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あの島から自分の名前が大きく響いたのは、トムさんが居なくなって以来初めてな気がする。あの島でアイスバーグ以外の人と過ごしたのも久しぶりで、また会えるかな、と次にくる日が今まで以上に楽しみになっている。遠くで響く列車の汽笛も、これからは耳を塞ぎたくなることも少なくなりそうだ。本来の姿よりも短くなってしまっただろうけれど、今度こそトムさんの夢の結晶をニューゲートと一緒に見に行きたいな。
W7にさようならを告げ、元気になったパスミーと数日ぶりの海。心なしか軽やかに波に乗るパスミーも、故郷を振り返ることなく新たな船出に期待しているみたい。

「お‥?」

ひつじちゃんと海に投げ出された時のあの感覚。やっぱりそうだ。そっと目を閉じ意識を海へと沈めて地図を広げると、前より見晴らしが良くなった地図とくっきりとした輪郭があちらこちらに浮かんでいる。ニューゲートの船、その近くに止まるシャンの船。なるほど、ニューゲートの船にはシャンが一人で行ったのか。どうやら小瓶を持つ友達の周囲の気配まで分かるようになったらしい。喧嘩はしないと言っていたけど、ベン達も心配してるみたいだ。
もう少し向こうにあの人の船と‥あっちは‥ああ、ようやく見つけたのかな?

「そうだ、ええとええと‥あった!」

フランキーがくれた、何をしても壊れないらしい特製コーラ瓶。その空瓶の中にアイスバーグがくれた図面を引くための紙を入れ、いつものリボンも入れてコルク栓をして。小さな衝撃貝を思い切り殴りつけたあと瓶の底に固定したら‥

「特製、ロケットマンナマエ号の完成ー!」

想像以上に上手く出来たフォルムを空に翳すと、瓶がキラキラと光って、その光がまた海に反射してパスミーの周りに光が舞う。トムさんみたいに豪快な進水式ではなく、赤い大陸を潜り抜けられるようにそっと海中に押し込めて。

「それでここを押す、っとォ‥!?!?!?」

鯨の潮のように勢いよく飛沫を上げたロケットマンは、私の腕を引くように海へ飛び出しあっという間に海流に乗り、瞬く間に海底へと潜っていく。あの調子なら、作り主に似ずニューゲートの元まで一直線だ。

‥海へ浸かったついでに、私も一息つこうかな。

緩やかに海の底へと下り、少しずつ解放される感情のあれこれを海に溶かす。‥悲しいことを思い出したけど、楽しかったことも思い出したよ。初めてトムさんに会った日のこと。初めてパスミーに乗った日のこと。ニューゲートと一緒に、島へ来たこと。
一つ、また一つ泡となり昇華されていく疲労や想いと一緒に海面へと上れば、揺れるパスミーの船底が見えてくる。

「私たちはあの子の分までちょっと寄り道して行こう。いつも通りに!」

元気になって最初の目的地があの場所では味気ない。パスミーも、大好きな島に進む体が前のめり。空を飛ぶカモメを追い、跳ねるイルカの横に並んで海を行く。寄り道というか、聖地と呼ばれるあの場所に行く時のお決まりというか。友達の中で一番よく会っている、彼のいる島まではいつも少しの長旅だ。

「こっちの海は、あの三角形があるからねえ」

異様な空気が漂うあの一帯はあまり好きにはなれない。だからいつも一度凪の帯を跨いで偉大な航路を抜けるような航路をとっているけれど、モリアの船がここに留まるようになってからはたまには寄り道しても良いかなと思っている。知ってる人がいる海というのは、それだけで安心する。それに、モリアの所にいる透明でふよふよしたお人形みたいなのをいつも連れているあの子が私は好きだった。あの透明なお人形を、私は触れない。彼女も私が触ることを嫌がった。それでも、ぬいぐるみなら触っていいと抱えているそれを私に差し出してくれた。未だに名前も知らないし、あれから一度も会っていないけれど。また今度会えたら、名前を聞かなくちゃ。

「パスミーの好きな速さで走ってね」

縁を撫でれば私の声に応えるように速度を上げて、潮の香りが風に靡く髪に絡まりすり抜ける。ゆらりと揺れる足元も、隔たりのない視界と境界線のない青の世界と。ここが海の上だと、何もかもが証明しているみたいに。いつでもここに帰ってくる。この広大な青全部、私の故郷だ。




「敵船につき‥‥少々威嚇した」

船は乗り手に似る。久しく目にしていなかった白ひげとその船を前にして、いつだったかナマエから聞いた言葉を改めて告げられているような気分になった。船長に似た大きな体と子供心をくすぐるような鯨を模した船は、あいつを大事にしている白ひげ自身がありありと表れているようだ。

