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「わし、帰る」
「うんじゃあな」
おじいさんの愛の拳が最後に一発ルフィに入ったところで、ナマエもお別れの挨拶をしてきた。
「えーっ、もう行っちまうのか!?」
「ひひ、ルフィも起きたしロビンにありがとうも言ったからね。私もバイバイ」
「ふふ、またどこかで会えそうね」
「その時はフランキーの造った新しい船が一緒だ」
「元気でな!」
「うん、皆も!」
さらり、ふわりと尾を引かないナマエとの別れは、こちらばかりが寂しい気がする。海軍中将のおじいさんには背中に飛び乗りまたねと嬉しそうに笑みを零して、帽子の海兵さんにも柔らかい笑顔と一緒にその小さな掌をひらりと振っている。きっと、ルフィのおじいさんはその背中に残る寂しさを感じているのだろうなと思った。‥ウソップも会いに来れば良いのに。
「ねえねえ海賊ねーちゃん、プール行こうよ!」
「ニャーニャー」
「プール?」
「裏にあるんだよ。一緒に遊ぼうよ!」
‥これはチャンスかも。
「良いわね!ロビン、私ちょっと泳いでくるわ」
「ええ、行ってらっしゃい」
プールへ向かい、セットした盗聴用電伝虫に耳を済ませれば、見事に予想は的中。海軍がカームベルトを安全に航海できる事、船の底に海楼石を大量に敷き詰めておくことでそれを可能にしていると言う事。聞き耳を立てるだけの価値はありそう。‥そう言えば、ナマエも海のエネルギーと言っていた。似たような原理で船を走らせているのね。
「そうした画期的な技術の裏には必ず、軍の科学者Dr.ベガパンクがいて‥」
軍の科学者は悪魔の実の能力の伝達条件の解明や、物に悪魔の実を食べさせる新技術も開発しているらしい。政府は一体何を目指しているのかしら。
「ところで、ルフィさんはあの巡遊とお知り合いなんですか?」
「ジュン‥なんだ?」
「巡遊ですよ。あの女の子のことです」
「ナマエか?ナマエは友達だ。コビーも知り合いなのか?」
「知り合いだなんてとんでもない!僕らは彼女の存在を知ったのも最近の事で‥」
コビーと呼ばれたその海兵は、彼女の二つ名を巡遊というのだと言った。その言葉の意味を知らないルフィは、変な名前だなと怪訝そうな声で言う。それに応える声は、困ったような笑い声と端的な説明。説明を一通り聞いたルフィは、観光するように各地を回る彼女の自由な航海にぴったりだと、いつもの明るい声を響かせた。
「一見すれば可愛らしい名前ですが、二つ名がつく‥ましてや懸賞金が懸かっていたなんて言うんですから、そこには何か相応の理由があるんじゃないでしょうか」
彼の話では、海軍では彼女の噂は山のように存在していてもそれを信じる者は少なく、彼女自身を御伽話のようなものだと思っている者が多いそうだ。ただ、信じる者は絶対的な確信を持っているという。まあ、本人があれだ。きっと誰かに聞かれたら素直に答えているのだろう。隠し事は苦手そうだものね。斯くして彼らも今日めでたく彼女の存在を確信する者の一人となったというわけか。
「ふうん」
全く興味を持ちそうにないルフィ。
「よく分かんねえけど、おれは好きだぞ!」
まあ、ルフィにはそんなの関係ないわよね。損得勘定で付き合うような奴じゃないもの。
「はは、ガープ中将も同じことを仰ってました」
「仲間に誘ってんだけどなあ、勝てねえんだよ」
「中将も昔海軍に入るよう誘ったそうです。断られたそうですが」
「でもおれは仲間にするけどな!」
自分を曲げないルフィを相変わらずだと笑う海兵二人は、彼らの出会いに思いを馳せてその言葉にまた笑っている。これ以上聞くのは野暮かな。私は、チムニーたちのいるプールへと飛び込んでいった。
・・・・・・
・・・
・
「アイスバーグー、私海にかえるー」
