覚めない夢を見ている

 そもそも先輩と出会ったのは、俺が十四歳になった春の日だ。引っ込み思案なのもあって中学二年生になってもなかなか友達が出来なかった俺は、その日も裏庭で一人昼食をとっていた。
 周りの人間は良くも悪くも自分勝手な人だった。それこそ、他人と仲良くする理由は大半は「利用価値があるから」というもので、純粋に相手が好きだから仲良くしているという人間はこの学園ではとても珍しい。こんな俺だって、未来予知という異能を持っていると知られた瞬間は人気者だった。ただ、俺の異能は俺にしか利益がないし、つるんでも何も得られないと気付かれてからは再び一人になったけれど。
 特に辛いのは昼休みだった。大抵の人間が食堂やテラスに行っているため、教室で食べる人は少ない。そしてその数少ない人たちも友達同士でわいわいと楽しく食べているので、独り者の俺は肩身が狭かった。だから俺はいつも誰もいない裏庭まで足を運んで、一人で弁当を食べていたのだ。
「いつもここで食べてんの?」
 そんな俺に、先輩は声をかけてくれた。それが始まりだった。
 裏庭の中央にどっしり構えている学園一大きな桜の木が揺れて、ちらちらと花びらが舞い散る。ベンチに座って池を泳いでいる鯉をぼーっと眺めていた俺は、突然背後からかけられた声に驚いて、大きく振り向いた。そこに立っていたのは、俺と違って友達がたくさんいそうな雰囲気の男の子。ネクタイの色で、一つ上の学年だということが分かる。まさか人に話しかけられるとは思っていなくて、先輩の質問に「えっ、あ、えっと」と吃ることしか出来なかった。そんな俺を見て、先輩はくすりと笑う。
「驚きすぎだろ」
「だ、だって……お、俺なんかに声をかける人なんて、いなかったから……」
 バクバクと暴れる心臓を押さえながら、必死に言葉を紡いだ。こんなところまで来て俺に話しかけた先輩の真意が分からなくて、この時の俺は相当警戒心剥き出しだったと思う。しかしそんな俺に気分を悪くすることもなく、先輩は笑いながら俺の隣へと腰を下ろした。
「いつも窓から見てたんだよ。寂しそうに一人で飯食ってるとこ」
 ずっと気になってて、今日勇気を出して来てみたんだ。そう言って、先輩は手に持っていた弁当箱を開く。一緒に食べるつもりなのだろうか。嫌なわけではないが、少し緊張する。他人と一緒にご飯を食べるなんていつぶりだろう。そう思いながら箸を動かす手を止めて先輩を見つめていれば、先輩はその視線に気付き、「自己紹介してなかった」と弁当箱の蓋を付け直して俺に向き直った。
「俺、三年の澄川深夜。お前は?」
「えっと……二年の、高城弥智です。よろしくお願いします」
「弥智な。よろしく」
 そうにこりと微笑みかけられ、俺は慌てて勢いよく頷く。この学園では普通に過ごしていれば先輩と関わることなんてほぼない。部活に参加していなければ尚更。だからまさかこんなところで先輩と話をすることが出来るとは思っていなかった。人生何が起こるか分からないなあ。なんて考えていると、先輩は「明日から俺もここで食べていい?」と俺に声をかけた。
「えっ?」
「だめ?」
「い、いや……だめってことは、無いですけど……」
 無いけど、先輩がここで食べるメリットが思いつかない。俺のように居場所がなくて困っているならまだしも、よりにもよって先輩がそんなことで困っているようには思えないし。しかしそんなことを先輩に聞くなんてことは出来ず、俺は「よ、よろしくお願いします」と結局流されてしまったのだった。

