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伝電虫から聞こえた名前は、拳を握る力を強めるには十分だった。フランキーの船を燃やした男。みんなを晒し者にした男。トムさんを侮辱して、踏み付けて、連行した男。
「おい待てお前らァ!!」
果敢に声を上げたウソップは、その甲斐虚しく片腕で捻り潰され、海賊だからと縛られる。その姿があの日のトムさんと重なって、ぐにゃり、と潰れた絵の具のような気分がした。押し出された黒と青が混ざって、滴る赤が混ざって、混ざって。
「あーあ、やられちまった‥だがお兄ちゃん、お前の分までおれが殴ってやるから安心しな」
一瞬湧き出そうになるそれを、敏感にかぎ取ったフランキー。ぐるぐる巻きにされた身でこちらに視線を送って、ウソップに宛てたような言葉で私に声を飛ばす。
「だからこの先、何が起ころうと手を出すなよ」
あの日のトムさんの言葉を擬えて、フランキーはそう言った。
‥あの日のことは忘れたくても忘れられない。たとえどれだけ月日が流れても、細部まで再現できるくらいに。
――――――――
「トムさん、何作ってるの?」
「ナマエ!」
今から二十年前のこと。トムさんが海列車を作り始めて二年目の年になって漸く私はW7に行くことが出来た。
「遅くなってごめんね」
海賊王の船を作った罪というなんとも理不尽な理由で司法船に連れていかれたトムさんは、この海に列車を通わせると言って十年の執行猶予を貰ったらしい。だから最近はそれを造っているのだと教えてくれた。出来るのかと不安な声を挙げる人もいたらしいが、司法船から帰ってきた時、当の本人は生きてたと笑っていたらしい。
らしいらしいと言うのも、私もこの時に知ったばかりのことだらけだったからだ。ロジャーの最期から一年余り、私も私でロジャーとの話をしつこく聞かれていて、半分は政府の元で、残りの半分は海軍本部とニューゲートの船にしか移動が許されていなかった。それでも処分されることはなかったし、トムさんに比べれば夢見心地のぬるま湯に浸かっていたと思う。そんな私に、大変だったなあと少しトーンの下がった声が優しく届いた。
「辛かったろう」
「トムさんに甘やかしてもらうから平気」
「‥!たっはっはっはっ、こりゃかなわんな!」
「ひひひ」
風船のようなお腹に飛び込んでこいと言わんばかりに両手を広げて、最初に出会った時と同じようにしゃがんでくれる。勢いよく飛びつきすぎて、トムさんと一緒に資材の間をコロコロ転がった。怒るどころか声も出ないほど笑いながら、元気で良かったと抱きしめてくれた。
「ンマー、トムさんはナマエに甘すぎる」
「アイスバーグ!また随分大きくなったね」
「お前が最後に来てから何年経ったと思ってる」
寂しがっていたと、トムさんが笑いながら教えてくれた。少し前なら照れ隠し用の咳払いをして話題を変えるのがお決まりだったけれど、この時は心配だったと言葉にしてくれた。成長したのは、見た目だけのことではなかったようだ。
「ココロさんが塩おにぎりを作ってくれてる。食べるなら手伝えよ」
だけど話題を変える部分は何も変わらなくて、それはそれでまた嬉しかった。そして、トムさんの夢を叶える手伝いが出来ることが嬉しかった。海面を進む海鳥のように駆け抜けていく返答に、トムさんとアイスバーグの声が重なって、解けるように消えていく。
「あっちに車輪がいくつか置いてある。持ってくるのを手伝ってくれ」
「あいさ!」
あっち、と言う場所までトムさんも一緒に来てくれる。そこには知らない顔がいて、背中に車輪を一つ背負ってトムさんと私の隣を通り過ぎて行った。
「‥今の子、誰?」
新しい弟子だと教えてくれたトムさんは、嬉しそうにその姿を見つめていて、自身も車輪を二つ抱えてその危なっかしい背中を見守りながら歩き始めた。トムさん、また大事なものが増えたんだね。そしたら私が全部運んでしまうのは違うよなあと、私も二つだけ持ってアイスバーグの元へ運んでいく。
「どうした、調子が悪いか?」
