩の様子を伺おうと、ちらりと後ろを振り返る。先輩、怒ってなきゃいいけど。
 ――すると、扉が閉まる瞬間。そこから垣間見えたのは、普段笑みを浮かべていることが多い彼方先輩が、無表情で窓を眺めている姿だった。

「なあ、藤咲。藤咲ったら……!」
 風紀室を出てもなお、俺の腕を引っ張って歩き続ける藤咲に、俺は何度も何度も声をかける。風紀室や生徒会室がある四階、B棟廊下。主に役員が使う棟だからか他の生徒はおらず、廊下は静まり返っていた。
「このあと別に用事無いよな? 行きたいところある?」
 藤咲は俺の呼びかけに反応しないまま、歩みを止めずに、そして俺を見ることなくそう問いかける。
「いや、無いけど……って、そうじゃなくて」
「なに?」
「何で、彼方先輩に素直に言わないの」
 藤咲の背中に向かってそう質問すれば、藤咲は足を止めてようやく俺へと振り返る。眉間に皺を寄せた、心底嫌そうな顔。彼方先輩の話題すら出すなっていう雰囲気だ。
「……別に、わざわざ言わなくてもいいかなって思ってるだけだよ。体調も戻ったし」
「でもお前、二日も学校来れなかったじゃん。言えば、その……何か、してくれるかも」
「えー、いいよ。面倒臭い。それでまた恨み買ったらどうすんだよ」
 この話はもうおしまい。そう言いたげに再び藤咲は廊下を歩き始める。こいつ、意外と頑固だからなあ。藤咲に掴まれた腕はそのままに、俺は引っ張られるがままに歩を進めた。離して、と言うよりも、もっと他に気になることがあったからだ。
 藤咲は「恨みを買うかもしれない」と自分の身を案じて泣き寝入りするようなタイプではない。隆一先輩と対峙したときなんて特にそうだ。こいつは自分の今後のことなんて一切気にせず、俺のために行動していた。そう考えると、今の言い訳はあまり腑に落ちない。まあ、自分のことには全く興味が持てないだけなのかもしれないけど……。そう考えた俺は一つの仮説を立てながら、試しにぽつり、呟いてみる。
「本当は彼方先輩に頼りたくないだけなんじゃないの」
 そしてそう言った途端、藤咲の足がピタッとまた止まった。あ、もしかして図星。
「……べ、別にそういうわけじゃ」
「なら何で? お前恨み買っても気にしないタイプだろ」
「まあ、そうなんだけどさ……って、あ。 誰かいる」
 こ、こいつ……あからさまに話逸らそうとしてる……。言い逃れようと慌てて正面を指差す藤咲に呆れながらも、俺は釣られて指が差された場所を見る。どうせ何も無いんだろう。てっきりそう思っていたが、"それ"が俺の視界に入った瞬間思わず息を呑んだ。
「か、会長……!?」
 廊下を真っ直ぐ進んだ先。生徒会室の扉の前で、銀髪の男――会長が倒れていたからだ。力無く項垂れるように気を失っている会長に、ぞわり、背筋に冷たいものが走る。
「え、や、やばくない? 会長って身体弱いんじゃなかった……?」
 何だか怖くなって、会長の姿を捉えたまま藤咲に問いかける。だが藤咲はその質問には答えず、俺の腕を離して、一人、無言で会長の元へ駆け寄った。
「……会長。会長? 聞こえますか?」
 藤咲は屈み込んで会長にそう声をかけるが、扉に背中を預けて意識を失っている会長はぴくりとも反応しない。顔の色はいつも以上に白くて、一瞬死んでいるのかと思うくらいだった。胸が微かに動いているのを見て、ちゃんと生きているのだとほっとする。
「何でこんなところに……寝てるのか?」
 怪訝そうに眉をひそめた藤咲は、会長を抱き寄せ何気なくさらりと後頭部に触れる。重力に任せて簡単に藤咲の方へ倒れ込む会長。目はまだ開かない。
「うわっ」
 そして藤咲は小さく悲鳴を上げ、咄嗟に後頭部から手を離した。
「……? どうし、――ッ!」
 藤咲の反応を不思議に思ってそこに視線を向ければ、藤咲の手は赤く染まっている。魔力と、鉄の香り。粘着性を持つそれは、端から見ても血液だということが分かる。――人間の血。
「……血だ」
 会長が、誰かに襲われた。そう察するまでに時間はかからなかった。



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