 それからほぼ毎日、昼休みに先輩とご飯を食べた。色んな話をした。先輩の家族の話や、クラスメートの話、テレビの話。そして――星の話。相当星が好きなのだろう。先輩は星についての知識をたくさん持っていて、色んなことを教えてくれた。その時の俺はあまり星に興味が無かったので星の話をされても正直よく分からなかったが、星のことを話す先輩は目が輝いていて可愛いなとは思っていた。いつも穏やかで冷静な先輩がこんなふうに表情豊かに話す姿なんて滅多に見られるものではなかったから、そこまで先輩を変えるものって一体どんなものなのだろうと興味も持った。――そして先輩の話を聞くうちに、気付いたら俺も先輩と同じくらい星が好きになっていたのだ。
 そして、そんな時だった。いつも通り昼休みに一緒にご飯を食べていたとき、先輩が自分の夢のことについて話してくれたのは。
「俺、父親の影響で天体観測が趣味でさ、学園に入る前から色んなところに行って星を眺めていたんだよ」
 ぱくりと卵焼きを口に入れ、隣でそう話し始めた先輩の横顔を見る。過去を思い出している先輩の表情は切なそうで、俺は食べていた卵焼きを急いで飲み込み、箸を動かすのを止めた。先輩は家族の話をしても自分の話はあまりしないような人だったから、自分のことを俺に話してくれようとしている今、ちゃんと聞かないといけないと思ったからだ。
「プラネタリウムって行ったことある? あれ、すげえよな。あんな小さなところで、色んな世界の星が見れるわけだろ。俺、ハマっちゃってさ」
「へえ……」
「あそこで働けたらいいなあって思ってたんだ、昔。ばっかみてえだよな」
 桜の木をぼうっと見ながら、嘲笑してそう言う先輩。その姿が何だか痛々しくて、俺はただ首を横に振ることしか出来ない。
「俺たち異端者って、将来決められてるわけじゃん。国のために異能を使え、ってさ。俺たちに夢を見ることは許されない。そんなの、分かってんだけどさあ」
「……」
「夢見る前に目を覚まさせてくれれば、こんな後悔することも無かったのにって……そう思っちゃうんだよな」
 へらり、と先輩は俺の方へ顔を向けて笑う。俺は自分が異端者だと気付く前もその後も将来の夢なんて持っていなかったから、決められたレールの上を走ることに関して何も思っていなかったけど、皆が皆自分のように生きているわけではないのだ。何かに興味を持って、やりたいことを見つける。それが簡単に出来るものではないと俺は知っている。中学生になった今もやりたいことなんて見つけられず、ただのうのうと生きているのはきっと自分だけではない。それが出来ている先輩を、馬鹿みたいだなんて思わない。思うはずが、ない。
「……せんぱい、」
 ただ、この気持ちをどう伝えたらいいか分からなかった。意味もなく泣きそうになった。俺は弁当箱をベンチの端に置いて、先輩の手をぎゅっと握り締める。相変わらず先輩の手は温かかった。驚いたように俺を見る先輩の表情は視界に入れないように、ただ先輩の手を見つめる。
「え、えっと……なんて言ったらいいか、分かんないですけど、その、ええと……」
「……弥智?」
「俺、しっかり自分を持ってる先輩のこと、かっこいいな、って……そう、思うんです」
「……」
「ばかみたい、だなんて言わないでください。そんなことないです、絶対にないです。……俺、この学園の中で先輩が一番、かっこいいと思います」
 俺、先輩のおかげで星に興味持てたんですよ。自分の『好き』って気持ちだけで人を変えるって、すごいと思いませんか。
 ちゃんと俺の思ってることが先輩に伝わったかどうかは分からない。自分の気持ちを人に伝えるなんてあまりしたことがなかったから、しどろもどろになってしまった。先輩、引いたかな。不安になって先輩を見ると先輩は今にも泣きそうな表情をしていた。綺麗な表情だった。
「せ、先輩」
「……お前、恥ずかしいやつだな」
 先輩はそう笑いながら、俺の手をすり抜けて俺の頭をぽんぽんと撫でる。優しい手。クサい台詞を言ってしまったこととか、先輩に頭を撫でられている現状とか、その他諸々何だか恥ずかしくなって、自分の顔に熱が集まるのが分かる。だけど先輩はちょっと嬉しそうな顔をしていたから、きっと俺は間違ったことはしていないのだろう。それだけが救いだった。なんて思っていたときだ。
「弥智」
「……なんでしょう」
「お前、星に興味持てたって言ったよな」
 へ? 突然話を変えた先輩に、俺は頭を撫でられながら首を傾げる。確かに言ったけど、それがどうかしたのだろうか。俺は恐る恐る頷くと、先輩は俺の頭から手を離してまるで内緒話をするように顔をそっと近付ける。
「実は学園には小さいけどプラネタリウムがあってさ、そこで天文部が活動してるんだよ」
「え……?」
「天文部。俺が部長やってる。……弥智さえ良ければ、一緒に活動してみないか?」
 俺が断るとでも思っているのだろうか。先輩は不安そうに俺の顔を覗き込んでいる。というか先輩が天文部に入ってるのも今知ったし、この学園にプラネタリウムがあるのも今初めて知った。俺は今のところ部活に入っていないし、その点は何の問題はない。それに、先輩をこんなにも夢中にさせたプラネタリウムをこの目で見て、感じてみたい。話を聞いてそう思った。だから、先輩。そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫です。――答えはもちろん、決まっている。

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