「サボりか?」
「私、もっと違うでっかいやつ運びたい」
「我儘だな」
「良いんだ、アイスバーグ。ナマエ、列車の先頭部分を持ち上げてくれるか。底の調子を見たい」
「あいさ!」
よいしょと頭の上に持ち上げると、トムさんは寝転がって列車の底の構造を点検して、なんとも無さそうだとすぐに下から抜け出した。
「今朝も見ただろ、トムさん」
「そうなの?じゃあ必要なかった?」
「いや、必要だった。お前さんを甘やかすためにな」
「‥トムさんっ!」
笑い合う私達を、アイスバーグの隣で言葉をなくして立ち尽くしていたのが、新しい弟子だと言うフランキーだ。
「お前‥なんでそんなに軽々‥!」
その言葉を聞いてまた笑う私に、笑うなと真っ直ぐに飛び掛かってきたフランキー。彼と仲良くなるのに、時間はかからなかった。
・・
「ナマエ、起きろよ!海に線路を敷いたんだ!」
翌朝、太陽が顔を出し始めた頃には三人とも工具の音を響かせていたらしい。いつまで寝ているんだと、いつもならまだ寝ている時間に起こされる。おばけのように顔の前に垂れ下がった髪の毛をかき分けられて、来いよとフランキーに手を引かれながら、外に出る。
「わあ‥!」
重たい瞼を無理やりでも押し上げて良かったと、目の前の光景に感嘆の声が漏れた。試用なのか短く設置された海の中で揺れる線路は、波に逆らわず、心地よく揺れている。海の上を、誰もが気ままに渡れる日が来るなんて、夢みたいだ。
「‥ナマエ、泣いてるのか?」
「ん?ああ、欠伸が止まらなくって」
「ふうん」
欠伸を零す真似があまりにもわざとらしかったのか、フランキーはへったくそだなーと笑いながら、トムさんに告げ口をした。その言葉を聞いたトムさんは優しく笑いながら私を抱え上げてくれ、一緒に海に揺れる線路を見ながら背中を撫でてくれた。
「‥欠伸だよ」
「分かっておる」
遠くの方で、波の音が響き、カモメが鳴く。すぐ近くで響く二つの工具の音はじゃれ合っているようで、少しくすぐったい。その音に耳を傾けながら、トムさんはパスミーの調子を見ておいたと言った。
「この列車は、ログがなくても、航海の技術がなくても、誰でも海を渡れる。夢があるだろ?」
「うん、みんな喜ぶよ」
「お前さんの航海も、夢がある。ドンと胸を張れ、ナマエ」
この島についた時に生まれたらしい心の中に埋もれていた正体も分からないもやもやは、浜辺の砂のように細かく砕け、打ち寄せる波が少しずつそれを取り除いて、真っ白な砂浜へと戻していく。
「‥完成するの、楽しみだな」
「ああ、わしもだ」
トムさんがパスミーを作ってくれたから、私はニューゲートにも会えた。ねえトムさん。この列車が完成したらさ、その時はさ。
「トムさん大変だ!線路にでっけえ魚が乗り上げてる!!」
「何?!」
「ひひひ、もうちょっとかかりそうだね」
当時はまだ海列車が安全に走ってる姿は殆どなくて、トムさんは頭を抱えてはまた作り、時には怪我をして、それでもいつもと変わらぬ笑い声を空に響かせていた。希望の架け橋を完成させることに、残りの全てを注いでいた。彼の弟子もまた、その姿に倣う様に列車を作っていた。彼らの一日は、陽が昇るより早く陽が沈むよりずっと遅く、真摯に賑やかにあっという間に過ぎていった。
「トムさん、眠らないの?」
「手が止まらなくてな」
そのくらい楽しい時間だと言いながら、弟子二人が寝静まってからも、橙色の灯のもとでトムさんは図面に線を引いていた。焦りがないわけではないと思うけれど、一年経てばアイスバーグやフランキーは一年分の力がついている。二年後も三年後も、歳を重ねた分だけ技術を磨ける子達だろう。それすらも楽しみなんだろうなと言うことは、その横顔を見ればすぐにわかった。
「ねえトムさん。海列車が完成したら、トムさんは無罪なんだよね?」
「そう言ってたな」
「じゃあ、その時はニューゲートと一緒に海列車を見に来るよ」
「ああ、そいつは楽しみだ」
そう約束して数年が経った頃、海列車パッフィングトムが完成したという知らせが耳に届いた。