05



「えっ……!?」
 音に釣られて壇上を見れば――そこでは、先程投げられた椅子が爆発していた。
 それを見た副会長は急いで壇上に上がる。それに続いて三人の男も会長の前に立ち塞がった。見覚えはないが多分生徒会メンバーなのだろう。全員会長を守ろうと腰を落として戦闘態勢に入っている。しかし守られている会長はというと怯える様子もなく、何を考えているのか分からないふわふわとした笑みを浮かべていた。
「何その笑顔! 緊張感無いなあ。今度は椅子じゃなくて会長自身が燃えるよ?」
 そんな会長を見て、ムカついたのだろう。俺の背後で、男にしては高い声が会長に向かって叫ぶ。振り向けば、黒髪にショッキングピンクのメッシュを入れたボブカットの男子生徒が立っていた。俺の背後に立っているということは彼も新入生のはずだ。多分B組の生徒である。新入生までこの発端に関わってると思うと何とも言えない気持ちになった。
 というか教員たちは何をやっているのだろう。早くこの騒動を収めて入学式を再開するべきではないのか。生徒たちもどうしたらいいか分からないようで、きょろきょろとあたりを見渡している。このまま座っていればいいのか、体育館を出ればいいのか、何でもいいから指示が欲しかった。それなのに教員専用の席を見てみれば――そこはもぬけの殻になっていた。
「え、ちょっ……先生方は!?」
「え? ……あ、クソ! あいつら本当使えねーな! 自分たちだけ逃げやがった!」
 直都に聞けば、直都も教員方の空席を確認してそう叫ぶ。は!? 自分たちだけ逃げた!?
「ど、どうしたらいいんだよ、これ」
「どうもこうも、下手に動けば巻き込まれ――」
 そう直都が続けたときだった。
 ぶわっ、と空気が変わる。ちらつくのは、捉えられない速さで一斉に動くいくつもの人影。そして、
「ごめんね、これ以上騒がれると困るんだよね」
 瞬きをしている間に状況が一変していた。生徒会メンバーであるパーマをかけた茶髪の男が、リーダー格だと思われる金髪の男の背後に立ち、首に腕を回して動きを封じている。そして先程椅子を燃やしたB組の一年と、金髪の男の仲間だと思われる男二人はいつの間にか壇上に上がっており、それぞれ生徒会長を除く生徒会メンバーに攻撃しようとして――反撃されていた。
「隆一くん」
 唯一誰にも触れられていない生徒会長は、焦っている様子も全くなく、世間話をするようにマイク越しで誰かの名前を呼ぶ。リーダー格の金髪の男が出入り口前で「馴れ馴れしく呼ぶんじゃねえよ!」と反抗しているのを見る限り、彼が「隆一くん」らしい。
「今回は今までに比べて随分早いなと思ったけど……それでもまだまだ俺には及ばないね」
「は? 何意味分かんねえこと言ってんだ。お前の弱みを握ってるのはこっちなんだぞ」
「弱み? 君が知っているそれは弱みでもなんでもないよ」
「……じゃあいいのか? この場でお前らのクソみてえな目論見をバラしても」
「どうぞ? そしたら君も君たちの仲間も死んじゃうけど」
 くすり、と会長は厭らしく笑う。それと同時に金髪の男――隆一の背後に立っていた生徒会の男が、隆一の首に回していた腕をグッと絞めた。死ぬ、だなんて仮にも生徒会に所属している人が簡単に言うなんてと驚いたが、何故かその言葉が冗談にも思えず、無関係な俺でさえ息を呑む。隆一も同じように思ったのだろう。心底嫌そうな顔ではあるが、仕方なく反論するのを止めて口を閉ざした。
「……」
 沈黙が続く。どっちが優勢かだなんて、全く状況が掴めない俺ですら一目瞭然だった。入学式はどうなるのだろう。教員がいない今、このまま続けても意味はないと思うのだが。そう考えながらじっと壇上を見ていれば、スッと壇上で倒れている誰かの腕が上がった。
「僕、空間移動と熱を操る異能を持ってるんだけどさあ」
 沈黙の中で発せられた声はやけに響いた。腕を上げながらそう大きな声で告げたのは先ほどのB組の一年だ。生徒会メンバーであろう群青色の髪をした男に馬乗りにされて動きを封じられている彼は、それでも強気に言葉を紡ぐ。
「その気になれば熱を集めて大爆発を起こすことだって出来るんだよ」
「……それで?」
「ほら、何だか体育館が暑くなってきた気がしない? ――ねえ、みんな?」
 なるほど。脅されている。彼は俺たちを人質にとって、この状況を打破しようとしているのだ。にたぁ、と粘着的な笑みをこちらに向ける彼は、幼い顔も相まって危険な香りがする。椅子を爆発させたのも彼だ。きっと持っている異能も嘘では無いのだろう。それに、そう言われてみたら何だか館内が暑くなってきた気がした。出てきた汗を手の甲で拭いながら、まずいな、と思う。こっちが焦ったら向こうの思うツボなのだろうが、ここで冷静になれるほど俺たちは大人ではない。さっきまであんなに静かだった周りの生徒たちも一気にざわめき始めて、この体育館からいち早く逃げようと席を立つ者までも現れた。しかしそんなことを許してもらえるほど甘くはない。
「逃がすわけないでしょ」
