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アイスバーグやフランキーに寄り添うココロちゃんの視線は変わらずトムさんへと一直線に伸びていて、涙を流しながら話していた。直後、海列車の準備が整うやいなやトムさんの顔が汚い足に踏みつけられて事態は急変する。走り出していたフランキーは手にした木材でその男の顔を思い切り殴り、暴れ出した。私も身体の奥に溜まる熱が火山のように噴き出していた。
「ニューゲート、小瓶だけ。セイフに触られたくない」
「‥」
「ニューゲート、」
「‥五秒だ」
弟子と一緒に私を守ってくれたトムさんの優しさを、私が踏み躙らないように。
トムさん、口は出さないよ。
姿だって、見せない。何が起きているかなんて、見せてやらなくてもいい。もういいかいなんて聞いてやらなくてもいい。逃げる見物人から帽子をひらりと拝借し、騒ぎに乗じてその中へと紛れ込んだ。
フランキーへと向けられた銃は端から蹴り飛ばし、海軍の手からポロリポロリと落ちていく。
「お前ら、何をっ‥!」
意識を戻したトムさんの顔を踏んだ男の怒鳴り散らしている声は、まるで自分の存在を主張しているようで酷く耳障りだ。‥もう喋るな。湧き上がる感情のままフランキーが殴打した部分を蹴り飛ばしせば、忽ち静かになった。
そして、トムさんの元へ行き、額に触れた小瓶に手を伸ばす。
「声、聞こえたよ。ごめんね、トムさん」
もう声は返ってこないけれど、トムさんの浮かべるとても穏やかな表情はそんな言葉を聞きたいんじゃないと言っているようで。
「‥守ってくれて、ありがとう‥っ」
約束の五秒間際。
トムさんの笑顔は風に乗り、涙を拭うように優しく頬を撫ぜてくれた。
――――――――
何年経っても耳に障るあの声。今すぐ消してやりたい気持ちを拳で握り潰して、あの日のトムさんの笑顔を思い出し、ニューゲートの言葉を思い出す。
「貴方が口を出さないでいてくれて助かりましたよ。巡遊のナマエ」
「‥その名前を口にしたら、高潮に食べられちゃうんだってよ」
「ほう‥それは恐ろしい」
「だからもう喋らないで」
お互いの口元の動きを読み合って、ほとんど声のない会話。
「待て!馬鹿な真似はやめろよ!?おい!!」
船の上の私を見上げて怪しく笑うハトの人と、その肩に乗る真っ白なハト。
「お望み通りお喋りはここまでです。お見送りしますよ、あなたの好きな海原へ」
帽子を外してお辞儀をするハトの人。その微かな声は、ウソップの悲痛の叫びと重なり不協和音となって身体の奥に渦を巻く。
振り落とされるように水路へ落下した私は、荒波に揉まれるその海へと投げ出されるように流れていった。
ねえトムさん。
トムさんを、お母さんを奪ったセイフが、トムさんの造った希望の懸け橋に命を乗せてまたあの島に運んで行っちゃうよ。私の名前を呼んだら、アクアラグナに食べられちゃうんだって。フランキーが言ってたよ。
大きく揺れる水面の下の下、揺れのない海の中で私の奥底の芽が育つ。怒りという栄養を奪い取るように吸収するその芽は、数分もしないうちに蕾となって膨らんで、大海原に根を生やす。抑えるものはない。フランキーもアイスバーグもいない。トムさんも、ニューゲートも、誰もいない。
「ヒヒ、ヒヒヒヒ‥!!」
都市の全貌が露になるほど潮が引いたとしても。水平線に沿うように高潮が立ち上っているとしても。高潮に形を変えた思いが桁外れの規模でその都市を飲み込むとしても。
海に一人、自由だ。
【全部、消しちゃおうか】
ーーー
海はずっとお前の味方だ。喜びも痛みも、そのまま受け取っちまう。だから、いつも幸せを願えよ。未来を願えよ。
いいか、怒りに任せて願いをかけるな。
お前の大事なものまで、全て奪われるぞ
ーーー
「‥ニューゲー、ト‥」
【それとも、幸せを、未来を願う?】
例年以上の大規模の高潮が、止まる事は無い。
「ニューゲートと、約束‥したよ‥」
【分かった。きみの望み通りに】
けれど、島一つ飲み込む程ではなかった。
【忘れないで。どんな時でもきみの味方だってこと】
「‥うん‥!」
海に溶かした涙の一粒一粒が音符のように海に漂い、子守唄のように穏やかに、穏やかに流れて行く。未だ続く通常のアクアラグナを相殺するだけの波を作り出す体力は残っていないけれど、弱めることは出来る。ひつじちゃんも、フランキーが千切ったから余計と痛い思いをしてるかも。そもそも船底がボロボロだから、どこかに陸揚げしてあげなくちゃ‥
海の中を流れる音を拾い心を落ち着かせ、そっと膝を抱えた。