だからそこで待ってて

「そういや、あの先輩とは最近会ってないのか?」
「……え?」
「ほら、昼いつも一緒に食べてる」
 天宮は不思議そうに首を傾げて、俺にそう言った。若干強ばった声。何気ない会話のつもりで声をかけたのだろう。でも、今先輩の話をしないでほしかった。苦しくなる。それでも滅多に話す機会が無いクラスメートを無視するわけにもいかなかったから、俺はゆっくりと振り向いて「見てたの?」と問いかけた。質問に質問で返すなんてずるいなあ、俺。そう思いながら天宮の顔を見れば、彼は気まずそうにへらりと笑う。
「窓から丁度ここが見えるから、つい」
「……」
「お前が幸せそうに先輩と話してるの見て、こんな顔も出来るんだなあって思ってた」
 幸せそう? 天宮にそう言われて、俺は思わずぺたりと両手で自分の頬に触れた。もちろん、触ってみても全然分からない。幸せそうな顔、してたのかな。俺。先輩と会えなくなってしまった今、確認することも出来ないけれど。自覚が無かった俺は天宮に対して首を傾げてみせると、そんな俺を見た天宮は一歩ずつ俺に近付いてきて「いつも教室じゃ下ばかり見てて、ちょっと暗い感じだったから」と続けた。
「く、暗い感じ……」
「あっ、ち、違うぞ? 悪口が言いたいんじゃなくて……ええと、だから……その、珍しいなって思ってたんだ。それで、高城にもそういう頼りになる相手がいて良かったなって思ってた」
「……うん」
「だけど、最近、いつも以上に表情が暗かったから……あの先輩と何かあったのかなって」
 俺に気を遣いながらそう声をかけてくれる天宮に、俺は「えっと……」と口篭ることしか出来ない。俺のことを本当に心配してくれている天宮の気持ちが言葉の節々から伝わってきていた。
 入学してから今まで、あまりクラスメートと話したことは無かった。昼休みはなるべく教室にいないようにしていたし、放課後はすぐに部室に行っていたから。だから、彼らと歩み寄ろうともしていなかったし、知ろうともしていなかった。未だにクラスの人たちの名前や顔は覚えていない。それでも、天宮は俺のことを見てくれていたのだ。そして心配してくれて、今日は声もかけてくれた。それが何だかくすぐったくて、恥ずかしくて、ちょっとだけ嬉しい。だからそんな天宮に、俺も応えなきゃいけない。応えたい。そう思った俺は緊張しながらも勇気を振り絞って、「……こんなこと言われても、困ると思うけど」と前置きをして、天宮の金色の瞳を見つめた。さら、と柔らかく爽やかな風が俺たちの頬を撫でる。
「その……先輩に酷いことをして、先輩を怒らせちゃって」
「うん」
「謝りたいんだけど、先輩に避けられてるし……それに、なんて言ったらいいか分かんないんだ。こういう……その、誰かとすれ違うのって、初めてだったから……」
 人と関わってこなかったから、喧嘩もしたことがない。だから仲直りの仕方も分からない。自分の気持ちの伝え方も分からない。こんな状態で先輩と会って、今まで通り一緒にいられるようになるとは思えなかった。正直、先輩に会えなくてほっとしている自分もいたのだ。怖い。あのときみたいに冷たい視線でまた見つめられるのは、怖かった。自分の足先を見つめながら、俺はぽつりぽつりと落とすように言葉を紡ぐ。泣いちゃいそうだった。
「まあ、そうだよな。人の気持ちって分かんないから、自分が言った言葉にどんな反応が返ってくるのか分からなくて不安だよな」
 情けない顔をしているだろう俺の姿を見ても、天宮は優しくそう返してくれた。そして、俺の手を取ってぎゅっと握り締める。革手袋のせいで体温は伝わってこない。ざらついた生地。それでも、何だかほっとした。そして同時に先輩の温かい手を思い出して、あの手でまた触れてもらいたいって、そう思った。
「でも、大丈夫。高城の気持ちを素直に先輩に伝えたらいいと思うぞ、俺は」
「……素直に?」
「ああ。でも、なんでそんなことしちゃったのかとか、そういう言い訳は二の次だ。まず、先輩とまた話せるようになりたいってことを伝えたらいい」
「……」
「風紀の仕事で先輩と顔を合わせることあったけど、結構元気無かったぞ。それって、きっとそういうことなんじゃないの?」
 そういうこと。そういうこと、なのかな。大丈夫かな。不安な気持ちのまま顔を上げて天宮を見れば、天宮は安心しろと言いたげに手を握る力を更に込める。
「それに、もしだめだったら俺が代わりに先輩殴ってやるから」
「えっ、だ、だめだよ!」
「ふふ、冗談だって。ま、そんなに心配しなくても大丈夫だろ。きっとなるようになるよ」
 だからまずは先輩と話をしてこい。そう言って天宮は俺から手を離し、俺を後ろへ振り向かせて背中をぽんと押した。勢いが付いて、つい一、二歩足が前に出る。振り向けば、天宮は優しい表情で笑みを浮かべていた。なるようになる。……そうかな。そう、だよね。きっとこのままいても何も変わらない。行動を起こさなければ。それに、先輩は優しい人だから、きっと話くらいは聞いてくれる。返答は、どうなるか分からないけど。でもこのまま話せなくなるよりは断然マシだ。俺は天宮の言葉に対して「うん」と頷き、ぎこちなく笑ってみせる。まだ不安だけど。まだ怖いけど。それでも、勇気は出た。
「ありがと。……先輩に、会ってくる」
 そう言って、今度こそ裏庭を出るために扉に手をかけた、その時だった。腕を引っ張られて、歩みを止められたのは。
「だめ」
「……えっ?」
「会いにいくのは、授業終わってからにして」
 俺、一応風紀委員だからさ。サボりは見逃せないんだよね。そう言われて、俺は思わず笑ってしまった。まあ、放課後でもいいか。いくら時間が経とうが、きっと気持ちは変わらないから。

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