26
「起きんかー!ルフィ!!」
確かに、先日の司法の島襲撃は海軍の上層部を呼び寄せても不思議はない。壁に大きな穴が空き、まだ居眠り中のルフィの頭に噂に名高いゲンコツが振り下ろされた。
「は、しまった!」
海軍の登場に、ナマエも慌てて私の背に隠れる。近くにあったシャツをそっとかけると、ありがとうと目の前の喧騒を忘れそうなほど可愛らしい囁き声が聞こえた。
「愛ある拳は、防ぐ術なし!」
海軍の英雄とも呼ばれるガープ中将には、さすがのルフィも寝起き早々引きつった顔を見せるほど。けれど、絶対に手出すなよと忠告を付け加えた理由は想像もしていないものだった。血の繋がりを感じさせる受け継がれた身勝手さの片鱗に驚く間も無く、続けて切り出された赤髪の話に思わず声が漏れる。
「あの赤髪と繋がりが‥?」
あの麦わら帽子は赤髪からもらったものらしいと、ナミは言う。彼から枝分かれする繋がりには毎度驚かされてばかり。それも彼の持つ力なのか、或いは他の因果があるのか‥情報は溢れているようで空に浮かぶ雲のように掴みどころがない。‥全てが不明瞭なこの段階で考えても仕方がないけれど。
思考に一区切りつけるのと同じ頃、ゾロが慌てた様子で威勢よく戻ってきた。若い海兵二人が中将の命を受け飛び出したけれど、ルフィとゾロの前にはあっさりと倒れてしまった。
「あれ、誰かな?」
いつから顔を出していたのか、私の足の隙間から彼らの様子を覗いているナマエが言葉を溢した。
「ルフィたち、嬉しそう」
「面識があるようね。ところで、あなたはもう隠れなくていいの?」
「‥見えてる?」
「ふふ、ええ割と」
だめだめ、と私の足をずらそうと足首に手を添えた矢先、中将が私の目の前に立ちはだかる。足は元の位置に置いたままになってしまった。
「隠れるのが随分と下手になったな、ナマエ」
背中にかかるシャツをもう一度被り、顔を出そうとしない。声を殺して笑った中将は、背中に周り彼女を隠していたシャツを取り払うと、見下ろした彼女にルフィと同じようにニッと笑顔を見せた。
「‥あんたも知り合いなのね」
身体を少し反らせ、私の背にいる彼女にそう聞いたのは、ナミ。ナマエは首を振っているけれど、顔には友達だとはっきり書いてある。すぐに観念したように中将へ勢いよく飛びつくと、彼の腕に収まった彼女は友達だと嬉しそうに笑った。中将も慣れたように彼女を抱き抱え、壁でも直すかなと海兵達の元へと足を向ける。ああも軽々と海兵の輪の中へ行くなんて‥流石、というべきなのかしら。
「そう言えば空島へ向かう前、ルフィがおじいさんとも友人だと言ってたわね」
「あの時はまさかそれが海軍の英雄のことだったとは思わなかったわ」
ナマエへと視線を戻しながら、またすごい友達が出てきたわねと困ったように笑うナミ。こちらの驚きなど知りもしないナマエは、彼の太い腕の中で再会を喜ぶように元気な声を響かせている。
「あっという間に遠くへ行っちゃうわね」
「ふふ、それも彼女の魅力の一つかしら」
「なんだか悔しいわ」
今までもずっと彼女に会いたいと願ってきたけれど、近づくことが出来たと思えば今度は視線が剥がせなくなる。それは私だけではないと知らせるように、中将の腕に集まるいくつもの視線。圧倒的な存在感と矛盾した儚さの共存が、彼女を見逃さないように注がれているように見える。当の本人は、気付いていても気にも留めていない様子だ。
「ガープ、何しに来たの?」
「何じゃ、わしが来ると困るのか?」
「ううん、遊んだだけ、遊んだだけだよフランキーにも聞いて!本当にちょっとだけ!ちゃんとゼンショした」
「ぶわっはっはっはっ、安心せい!わしはあの若いもんの付き添いじゃ」
その後も彼から離れず、部下に一緒に直してと言われた壁の穴に釘を打つ彼の様子を、隣で楽しそうに眺めているナマエ。中将のことを信頼していると、よく分かる。
「暇そうじゃのう、ナマエ」
「‥ガープが空けた穴だよ」
「お前がこの前開けた襖の穴、誰が塞いだと思うておる」
「あ、塞いでくれたの?」
「いや、いつの間にか直っておった!」