麦わら達に別れを告げたらしく、陽気に部屋へと戻ってきた。図面に走らせていたペンを置き、凝りをほぐすように首を回し腕を天井へと伸ばしたおれの背に、勢いよく飛びついてきた少し温度の低い温もり。この体温は、こいつがこいつだという証のようだ。
「ンマー‥急ぐのか」
「ひひ、寂しい?」
その冗談もあながち間違ってない。ナマエが島の正面から堂々ときたことも長くここに滞在したことも、トムさんがいた時以来だったのだから。気泡のように湧き上がる感情に、胸が詰まる。
「おれも歳を取ったもんだ」
「んー‥ヒゲヅラ?」
「なんだと?」
「ひひ、歳取ったって言うからさ」
おじさんみたいだと顔を隣に並べ無邪気に笑う。ひょっこり現れた形の整った丸い頭に誘われ自身の掌を乗せれば、彼女の頬は溶けたように緩んでいく。撫でられるのが好きだとよく言っているが、手を伸ばす理由はその笑顔に絆されているところが少なからずあると言うことを、こいつは知らないだろう。
「岬まで船を運んでやる」
「やった!」
背から飛び降りて、まだ立ち上がってすらいないおれの手を掴み、早く行こうとソワソワしている。そういえば、トムさんの手を引くナマエの横顔はいつも斜め上を向いて嬉しそうだった。トムさんも意図せず揺れる腕が嬉しいのだと、話してくれたか。おれはいつも後ろから二人の姿をみているだけだったけれど。バカンキーはナマエを真正面にみるように後ろ向きに歩いては、転びそうになっていた。
「アイスバーグ、パスミーと‥それにひつじちゃんの事。ありがとね」
こちらを見上げる瞳は大きく、水面のように優しく揺れる。トムさんと同じ位置でこの笑顔を見ると、心の内もその瞳と同じように揺れていく。
「あのね、この島に来たあとはパスミーもいつも楽しそうに揺れて海を渡るんだよ。やっぱり、故郷はいいね」
「故郷か‥」
「フランキーも、ルフィ達に船を造るって」
「‥本当か?」
「ひひっ、嬉しそう」
子どもみたい、と無邪気な笑顔はそのまま、先ほどとは真逆の言葉を口にする。そういうお前こそ、あいつが船を造ると言う事を嬉しそうに話しやがる。
「パスミーと同じ樹を使うって。ルフィ達の船も、ここが故郷になるね」
パスミーシュカと一緒だ。そう呟くナマエの隣には、同じように笑みを溢して水平線を見つめるトムさんが見えた。
「ンマー‥」
「おお!いたいた!」
タイルストンの声は、やはり良く通る。右から左へ突き抜けるような声量に、躊躇ったおれの声は喉で止まった。後ろから聞こえた声に振り返れば、職長の三人が追いかけるように走ってきた。
「タイルストン!パウリー!ルル!」
「お前が帰ると聞いてな」
「挨拶くらいさせてくれ」
伺いを立てるようにこちらを見上げた表情に頷けば、花が咲くように明るくなって三人の元へと走っていく。一番に飛びつかれたルルは、寝癖を収めると目線を合わせるように彼女の前にしゃがみ、galley-laと書かれた帽子をその頭に被せた。
「わあ、ぴったり!」
「ぶかぶかだっただろ。お前の成長に合わせて調節していけよ」
「うん!」
ガキだと言われることを嫌う割に、他の子供と変わらず接してもらうことは好きらしい。鍔を上にあげ真っ白な歯を覗かせるあどけない表情は、既にあれこれを知った側の奴では引き出すことのできない表情だ。翌年、そのまた翌年、あいつの姿を見てこいつらが驚く姿はまだ想像しないでおいた方が良いかもしれない。
「はは、似合うぞ」
「ルル、あの時は黒いスーツから守ってくれてありがとう」
「こっちこそ、船をよくよく見せてもらった。賑やかな数日だったな」
「ひひ、帽子も大事にするね」
「今度来る時は、それを被ってこいよ」
「そりゃ良いな。似合ってるぜ、お嬢さん」
