絶対に別れたくない弟と絶対に別れさせたい兄

灰谷竜胆の彼女は地味な女であった。
髪は控えめなダークブラウン、ピアスホールは空いているようだが小ぶりなリング型のものがそれぞれの耳に1つずつ。基本的にパンツスタイルで露出はほぼない。化粧もファンデーションとリップ、眉毛をかく程度である。

そんな地味な女と、東京で名の知れた灰谷兄弟の弟の出会いは至極単純。竜胆がたまたま1人で入った喫茶店で働いていたのがその女だった。
竜胆の一目惚れにより始まった2人の関係は順調なものだったが、彼にはひとつ懸念があった。

兄の存在である。

自分勝手で喧嘩の時は格好をつけいいとこ取りをする灰谷蘭だが、一応兄らしく弟のことを気にかけている…が、気のかけ方が少々特殊だった。
弟の彼女を試すために、その彼女に言い寄るフリをして落ちたらあっさりフッてアレ尻軽だったから別れた方がいいぞと平然とした顔で宣うのだ。初めのうちはいちいち怒っていた弟も今ではまたかと思う程度で、今思えば何となくで付き合ったそこまで好きでもない女だったのかもしれない。

しかし今の彼女は違う。
あまり連絡がマメではない彼女だから連絡は基本竜胆からするし、デートの予定も竜胆が合わせている。デートに行っても欲を言わないから色々と貢ごうとして止められて、竜胆と一緒にいられるなら何もいらないといじらしいことを言ってくる。
竜胆にとって、おそらく彼女は人生で最後の女になるだろうという予感があった。それくらい心底惚れ込んでいる女だった。



そんな彼女を自宅に呼びたいというのは彼氏としては当然の心理であった。しかし自宅ということは今の竜胆にとっての最大の敵、蘭という魔王がいるのだ。
基本2人で行動する六本木のカリスマ灰谷兄弟。竜胆は何ヶ月もチャンスを伺いさり気なく兄が1人で出かける日を聞き出し、ようやくこの日彼女を家に呼ぶという小さな夢を叶えることが出来た。


「は、華さん、何かのみマスカ??」
「うん、何か貰えると嬉しいな。」

この童貞のような話し方をするのは所謂恋愛童貞の灰谷竜胆である。初めての本命彼女が自宅にいるという事実に先程からロボット化が止まらずにいた。
手と足を同時に出しながら歩くという昭和のコントのような動きでキッチンまで行き冷蔵庫を開けた時、竜胆はしまったと頭を抱えた。そこには酒しか入ってなかった。前日に入れていたはずのミルクティーはきっと兄が何となしに飲んだのだろうと予想が着いた。こんなことなら三本くらいストックしておくべきだった。

「はっ華さん!飲み物!入ってなかったんデ、ちょっと買って来ます!!!」
「えぇ、飲み物入ってなくて竜胆くん普段どうやって水分とってるの。」

控えめに笑う彼女に胸を打たれながら、竜胆は財布をズボンのケツポケットに突っ込んだ。

「私は水道水でもいいよ?」
「だめ!!…デス。オレがちゃんとしたもの、華さんに飲んで欲しい…。」
「そっかぁ、私もついて行こうか?」
「い、いや、ここに居て。すぐ帰って来るから。飲みたいもの…ある?」
「甘いもの飲みたいな。」
「ワッ、わかった。ちょっと待ってて。」
「うん、行ってらっしゃい。」
「! い、いってキマス…!」

まるで同棲しているかのようなやり取りにまた胸を打たれた竜胆はほんの少し頬を染めて、興奮のまま近くのコンビニまで走った。
多少息を切らした竜胆はコンビニでミルクティーにココア、オレンジジュース、カフェオレなど目に付いた甘い飲み物を買い込み、それらが入れられた白いビニール袋をガサガサ揺らしながら家路を急ぐ。その口元には隠しきれない笑みが浮かんでいた。

まさに夢見心地で自宅のドアを開けた竜胆は、笑顔のまま凍りついた。
家を出る前、無駄に広い玄関には彼女の黒いパンプスがポツンとあるだけだったはずなのに、その隣に男物のブーツが脱ぎ捨てられていた。それはまごうことなく兄が出かける時に履いていったものだった。
走って温まっていた体が一瞬で冷えきり、手に持っていたビニール袋が手からすり抜けて派手な音を立てた。履いていた靴を乱雑に脱ぎ捨て足をもつれさせながらリビングへ続く扉を乱暴に開け放った。










竜胆は開け放った扉を1度閉じた。








メガネを外して眉間を揉んでからもう一度メガネを掛けて再度扉を開けた。

「おかえり竜胆くん。」
「たっ……ただいま、????」

兄は居た。

居た…が、何か思ってたのと違った。







兄は竜胆の可愛い可愛い非力そうだった彼女に卍固めされていた。




竜胆は目の前の情報を処理しきれず、まるで宇宙に放り出されたかのような感覚を味わった。

「玄関で派手な音したけど大丈夫?」
「え????え、えっ???うん??????」

卍固めをしたままいつもの様に優しく話しかけてくる彼女に、卍固めされている兄は幻覚なのかもしれないと思った。

「ぃんどぉ…だずげで…。」

顔を青くしながら助けを求めているのは…兄?????いや、顔が青いからきっとアレは兄じゃないはず。謎理論によって兄弟ではなくなった蘭と竜胆。そして「引導?」とすっとぼけている華。

