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メリーを見送ったおれ達は、アイスのおっさんの船に乗せてもらい町へと戻ることになった。甲板でおれ達だけにしてくれた心遣い。ぽつりぽつりと話を始める者。目を閉じて過ごす者。静かな時間が時を刻んでいた。
心の整理をするには足りないけれど、少しの落ち着きを取り戻すには十分の時間をくれたアイスのおっさんの足音が再び甲板に響く。おれたちがこちらの船に乗ることを想定していたように、大量のおにぎりが差し出された。
「食欲が戻ったら食べると良い。奥の部屋に寝床とシャワー室もある。好きに使え」
自分の船とは勝手も違うだろうがな、と爪先で甲板を二回叩くその意味を、おれは何となく感じ取ることが出来た。この船に乗って波に揺られた瞬間からずっと、足の裏から伝う揺れが身体の芯に触れる度に、これはメリーとは別の船だと訴えていたから。船の設備や様式の問題じゃなく、これまでずっとメリーに乗って海を渡っていたおれが感じるこの感覚こそが、"勝手の違い"なんだろうと身をもって知ったからだ。
「色々ありがとな、アイスのおっさん」
礼を告げたルフィに、アイスのおっさんは徐にポケットのネズミの頭を指で撫ぜる。そして、ンマーと言う口癖を前置きに、船縁に腰掛け左右に揺れるナマエの背中に視線を向けた。
「食事も寝床も、お前たちが戻ってくる時にはきっと疲れてるだろうからと、あいつが先頭を切って支度した。礼はナマエに言え」
「そっか。‥おーい、ナマエ!飯とか色々ありがとなー!!」
叫びながらおにぎりのいくつかに手を伸ばし口に詰め込んだルフィは、腕を伸ばして瞬く間にナマエの隣へ移動する。おにぎりを頬張りながらニッと笑っているルフィの横顔の隣に見える、ナマエのいつもの笑顔。ルフィに何か言われてこちらを振り返ったナマエが高く掲げた右の手を自分の身体ごと左右に揺らす姿に、あちらこちらで自然と零れる笑み。
「あの子は本当、いつでも無邪気ね」
「ガキなんてあんなもんだろ」
「でも、それが彼女の凄い所だと思うわ」
「流石ロビンちゃん、分かってるねえ」
「おれ、ナマエの笑顔大好きだ!」
おれはこの時、どうしてかすごくホッとした。
フランキーの倉庫であいつが見せてくれた下手くそな笑顔と、泣いてないと言い張っていた涙と、小さな掌に刺さった棘と、あいつの言葉のいくつかと。静かな時間を過ごしていた時、メリーとの思い出を思い返しながら、あの時のナマエがふと浮かんだ。あいつもメリーを大事に思ってくれていたはずだから。あいつはどんな気持ちでメリーを見送ってくれたんだろうか。泣いてしまいやしなかっただろうか、と。
この安堵感は、ナマエへの心配事が結局要らぬ心配だったと、この光景を見て感じたからなんだろうか。
「さて、私はシャワーを浴びてこようかな。ロビンも行く?」
「私は少し風に当たってから行くわ」
「おれは寝る」
「おれは皆の傷薬を作らねえと!部屋の机借りても良いか?」
「それなら救護室がある。物はそこまで揃っちゃいねえが、左の突き当たりだ。案内しよう」
「おっさん、ついでキッチンも案内してくれねェか。ウチの船長が他の奴らの分まで食っちまったんで、代わりに作るぜ」
「お前たち、休まなくていいのか」
「はは、職業病みたいなもんだな。そっちの方が気楽なんだ」
「ンマー‥心当たりのある理由だな」
「はは、おっさんも船いじってる時が楽しいんだろ」
もう見る事は無いと覚悟した見慣れたあいつらの口ぶりや行動や表情や、そう言う当たり前の光景が目の間に広がっていることも、もしかしたらこの安堵感の一つなのかも知れない。視界が開けたような、でも同時にどこか第三者になった気分のような、不安定な感覚だけれど。‥この先の航海も、きっと大丈夫だよな‥?
「お前はどうすんだ、ハナップ」
「‥あ。‥私は、もう少しここに居させてもらえないだろうか」
「勿論だ。好きに過ごせ」
ふと我に返れば、自分は仮面をつけている人物だと言う設定も頭に戻ってきて、口調も自然とそちらに寄っていた。きっと、この無駄に冷たく重たく感じちまう仮面のせいだ。そうだ、そうに違いない。じゃあこんなものもう外しちまえばいいじゃねェか。‥今ここで、そんなこと出来るのか?