自分はやれるもんがねえと空のポケットも見せ、ルルの隣にしゃがみ彼女を抱き寄せたのはパウリーだ。おれが襲撃された話はパウリーに聞いたと、その時そっと抱き寄せた奴の行動に随分喜んでいたようだった。今も、葉巻の残り香が鼻を掠めたのか眉を顰めながらも背中に回す短い腕は離れそうにない。
「おれはお前の事を気に入ったぜ」
「ひひ、私もだよパウリー。アイスバーグが襲撃された時、気遣ってくれて、本当の事教えてくれて、ありがとう」
何もわからない子供だと、距離を置かれなかったことが嬉しかったらしい。子供であることを望み、子供扱いされることを嫌う。あいつの嬉しいの基準は、全部並べたら矛盾だらけだろうな。だが、その矛盾だらけのお前の喜びを、おれは嬉しく思う。
「おれからはこれだ!」
軽い身体が吹き飛びそうな声量でタイルストンが差し出したのは、あいつの好きな塩むすびの入った弁当箱。自分の顔くらいあるそれに、目は輝いていることだろう。弾ける声に、帽子で隠れた表情も透けそうなほどだ。
「タイルストンが握ったの?」
「お前の好物だそうだな!礼はアイスバーグさんに言え!」
「うんっ!二人ともありがとう!!」
お前は、おれやフランキーをトムさんに似ていると言ったけどな。おれは時々お前のその小さな姿に、あの大きなトムさんの影を見る。
「元気でやれよ」
「うん!」
どうしてだろうな。
「みんな、アイスバーグみたいにすっごい職人になってね。アイスバーグがまた怪我したら、みんなにパスミーを見てもらうんだから」
だからアイスバーグは無理はしないように。そう言っておれの手の甲を撫でる柔らかく小さな掌。
「‥いいのか?」
「うん、良い!」
おれを心配していることも、別れ間際まで堪えていたかのようだ。じわりじわりと抜けていく腕の疲労。以前よりも顕著に感じられる回復力にこれも能力かと目を見開けば、おれを見上げて肯定するようにひひひと笑った。
「だから約束ね」
「ああ、約束だ」
するりと離れた手のひらの冷たさを握りしめ、船を愛おしそうに撫でてからふわりと乗り込む背中にもう一度、約束を。
「あ、おい待て!おれ達はお前に一つ、聞きたいことがあるんだ」
「ん?なあに?」
隣で、慌てたように呼び止めたパウリー。
「お前、名前は何て言う」
「え?」
間の抜けた顔を向ける彼女の表情も相まって、別れ際になって聞くことじゃねえだろうとつい笑い声がこぼれ落ちる。最後の挨拶になって名前を聞かれたのは初めてだと、つられるように高らかに笑い声を飛ばして。
「私の名前、口にすると高潮に食べられちゃうんだって」
「本当か!?」
「んなわけねえだろ」
「ひひひひ」
こいつらが次に会う時。その時はもう少し彼女のことを知る時なのかもしれない。
「私はナマエ!好きな食べ物はおにぎりとスイカ、船の愛称はパスミーよろしくね!」
それじゃ!と言い残して颯爽と島を発つあいつの背中に、男三人が並んで叫ぶ姿を見る日が来ようとは。
トムさん、あんたが居なくなってからこの町であいつの名前が響くことはなくなっていたんだ。それが、今日はこんなに陽気に響き渡ってる。聞こえるか、トムさん。おれとフランキー、そしてトムさんが並んでその背に手を振った日と同じように、あいつの名前が街に響いている。
「‥行っちまったな」
「ああ、途端に静かだ!!」
「お前の声はよく響くぜ、タイルストン」
「ンマーお前ら、浸るのも良いがドックへ戻り社員全員に一旦仕事の手を止めるよう伝えろ。麦わらが目を覚ましたそうだ」
「本当ですか!」
「すぐに知らせてやりましょう」
その後向かった社員プールからは、腹の虫も声を上げるような良い香りが漂ってきた。賑やかな宴はお前の笑い声を思い出させたが、不思議と寂しくはなかった。
安心して行ってこい、ナマエ。お前の旅が続く限りこの町は無くならねえ。おれはここで、お前の大好きなこの島を守っていくと約束しよう。