豪快な笑顔を優しい微笑みに変え、手伝ってくれと頼む中将に、仕方ないなあと真似をするように彼女が壁を打ち始めれば、中将の頬は更に綻んだ。その後あっさりとなかった事にされたルフィの父親であるドラゴンの話に一同騒然となる中でも、ナマエは特に気に留める様子も無く中将の帽子で遊んでいた。
「ガープ中将、彼女が噂の巡遊ですね」
周りの何人かが漸く彼女の存在に違和感を持ち始めた頃、帽子を深く被った将校の言葉に今日何度目かの響めきが起こる。ただ、先ほどまでと違うのは、迷信のような存在を己で確認したが故のもの。声を張り上げると言うよりは、騒めきが広がったと言うべきか。少しの緊張感が場に広がった事を、中将も感じ取ったようだ。紹介が遅れたなと豪快に笑った後、深く息を吐いたガープ中将は真剣な面持ちで口を開いた。
「此奴はナマエ。今はただのわしの馴染みじゃ、ボガード」
顔を背けた中将に頭を下げた彼は、ナマエの方へも身体を向け小さく頭を下げた。頭を上げる時に帽子の縁から鋭い視線を向けた将校に応えるように、ナマエは無垢な表情でひらりと手を振っている。
「確認の報告を。」
「わしの仕事ではないわい」
「ええ、ですから私が」
どうやら彼らがここへ赴いた目的は、ナマエがこの島に留まっているかを確認するためのようだ。
「私、ニューゲートの話の邪魔しないよ」
「そうでなくては困ります。あちらに貴方がいたら、大将方を総動員させなくてはならなくなりますから」
「またまたあ」
全容のわからない会話だけれど、当然のことのように補足される言葉は、ナマエの力量が相当のものであると言うことを示している。無邪気な笑顔を見せるナマエに中将は笑い、部下の海兵は呆れ、他の海兵たちはもう驚くことさえ出来ないほど驚いていた。彼らも、例外ではなく。
「待てよじいさん、大将って青雉のことだろ?」
「おれ達だってナマエが強いのは知ってるけどよ、あいつより強いのか?!」
「なんじゃお前ら、ナマエの話を聞いたんじゃないのか」
「聞いたさ。手配書だって見た」
サンジの言葉に、私は持っていた手配書をカバンから取り出して手渡した。
「ほう‥最初の手配書か。やはりこれが一番良い顔をしておるわ」
「ひひ」
「さて、この時はいくらだったか‥」
「おい、じいちゃん!」
ルフィは金額を知りたかったわけではなく、ただ彼女の本当の強さが知りたいのだと聞き、中将はまた一つ豪快に笑った。
「何で笑うんだよ!」
「はっはっは!確かに金額では計れんな。‥ナマエ相手には、大将三人では壁にすらならんわい」
「「「?!」」」
他人が唾を呑む音をここまで鮮明に聞くのはいつぶりか。この子が強いと言うことは分かっているつもりだったけれど、どうやら私の物差しで測れるようなものではないようだ。さすがのルフィも、おじいさんの言葉に開いた口が塞がらないという表情のまま固まっている。
「お前の慕っている赤髪とて、こいつの前では赤子みたいなもんじゃ。ロジャーも白ひげも、認めたくはないがわしとて、まとめてかかっても勝てん!」
「そんなに褒めても何にも出ないよ。‥あ、アメあった」
掌に乗る真っ赤な飴玉を見つめ、中将と二人で大笑い。笑いの沸点が同じなのか周りとの温度差も気にせず、そこだけ明るい空間になっている。
「まあなんだ、海軍中将ともなればナマエについても詳しいんだな」
「なあに、わしが知ってることなど半分もないわ」
「‥え、?」
「ぶわっはっはっは!!」
中将の笑い声にナマエはすごく嬉しそうに、照れたように口元を隠してその独特な笑い声を零す。
「あの子、今絶対白ひげの事考えてるわよ」
隣で聞いていたナミが、小さく肩を揺らしながらそう言った。
「‥どうしてそう思うの?」
「あの溶けそうな顔。前に白ひげの話をした時も、同じ顔をしてたわ」
「ふふ、かくれんぼも隠し事もあまり得意ではないのね」
彼女の頭の中にいる白ひげは、何を知っているのだろうか。探求心をこうも擽られては、探らずにはいられなくなってしまいそう。やっぱり彼女は、今でも私の興味を惹く存在だわ。