「は、華さん…?、????」
「あれ、竜胆くん飲み物どうしたの?」
「あ、玄関に…。」
「落としちゃったんだ、可愛い。私が取ってくるね。」
「う、うん???ありがとぉ????」

喧嘩の時いつも聞いている人が倒れ込む音に首を傾げながら幼女のようなありがとうを言う竜胆はきっといい子である。
顔が真っ青なまま倒れている兄のような多分兄ではない人物と目を合わせ数秒、竜胆は現実を見ることをやめてソレから目を逸らした。

「ペットボトルのは無事だけど缶のヤツは全滅してたよ。」
「そっかぁ。じゃあ無事なやつ飲もうなぁ。」

竜胆はこの日現実逃避の末の菩薩の心というものを知った。
いつもは緊張して出ないはずのにっこり笑顔が飛び出すほどの菩薩の心だ。
無事な飲み物を洗って綺麗にしようと2人和やかにキッチンに向かおうと踏み出した足に何かがまとわりついた。驚いた竜胆が下を見ると、そこには髪が乱れ貞子のような様相の男。

「わがれろ…ぃん、ど…、そいづ、わが、れっ…、お゛ォオオ…。」
「ひぇ…。」

竜胆の中の幼女が顔を出した。
今日は緊張したり菩薩になったり幼女になったりととても忙しい日だ。

「酷いなぁ、私竜胆くんのこと大好きなのに別れろなんて。」
「えっ、あ、う、うれしい…デス。」
「竜胆くんのお兄さんなのに卍固めしてごめんね。」
「いや、大丈夫!」
「だいじょおーぶじゃねェ。」

華を恨めしそうに見る蘭だが、今回のことは完全に自業自得である。
竜胆の様子のおかしさから彼女がいることを見抜き妙に出かける日を探って来るので罠にかけ、いつもの手法で2人を別れさせようとしていたのだ。いつもより竜胆のガードが硬かったのは蘭にとって予想外だったが、弟の考えていることなど兄には丸わかりであった。冷蔵庫に入ってあった意味深なミルクティーを飲んだのも、家の中で彼女を1人になる瞬間をつくりたかったからだ。


しかし彼女、突如として帰ってきた蘭に肩を抱かれた瞬間喉に一撃を入れた。
思いがけない反撃だったがいつも喧嘩しているこの男、弟の彼女がどうかなんて関係なく咄嗟に愛用している警棒で華を殴りつけようとした。それを難なく腕で止められ、卍固めをされた時に竜胆が帰ってきたのだ。

「突然肩抱かれて驚いちゃったの。」
「え、大丈夫だった?他に何もされてない?」
「うん、大丈夫。竜胆くんと付き合いはじめてから格闘術習い始めたから。」
「オレと付き合いはじめてから…?」
「竜胆くんに釣り合うような女の子になりたくて。スタイルよくなって、強くなったら言おうと思ってたの。」
「そうなんだ、嬉しい。」
「ごいづゴリラだぞ…、ゴィアとづぎあうことになるんだぞ…!」

未だに喉が潰れている蘭の言うことは正しい。
まだ格闘術を習い始めて数ヶ月しか経っていない華は才能がありすぎた。その無駄な才能でメキメキと強くなり、今ではどこに出しても恥ずかしくないゴリラへと成長したのだ。

「華さんは、か、可愛い女の子だし。そんなこと言うのやめろよ兄ちゃん。」
「りぃどお…!?」
「あーごめん華さん、今日はちょっと違うとこ行かね?」
「それなら家に来る?ホットケーキ作って一緒にたべよ。」
「い、行きマス!兄ちゃん、もう華さんに手ェだすなよ!」

貞子のような体勢で手を伸ばす蘭を置いて、竜胆と華は飲み物を持ったまま家を出た。

恋は盲目とはよく言ったもので、竜胆は華がどれだけ強くても胸を高鳴らせることしかなかった。むしろ強い華を見て余計に好きが加速した。
弟には都会に紛れ込んだゴリラでは無く人間の女の子と付き合って欲しい兄は絶対に2人を別れさせようと決意した。




翌日喉の調子が戻った蘭が竜胆に詰め寄って本気で別れさせようとしたが、竜胆は頑なに拒否をした。

「もー兄ちゃんしつこい!」
「それならほら、いっこ前の彼女とヨリ戻すとかさ??」
「あー?誰だっけ。」
「いや知らねーけど!あっそーだ!この前声掛けてきた女とかいーんじゃね?」
「そんなんいたっけ?」

竜胆の愛はノンストップジェットエンジンが搭載されているロケットのようなものである。
今後、別れることの無い弟カップルと2人を別れさせたい兄の攻防戦は12年の後も続いていくことになることを蘭は知らない。

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