そろそろ気付かない振りは止めたら。そう、鯉が俺に伝えているようだった。
「でも、だって、先輩と俺じゃ全然釣り合わないもん……」
昼休み。裏庭にある池をしゃがみこんで眺めながら、先輩に言えなかった言い訳を鯉に向けて呟く。そんな中、鯉はぱくぱくと俺があげた餌を美味しそうに食べていた。まあ、鯉が話すわけがないか。全部、俺が思っていることだ。
あれから一週間。俺は毎日プラネタリウムを尋ねたが、先輩と会うことは一度も無かった。きっとテスト期間中だからなのかもしれないし、何か用事があったのかもしれない。来ない理由は色々考えられる。でも先輩と会った最後の日を思い返すと、俺と会うのが嫌で避けているのだろうと思わざるを得なかった。それを証明するように昼休みに先輩の教室まで足を運んでも、いつも先輩はどこかへ行っていて会うことが出来ない。俺を避けている。多分。
でも、言い訳がましいと思うけど、本当にこんなつもりじゃなかったのだ。先輩を怒らせるつもりは無かった。なんて後悔しても、もう何もかも遅い。きっと俺にこんな能力が無ければこんなことにはならなかったのに。そんな、どうしようもない"もしも"まで考えてしまう。
一人ぼっちな俺を助けてくれた先輩。夢を持って生きている先輩。地道に努力を続けている先輩。先輩は俺にとって太陽のような存在だった。神様だった。そんな先輩と、ただ流れに身を任せている俺じゃ、全く釣り合わない。同性で、頼りなくて、自慢にもならないどうしようもない俺じゃ。
だから嫌だったのだ。だって、このままの関係でも十分幸せだった。変化なんて求めていなかった。
「君が夜空を泳げないのと一緒で、俺も先輩の隣には立てないんだよ」
鯉に向けてぽつりと呟く。そう。出来ないことをやろうとしても無駄。だから最初から諦めていた。先輩には幸せになってほしい。俺のことなんて忘れて、どこか遠いところで。時々、連絡くれるくらいでいいから。そう思っていたけど、もうそれすらも叶わない。連絡どころか、恨まれて終わってしまうのかもしれない。……はあ。死にたい。
「先輩、俺に愛想尽かしちゃったかなあ……」
そう言葉に出すと改めて現実を突きつけられて、泣きそうになった。まあ、でも、そうだよな。あんな態度取られたらいくら先輩でも怒るよな。……やだなあ、嫌われたくないなあ。俺は鯉から視線を移し、膝を抱えてそこに顔を埋める。そしてぐり、と額を膝に押し付けた。溜め息が止まらなかった。
本当は気付いているのだ。告白される夢を見て気持ち悪いと思わなかった理由も、先輩で抜いてしまった理由も、毎日来なくてもいい部活に顔を出している理由も、先輩に嫌われたくないって思っている理由も、全部全部。
初めて声をかけてくれたときから先輩が大好きだった。俺に柔らかく笑いかけてくれたり、優しく頭を撫でてくれたりするところが大好きだった。一緒にいると何だか胸がきゅうんと締め付けられるようになったり、ぽかぽかと温かく幸せな気持ちになったり、先輩に出会ってから初めて知る感情ばかりで、先輩は俺に星のこと以外にも色々と教えてくれていた。俺はそれに三年間気付かないふりをしていた。変わりたくなかった。ただそれだけの理由で。だから罰が当たったのだろう。先輩を傷付けてまであんなに手放したくなかった日々は、もう戻ってこない。
「はあ……」
何度目の溜め息か、数えるのも止めた頃だ。帰りたい。引き篭りたい。そう思いながらぱらぱらと鯉に餌をあげながらぼんやりとしていたら、背後からがさりと草を踏む音が聞こえた。
「ッ……!」
も、もしかして先輩!? そう期待して勢いよく振り向く。先輩だったら、早く謝らなきゃ。もう変わりたくないなんて我が儘言わないから、お願いだから離れていかないで。そう、伝えなきゃ。「せんぱ、」と先輩を呼ぼうとしたときだった。
「おい、そろそろ授業始ま――ん、あれ、高城?」
俺が先輩だと思っていた人は、先輩のようにふわふわとした茶色の髪はしていなかったし、愛情溢れた瞳はしていなかった。後ろを振り返ると、そこには怪訝そうに俺を見下ろす男。左側だけ長いアシンメトリーの黒髪に、紫色のメッシュ。季節外れの革手袋と、パワーストーンが付いたブレスレットが目を惹いた。そしてそれよりも目に入ったのは、王冠と薔薇がアクセントに付いているネクタイピン。風紀委員の証だ。――天宮夏希。俺と同じクラスで、風紀副委員長を務めている男である。どこからどう見ても先輩じゃない。その事実に少し気持ちが落ち込んでしまう。先輩じゃないならいいや、なんて思ってしまうほどだった。
「お前いつも昼いないなって思ってたけど、ここにいたんだ」
「う、うん……」
「もう戻ったら? 授業遅れるぞ」
「うん……」
きっとずっとここにいても先輩は来ないだろう。俺は天宮が言う通り教室に戻ろうと重たい腰を上げる。先輩と会えないなら学校なんてどうでもいいし、授業に遅れても全く構わないけど、風紀委員がいる手前そういうわけにもいかない。そう思って裏庭と校舎を繋いでいる扉に手をかけた。そのときだった。天宮が俺に声をかけてきたのは。