02



「ええと……とりあえず先生に言えばいいのか? こういうのって……」
 藤咲が会長を抱きしめながら困った顔で俺を見るけど、流石に俺もこんな状況に出会したことなんて一度も無いから正しい対応が分からない。ううむ。多分役に立たなさそうな教員を呼ぶより、会長の付き人っぽい副会長を呼んだほうが適切に対応してくれる気もするけど。あの人は多分会長の為に動くだろうし。そう思って「先生より副会長呼んだ方がいいんじゃないか……?」と藤咲へ伝えると、藤咲の腕の中から「んん……」と小さな呻き声が聞こえた。
「……会長?」
 見ると、会長が目を覚ましたようだった。
「えっ、と……?」
 会長はまだ意識がはっきりしていないのか、蕩けた目で藤咲を見上げる。隆一先輩と同じ、水色の瞳。会長の意識が戻ったことに気付いた藤咲は、ほっとしたように会長の顔を覗き込んだ。藤咲と、会長。黒と白のコントラストに少し目が痛くなる。
「会長。大丈夫ですか?」
「えっ……ああ、うん……? ……ッ、いて」
 藤咲に声をかけられて身じろいだ会長は、後頭部に痛みを感じたのかぎゅっと眉間に皺を寄せた。それを見た藤咲はジャケットのポケットからハンカチを取り出して、それを傷口に当てる。
「……っ」
 あっという間に赤く染まるそれを見て、流石に俺も肝が冷えた。うわ、うわ。頭部は小さな傷でも出血量が多いとは聞くけど、脳にダメージを受けていたらやばい。そう藤咲も同じことを思ったのか、会長に「体調はどうですか? いつもと変わった感じはありますか?」と問いかけていた。
「ええと……特に変わりは無いかなあ……?」
「うーん。頭皮が切れてるだけなのかな……とにかくしばらくこのまま血が止まるの待ちましょう。この状態で動かすのはちょっと怖いし」
「あー、うん」
 そう言ったあと、藤咲は無言で傷口にハンカチを当て続ける。会長も会長で、藤咲の肩に自分の頭を乗せてされるがままになっていた。……何だ、この疎外感。何だか寂しくなった俺は、二人の元へ歩み寄りしゃがみこむ。それを横目で見た会長は、へにゃりと微笑んで「ごめんね?」と小さく謝った。ご、ごめんって何が!?
「まさか俺もこんな目に遭うとは思ってなくて……迷惑かけちゃったね」
「えっ? あ、あー……いえ……」
「でもよりによって君たちかあ……」
 想像と違っていた言葉が返ってきてほっとするが、それよりも『よりによって』という会長の言葉に引っ掛かりを覚えて、俺は首を傾げる。するとそんな俺に気付いた会長は妖艶に微笑んで「何でもない」と話を切った。よりによって。……よりによって、君たち。その言葉の真意が分からなくて、もやもやする。どういう意味だ。悪い意味にしか捉えられない。隆一先輩の話を聞いたあとだからだろうか。疑ってかかってしまう。だが会長にどう追及していいのか分からず、結局何も言えないまま会長を見つめていると、さっきまで黙っていた藤咲は「あの」と話を切り出した。
「これ、誰にやられたんですか? 傷口はそこまで深くないみたいですけど……」
 藤咲はそう言いながら血まみれのハンカチを裏返しにして、再び傷口に当てる。
「さあ。帰ろうと思って生徒会室から出たことは覚えてるんだけど」
「やっぱり誰かに殴られたんですかね」
「ううん……そういえば後ろから殴られた気もするんだけど……よく覚えてないなあ」
 どうだったかな、と呟きながら、会長は目を閉じる。わわ、出血しているのに喋らせすぎたかな。意識は飛んでいないようで、時々目を開けては閉じてを繰り返している。出血しているということは魔力も放出しているということだ。きっと辛いのだろう。つい二週間前の藤咲を思い出してしまう。
 ハンカチを見ると、血は少しずつ止まってきたみたいだった。もう少ししたら動けるようになるんじゃないだろうか。そしたら一緒に保健室行って先生に処置を頼もう。俺たち素人じゃ、どうしていいか分からない。後遺症とか無いといいけど。なんて考えているときだ。――バタバタと激しい足音。「永久!」と大きな声が聞こえて、振り返る。この必死な声は副会長だろうか。そう予想していたから、実際に現れた人物の姿を見て俺は思わず「えっ」と声を漏らしてしまう。
「隆一くん?」
 その人は、会長と同じ色の瞳をした金髪の男だった。いつもジャケットの下に着ているパーカーは今日は赤色らしい。青い宝石が付いたネックレスが大きく揺れる。副会長ではない。――隆一先輩だ。目を開けた会長がだるそうな表情のまま先輩の名前を呼べば、隆一先輩は焦ったように会長の元に近寄り、会長と藤咲を見下ろす。そして真っ赤に染まったハンカチを見て、更に目を見開かせた。息が荒い。
「お、お前、馬鹿じゃねえの! 何やってんだよ!」
「ええと……隆一くんこそ、どうしたの? こんなところで」
「んなことどうでもいいだろ! それよりそれ、誰にやられた!?」
 隆一先輩はそう叫びながらしゃがんで、会長の腕を掴む。だが必死な隆一先輩に会長は驚きもせず、ふふ、と笑いながら「心配してくれてるの?」と目を細めた。藤咲も俺も話に入っていけなくて、二人の様子を眺めることしか出来ない。
「ちげえよ! ちげえけど……お前、過激派によく思われてねえんだからさ、一人でいるの止めろよマジで……」
「ふふ、うん、まあ、気をつけるよ」
「チッ。流すんじゃねえよ。俺は本気で、」
 そう先輩が続けようとしたときだった。
「――隆一くん」
 会長はその言葉を聞きたくないとでもいうように言葉を遮る。優しい声と、表情。それでもそこには有無を言わせないような迫力があって、無関係な俺でさえ息を止めてしまった。やはり彼はこの学園のトップなのだと痛感させられる。
「大丈夫だよ。俺は覚悟を決めてここにいるんだから」
「……永久」
「だから、隆一くんはもう何もしなくていい。全部俺が何とかする。異能もなるべく使わないで」
 会長の瞼が少しずつ降りていく。段々と小さくなっていく声。「お、おい」と声をかける隆一先輩のことを無視して、会長は続けた。
「記憶を失っていく隆一くんをずっと見なきゃいけない俺の身にもなってよ」
 そして、隆一先輩に掴まれていた会長の腕は重力に任せてぱたりと落ちた。
「か、会長っ……!?」
 えっ、し、死んでないよな? 突然意識を飛ばした会長に焦って俺は会長に近付いて口元に手をかざす。い、息は、してる。生きてる。
「……血はもう止まってるみたい。保健室連れて行こう」
 藤咲は冷静にそう言って、会長を揺らさないように慎重に背負う。俺にも何か出来ることあるかな。そう思って辺りを見渡せば、隆一先輩は会長がさっきまでいた場所を無言で見下ろしていた。
「……」
 声をかけた方がいいのだろうか。でも、なんて言えばいいんだろう。そもそも一緒に保健室行くのかな。会長と先輩って仲悪かったんじゃなかったっけ? 色々考えたけど結局答えが出なかったから、俺は先輩を無視して藤咲に付いていこうと足を踏み出したときだった。「おい」と声をかけられてしまって、振り返る。俺を捉える水色の目。
「俺も行く」
 そう言った隆一先輩の顔色は、少し悪かった。



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