「ウソップ」
足元で聞こえた声に再び意識を引き戻されて視線を落とせば、そこにはマントを引っ張るナマエがいた。無意識に明後日の方向を見つめて考えていた時間がどれほどか、ナマエの隣にいたはずのルフィは既にサンジの飯を追いかけていなくなっていた。
「おっと、君とは初めましてだねお嬢さん。残念だが私はウソップくんではなく、そげキングだ」
「‥そげ?」
「そげキング。狙撃の島の王。それが私だ」
「ふうん‥」
至極興味の無さそうな態度にマントがずり落ちそうになるのを慌てて抑え、何か用事があったのかと聞いてみる。
「あのさ、そげキングウソップ」
‥もはやツッコむまい。そもそも仲間が辺りに一人もいないこの状態で、自分自身が今どちらでいることが正解なのか分からなくなっている。おれの様子に気付いているのかいないのか、いつもと変わらぬマイペースでナマエは小さな掌をそっと開いて、木片をおれの掌に滑らせた。
「コレは‥?」
「フランキーが船を千切っちゃった時のかな、倉庫に落ちてたのを拾ったの。ウソップにあげようと思って」
それは、船を模った数センチの木片。メリーの一部だと、ナマエはおれを見上げて笑った。あのねえ、ルフィにも内緒にしてね。そう言ってナマエは自身の首から下げた青い紐を服の襟元から引っ張り出して、その先の小瓶を顔の前に差し出した。
「私が乗ってた前の船の欠片だよ。あと、ニューゲートの前の船の欠片と、友達が大事にしてた船の欠片も何個か。みんな、大好きだった船」
全て形の違う船の形をした木片。そう言えば司法の島へ向かう列車の中で、フランキーがナマエにとって船は特別なものだと話していたような‥。
「‥私の前の船ね、名前はなかったけど、凄く大事にしてたの。だけど私、操縦するのすごく下手くそで壊しちゃって。バラバラになった船の欠片もかき集めたけど、船に戻すには小さすぎるピースになっちゃった」
あの子には今は海が一緒に寄り添ってくれてると思うから寂しい思いはしていないと思うけど、と申し訳ないとくっきり書かれた頬を掻きながらナマエは笑う。
「でもね、トムさんがパスミーを造ってくれた。前の船の使えそうな欠片をちょっとだけど使ってくれて、残りの欠片は全部こうやって船の形に削ってくれた。それで、その子たちは全部海に旅に出たよ。一つだけ、岸にへばりついて離れなかったこの子は、私と一緒に居たいんだろうって。トムさんがこうやって瓶に入れてくれたの。別の船に乗っても、私がその船を大事にした気持ちは変わらないって。ちゃんと船にもその気持ちが届いてるよって。すっごく嬉しかった。」
ああ、ナマエがトムと言う人を好きな理由の一つはこれか。ナマエがあの船を好きな理由の一つは、これか。キラキラと輝きだした笑顔は、言葉を後押しするように嬉しいと言う感情を物語っている。
「アイスバーグが、削ってくれたんだよ」
自分の古傷を引っ搔いて、でもそれを消してしまうくらいの温かい思い出と一緒に、おれのように未練がましくしがみつこうとした気持ちを汲み取ってくれる。ルフィたちの選択した道だって間違っていないと、分かっていても受け止めきれずにいた気持ちをその屈託ない笑顔が身体に優しく沁みこませてくれる。
「‥それは、お前が持っててくんねえかな」
どうしてあいつの小瓶に他の奴の船の欠片が入っているのかなんて聞くのは、野暮だよな。‥きっと、それぞれの船で同じように話をしたはずだ。そして、それを聞いた奴はきっと今のおれと同じように‥
「いいの?」
「ああ、ウソップ君もきっと喜ぶ。いや、絶対に喜ぶ」
「ひひ、友達が増えた」
そう言って嬉しそうに小瓶の蓋を開け、メリーが船たちの仲間に入った。メリー、おれはお前と旅が出来て本当に幸せだ。何せおれの夢は、お前が乗せてくれたことで確実に進み始めたんだから。
「ひつじちゃんのこと、私も大好きなんだ」
パスミーも喜ぶし、ニューゲートにも見せてあげられるやと、ナマエはその小瓶を優しく振ったり太陽の光に当てたりしながら嬉しそうに笑うと、大事にするねといってまた服の襟元から小瓶を滑らせて首から下げた。
「ありがとう、ウソップ!‥あ、違った、ウソキング!」
「うおい!!」
「ひひ、私アイスバーグに見せてくる!」
じゃあね、と甲板を駆けていく音はメリーの上で聞いたあいつの走る音とはやっぱり違っていたけれど、感傷に浸るような気持ちはこの時はなくなっていた。
「お礼を言うのは、私の‥いや、おれの方だぜ、ナマエ。本当に、ありがとう」