 何も無い出入り口付近から突然炎が上がる。ぎゃあ、と逃げようとしていた生徒の悲鳴が響き、彼に続いて逃げようとしていた他の生徒は大人しく自分の席に付いた。見れば、壇上にいる隆一の仲間の一人が妨害してきたようだった。しかしそんな勝手な真似をして無事でいられるはずもなく、仲間の男は副会長に勢いよく頭を殴られている。それを横目に、一年は会長へと声を掛けた。
「そうだな。僕たちから手を離したら、体育館ごと爆発させるのは止めてもいいよ。どうする? 会長さん」
「……へえ、なるほどね」
「新入生たちを犠牲にするか、僕たちを逃がすか。どっちがいいかなんて考えなくても分かるよね」
 脅されているのにも関わらず、会長は相変わらず表情を変えない。体育館内は再び静まり返っていた。ただ、一年の楽しそうな声だけが響く。彼等が一体何を考えているのかは分からない。しかし、突然入学式をぶっ壊して俺たち新入生の命を賭けるような奴等だ。きっとこの学園のためにはならない。俺たちを見捨てろとは流石に言えないが、簡単に奴等を逃がしたらどうなるか……考えたくもなかった。
「クソッ……あいつら調子に乗りやがって……!」
 そんな時だ。憎しみを音声化したらこんな感じになるんだろうなといった低い声で吐き捨てる直都が、もう我慢できないといった風に立ち上がろうとしていた。あああ、もう、止めてくれ。目立ちたくない。俺は「やめろよ。目付けられるだろ」と直都の腕を掴んで必死に座らせる。隣に座っている俺まで目を付けられたら困るのだ。出来ることなら平和に過ごしたい。入学式がこんなことになってしまった今、難しいかもしれないけど。
「何だよ。慧には迷惑かけねえから離せ」
「今もう迷惑かけてるだろ。お願いだから大人しくしてくれ」
「はあ? 会長を放っておけっていうのかよ」
「そうだよ。お前が行っても状況が悪化するだけだ。会長に任せろ」
「チッ……ああ、もう、お前と話してても埒が明かねえ」
 そう直都に手を払われたときだ。ガタッ、と椅子が倒れる音が俺たちの会話を途切れさせる。それと同時に、さっきまで優勢だった隆一率いるグループの奴等全員が突然蹲った。出入り口を塞いでいた炎もぱっと呆気なく消える。な、何だ?
「え? な、なに。どうしたの?」
 隆一の動きを封じていた生徒会の男も突然の事態に困惑して、押さえつけられるように床に倒れ込む隆一の心配をしていた。この反応からして生徒会の仕業ではないらしい。ということは、
「おい! 今のうちに逃げろ!」
 自分の椅子を倒して立っている藤咲の仕業なのだろう。
「ふ、藤咲?」
「水瀬も! 魔力保たねえんだよ! 早く!」
 俺の斜め前の席で立っている藤咲は、顔を真っ赤にさせて汗だくになりながら俺にそう叫ぶ。手を大きく開いて床に手のひらを見せていることから、彼が異能を発動していることはひと目で分かった。
「慧! 行くぞ!」
「えっ、あ」
「てめえらも! 死にたくなければとっとと逃げろ!」
 直都は藤咲の思惑を理解したのか、すぐさま立ち上がり俺の腕を引っ張る。他の生徒たちに逃走を促すことも忘れない。俺たちがここに残っても、会長に迷惑をかけるということを分かっているのだろう。しかし俺は、何もせずに藤咲を置いて逃げるなんて出来なかった。別に藤咲に情があるわけじゃない。ただ、今俺にしか出来ないことがあった。先程直都がやったように次は俺が直都の腕を振り払って、藤咲の元へ駆け寄る。後ろから直都の俺を止める声が聞こえるが、聞こえない振りをした。目の前にある辛そうな藤咲の横顔。相当しんどいのだろう。汗を拭ってやりたいが、俺がやるべきなのはそんなことではない。
「は!? おい、水瀬。お前なんで逃げ――」
 やっと俺の姿を視認した藤咲はそう怒鳴るが、俺はそれを無視して藤咲の前に回り込み、汗まみれの頬を両手で挟み込んだ。彼の両手は異能を発動するのに使えない。反抗なんて出来るはずもなく、ただただ彼の目が見開いた。男相手に申し訳ないが、我慢してほしい。俺はこんなことしか出来ないから。心の中で謝罪をしながら、俺は――藤咲にキスをした。
「……っ!? みな、……んぅっ……!?」
 戸惑っている藤咲の口をこじ開けて、ぬるりと舌を滑り込ませる。ぽかんと間抜け面を晒す藤咲に少し笑ってしまう。誰が見ていようが関係無い。俺は自分の唾液を流し込み、ごくりと藤咲の喉仏が動いたのを確認してから口を離した。
「えっ、あ……み、水瀬……?」
「これでまだ保つだろ」
 ぐい、と自分の唇を拭って、藤咲の肩を軽く叩く。そして驚きすぎて返事も出来ない藤咲を一瞥してから、俺は踵を返した。直都が出入り口で待っているのを見て、急いで走る。
 先程からある腹の中の違和感がまだ拭えない。せり上がってくる何かをグッと堪えて、ひたすら走る。キスをしても消えないそれは、だいぶ溜まっているのかもしれない。そう思いながら、俺と直都は急いで体育館から逃げ出した。



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