03



「もうすぐで救急車が来るはずだから、君たちは戻っても大丈夫だよ」
 保健室。白衣を着た養護教諭にそう言われた俺と藤咲は「はい」と頷いて、カーテンで締め切られたベッドへ目を向ける。そこにいるのは会長だけではない。会長をあれほど憎んでいたはずの隆一先輩も、だ。俺たちはどうするべきかと藤咲と顔を見合わせたあと、藤咲は先輩に「先輩、俺たち行きますけど」と声をかけた。返事は無い。
 ――突然来た俺たちに、保健室で書類業務をしていたらしい先生は驚いた様子だった。しかし藤咲の背中にいる会長を見て状況を察した先生は流石大人と言うべきかてきぱきと動いていて、気付けばあとは待つだけという状況である。内心パニックだったから、冷静な先生のおかげで今では俺も落ち着くことが出来ていた。
 この学園の生徒は外に出ることが出来ない。その代わりに学園の設備は整っていて、もちろん月之宮学園系列の病院も――同じ敷地内にあるわけではないので車で行き来しなければいけないが――存在している。その病院は異端者のみで構成されており、異能が原因の怪我も対応してくれるという。そのため今回会長は頭部への外傷ということもあって、念の為にその病院で診てもらうことになった。もう俺たちに出来ることはない。さて、先輩は会長と一緒にいたいみたいだし、置いて行ってしまおうか。そう悩んでいた時だ。
「……神代くん」
 先生は心配そうな表情でカーテン越しに先輩を呼ぶ。そういえばそんな名字だったなあ、と思いながら先輩の返事を待っていると、先生は畳み込むように「君が一緒にいても何も変わらないよ」と優しい口調で冷たく諭した。やっぱり、先輩からの返事はない。先生は諦めたように溜め息をついて、俺たちへ視線を向ける。
「さて、君たちも月之宮くんをここまで運んでくれてありがとね。怖かったでしょ」
「ああ、いえ……」
「もう時間も遅いし、月之宮くんのこともあるから気をつけて帰るんだよ」
 にこり、先生は俺たちへ微笑んだ。裏がありそうな笑顔。時計を見ると、午後六時過ぎ。空も少しずつ暗くなってきている。
「……そうですね」
 表情を作る気にもならなかった。俺は無表情でただそれだけを返す。この人、ここから早く俺たちを追い出そうとしているようにしか思えない。それが何を指しているのかはまだ分からないし、今のところこの人は俺たちに何も危害を加えていないから、これはただの被害妄想なのかもしれないけど。この学園の人たちは皆信用ならないからな……。そう思いながら藤咲を横目で見れば、藤咲は何も疑っていないのか先生に「ありがとうございました」とぺこり、頭を下げていた。こいつ……。
「おい。本当に永久を病院に送っていくんだろうな」
 すると、先程まで一切返事をしなかった隆一先輩がようやくベッドを隔てていたカーテンを開けた。殺意が込められた水色の瞳。その視線の先にいるのは、白衣を着た男だ。嫌な雰囲気。
「もちろん。嘘をつく理由がどこにあるの? 僕たちだって月之宮くんの身体のこと心配してるんだよ」
「ハッ、胡散臭え」
「何とでもどうぞ。ほら、月之宮くんのことは僕に任せて帰りな。月之宮くんも君たちがいたらゆっくり休めないでしょ」
 先生はそう言いながら俺たちの背中をぐいぐいと押し、強引に保健室の扉前まで連れて行く。
「ざっけんな! 何にも信用出来ねえんだよ! 永久がこんなことになってるのも全部お前らの――」
 そして隆一先輩が振り返って文句を言い終わる前に、ぴしゃり。冷たく扉が閉まった。
「……」
 しん、と静まる廊下。隆一先輩は呆然と扉を見ていて、無理矢理追い出されてしまった現状を把握出来ていないようだった。思わず俺と藤咲は顔を見合わせる。完全に巻き込まれたなあ、これ。ガシガシと乱暴に自分の髪の毛を掻き、溜め息を付く。するとそれをきっかけに隆一先輩はハッと顔を上げた。
「っ、クソ! 何勝手に閉めて――、って、あいつ鍵かけやがったな!」
「先輩、落ち着いて」
「ぜってえ殺す! 永久に手出したら殺すからな!」
「わー! 壊れる壊れる」
 隆一先輩はそう叫びながら、扉を開けようと何度も必死にガタガタと扉を引く。扉を壊してしまいそうな勢いに焦った藤咲は先輩の腕を掴んで止めようとするが、先輩の興奮はなかなか冷めやらない。うーん。
「分かんないんだよなあ……」
 そして扉の前でわちゃわちゃやっている二人の後ろで、俺はついずっと思っていたことをぽつりと呟いてしまった。あ、やば。振り返る彼ら。感じる二人の視線。……まあ、いいか。今更ここで「何でもない」とはぐらかすことも出来ないだろう。ずっと気になっていたことでもあるし。そう思った俺は開き直って「だって」と口を開いた。
「先輩、会長のこと嫌いなんですよね? だから俺たちの入学式もぶっ壊したわけだし」
「……だから何だよ」
「いいえ? 嫌いな割には必死だなあって思っただけですよ」
「……」
「先輩の意図が全然分かんないんです。会長を殺したいんですか? それとも助けたいの?」
 藤咲が隆一先輩の隣で「おい、水瀬」と口パクで静止するが、もう手遅れだ。あれほどまでに荒れていた隆一先輩は今ではすっかり落ち着いていて、はあ、と深く溜め息を付いている。そして扉を背に、ずるずるとしゃがみこんでしまった。
「……大嫌いだよ。六年一緒にいたけどあいつが何考えてんのか今でも全く分かんねえし、前はあいつが俺に付いて回ってたのに、今じゃ俺があいつを追いかけてるばっかりで……」
「……」
「あいつのことは、俺が止めたい。止められないなら、俺があいつを殺す。それは他の誰かじゃだめなんだ。俺じゃないと……」
 先輩は自分の膝の上で手を組んで、その上に額を乗せる。そのせいで顔が隠れてしまって、先輩が今どのような表情をしているのかは分からない。力のない声。溜まっていたものをゆっくりと吐き出しているような、そんな声。
 隆一先輩は俺たちが思うよりもずっと会長が大切なのだ。だから会長が生徒を殺すのを止めたいし、止めるためなら何だって利用する。同じ過激派グループの人たちでも、俺たち新入生でも、何でも。
「……」
 今まで彼らに協力するのを頑なに拒んできたが、ここまでくると少しくらい協力してもいいかもしれない、なんて思ってしまう。俺だって会長に殺しなんて続けてもらいたくないし、先輩方が殺されるのを黙って見ているなんてばつが悪い。会長が人を殺しているなんて確証はどこにもないのについ絆されそうになった、そんな時だった。窓の外から救急車の音が聞こえたのは。一瞬で現実に引き戻される。「本当に来た」と発された言葉は、一体誰のものだったのか。
「……帰りましょう。俺たちがここにいたって、どうにもならない」
 こうして藤咲のその言葉をきっかけに、俺たちはようやくこの場から離れた。



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