「赤い大陸に寄せているとは思ったが、ここまでするとはな。ナマエの大事に時期が重なりすまなかった」
「小僧に頭を下げられる謂れはねェよ」

二人にしてくれと若衆に告げた白ひげに持参の故郷の酒を渡せば、豪快な飲み口で多少懐の紐を緩めてくれたらしい様子を見せるように、悪くねェと言葉が返ってきた。

「しかしおめェもよく成り上がったモンだぜ‥ゴール・D・ロジャーの船の‥ただの見習いだった小僧がよ‥!!」
「あの頃はナマエに毎日あんたの話を聞かされて‥はは、懐かしいな」

船長とはよくやり合っていたから、おれ達の顔にも馴染みが出来たと白ひげは言った。おれの知る限り、ナマエがおれ達の船を去ったあの日の戦いが一番激しかった。おれもバギーも、ガキなりに必死だった。

「あの赤っ鼻、ナマエはてめェのモンだと啖呵を切りやがった」
「はは、そりゃそうさ」

壊れた船の上に一人でいたナマエを拾ったのは船長で、おれ達は数ヶ月の間を一緒に過ごした。それまで以上に賑やかになった航海は毎日眠るのが勿体無いくらいに楽しくて、トムさんの造った船が完成しても横に並走しながらこの先ずっと仲間でいると思っていた。ナマエもそれを望んでいると思っていた。

「あいつを知る者は皆、お前の座を狙ってる」
「‥あいつが望むなら、いつでもくれてやらァ」

自分以外をあいつが選ぶと思うのか?

そう言いたげな口元は、トレードマークの白い髭と同じように上向きの弧を描いている。

「凄い自信だな」
「そう聞こえたのなら、おめェにココはまだ早ェだろうな」

多少の穏やかさを保ったまま少しの昔話をした後、敵船へ赴くまでの本題に灯りを灯せば、相手の怒りにも火が燈る。結局話は決裂し、それを周囲に知らせるかのように曇天の空に亀裂が走った。
そして、海面にも白く細い線が走る。互いの足元を揺らすには十分な小さな波が、そこまでにしておけと告げているように。

「‥用件は済んだ。邪魔したな」
「帰れ、と言いてェ所だが‥少し待て」

引き止められる裾を残したつもりはないが、呼び止められたすぐ後、白ひげはマルコを呼んだ。こちらの話が終わるのを見計らっていたかのようにすぐに現れたマルコの手には、空瓶が収められている。

「オヤジ、手紙だ。すげェ頃合いだよい」
「グラララララ、流石に偶然だろうな」

細く丸められた紙切れを取り出し目を通した白ひげは、何枚かの紙をマルコに渡す。軽く目を通したマルコが、緩んだ頬を締め直しておれにもそのうちの一枚の紙切れを差し出した。

「ナマエからだよい」
「船は直ったらしい。小僧‥お前にも伝えろと」

マルコの背中を越えて飛んできたその声は幾らかの柔らかさと安堵感を帯びていて、奴の頭には先程までの出来事など消えたようにさえ思える。

「‥呼び止めたのはこの為か?」
「ハナタレボウズのケツを追いかけて舵を切れってのか?」
「そうじゃない。何故ナマエだと分かった?」
「グララララララ‥‥話は終いだ、帰れ」

呼び止めておいて帰れとは随分だが、おれの問いかけへの返答としてはあの男の意思が色濃く出ている。マルコにおれを見送るよう告げた白ひげは、おれが背を向けるのを再び椅子に腰掛けて眺めていた。

「ナマエはお前にも会いたがってたよい」

船から降りる間際、背中にかけられた声。振り返ればさっぱりした表情のマルコがそこにいて、あいつの言葉を苦い顔で伝えるわけにはいかねぇだろ、と青に映える白い歯を覗かせた。

「ここへ来る前にも手紙をもらってる。同じ言葉をもうもらってる」
「そんなこと関係ねェよい。お前に伝えると約束したからな、義理を通しただけだ」
「はは、そうか。ならばこちらも受け取った。邪魔したな」

やはりマルコは良い奴だ。

シャン、ニューゲートの話し相手になってくれてありがと!今度は私の遊び相手、話し相手もしてね。

広げた手紙には、笑い声が聞こえてきそうなほど勢いのある文字。それは、あいつが今笑っているのだと言っているようだ。
話し相手と言うには些か物騒な終わり方になっちまったが、安心しろ。お前の大事なモノを奪ったりはしないさ。

「「お頭!」」
「やるべきことはやったつもりだ。時間を取らせてすまなかったな」
「なァに、急ぐ旅でもねェ」
「はは、そうだな。あちらで土産をもらった。ナマエからの手紙だ」

たった一枚の紙切れ。それは、この曇天も吹き飛ばしてしまいそうなくらいの威力を持っているらしい。先日届いた時もそうだったように、途端に賑やかになったデッキは、早速宴が始まりそうだ。

「さすが白ひげの船だな」
「また手紙か。そろそろ顔が見たいぜ」
「手紙すら来ない時の方が多いんだ、これでも十分だろ」
「お頭、ナマエはいつ来るかな」
「さァな‥だが、近いうちに会える気がしてる」

元気に走り回るお前が、目一杯の笑顔でおれの名前を呼んでくれるような気がしてる。想いを馳せ見上げた空の雲の裂け目は、すっかり閉じていた。