03

そいつの言葉を借りれば、ルフィとの遊びが始まったのはその可愛らしい合図からだった。空高くふわりと浮いた彼女が、甲板でルフィの上に馬乗りになってキャッキャと楽しそうに笑うまでに、多分三十秒も経っていないと思う。どうやってルフィの攻撃を避けたのか、どうやってルフィを倒したかもわからなかった。それを聞こうにも、遊びを終えたナマエはもうちょっと強くなったらまたやろうねと余裕綽々で笑っているし、ルフィも次は負けねえぞと既に終止符を打っているのだからもう何が何だかわからない。

「‥おれだけか?これについていけていないのは」

外れそうな顎を戻しながら呟くおれに、同調するように頷くナミ。平気そうに見ていたサンジは持っていた爪切りを落とし、チョッパーは隠れていないけれど物陰に隠れ、ロビンは言葉もなくルフィの背中の先にいるそいつを見つめ、ゾロも同様に眉間に皺を寄せて鋭い視線を向けていた。一通りのみんなの表情を通り過ぎ、おれもメリーの頭に乗るルフィと、その膝の上でケーキを食べているであろうナマエに視線を飛ばした。

「ナミは何か知らねえのか?」

アラバスタで親しくなっていたから聞いてみれば、少し眉を顰めるだけで返事はない。ただ怖気付いているだけでなく、そこには確かに何かがあるのだと思った。考えてみれば、ナマエは不思議なことが多い。白ひげと顔見知りで、ルフィとも知り合いで、その上国王であるビビの父ちゃんを友達だと言った。ニコロビンの話を聞いた時も少し引っかかったんだ。八歳とは言え能力者だった彼女でさえ一人で海を渡るのは難しかったと言った。それなのに、ナマエは一人でこの海を楽しそうに、伸び伸びと航海しているように思う。さっきのルフィとの遊びだって、身体が軽いし風を使う能力でふわりと浮いたと言っても説明がつかないわけではない。この世にどんな能力を持った人がいるのかもわかっていないのなら、可能性は星の数ほどある。ナマエを仲間にすると聞いてすんなりと聞き入れられたけれど、おれは仲間になるかもしれないそいつのことを何にも知らねえんだと、その時初めて気が付いた。

「貴方は、彼女の能力について何か知ってるの?」

口を開いたのは、つい先ほど船に乗り込んだニコロビンだ。こいつも大概何を考えているのかわからないけれど、この時ばかりは張り詰めた声が彼女の心の揺れを見せていた。貴方、という視線の先にはゾロがいる。その視線を交わらせることなくただひたすらに話題の人へと視線を投げているゾロはただ一言、何も知らねえと短く言葉を返した。どことなく、それぞれが少しずつ何かを知っているような気がしたけれど、張本人がいるのに他の奴が彼女のことを何か口にするのは違うと思っているのだろう。それ以上は聞いても教えてもらえないような気がした。

「そろそろ行くね」

そんなおれたちを余所に、ケーキを食べ終えたナマエがサンジの元にお皿を持って挨拶に来た。サンジは皿を受け取ると、爪だけ切らせろと彼女の前にしゃがんで静かに爪を切ってやっていた。パチン、パチンと音が響く中、それを嬉しそうに眺めているナマエ。おれも他の奴らと共にその様子を静かに見守り、終えた後の彼女のパッと咲いた笑顔になぜか心を掴まれた。

「ありがと、サンジ」

サンジに礼を言って頭を下げたナマエは、そのまま向きを変えておれの足元までやってきた。そして、グイと首を持ち上げる。頭の重さにひっくり返っちまうんじゃねェかと心配になるほど、グイと。

「おお、どうした?」
「あのさ、ひつじちゃんさ、ウソップが直してあげてるんでしょ?」
「ん?ああ、メリーのことか。今はアラバスタの港で海軍にやられて傷だらけだけどな」

大工でもなんでもねェおれにはそもそも直してやれる限度がある。継ぎ接ぎの船の側面に触れ、流石に今回は結構な痛手だぜと零すと、ナマエも同じようにその側面を撫でてぽつりと呟いた。

「ルフィと遊ぶ約束したからね、気を付けてたんだけど‥もしかしたらどこか痛かったかな。」

言いたい言葉がいくつか抜けているのだろうけれど、ルフィとの遊びをこの船でやったことを心配しているのであろうことは察することができた。‥思い返さなくても、はっきりと覚えている。船にこれ以上ダメージを与えてくれるなよと願いながら見ていたおれは、すぐに終わりを迎えたその遊びとやらにほっと胸を撫で下ろした。それはつまり、ルフィの腕がこの船に当たることは一度もなかったからだ。驚いた。ただ、驚くだけだった。ルフィは手を抜いたりしない。そのルフィの攻撃が船に当たらないように避け、時にはその腕を掴んでダメージのない空へと放り投げて、そんなところにまで気を回しながら戦ったという事実に、そうすることが当然だと考えているであろう事実に、ゴクリと唾を呑む。

「痛くなかったか、ウソップもまた見てあげて」

優しく笑いかけるその姿に、同時におれは嬉しくもなったんだ。そんな風に、自分の船でもないこの船を気にかけてくれていたのか。ただもんじゃねえのは確かだが、結局何もわかっちゃいねえが、それでもおれはこいつのことを一層いい奴だと思った。

「きっとメリーも、お前の優しい気持ちを感じてるだろうさ。気にかけてくれてありがとな」

ナマエは、アラバスタでよくおれ達の頭を撫でていた。撫でるのが好きな奴だと思っていたけれど、それはそうされたら自分が嬉しいから、他の奴らの笑顔が見たくてそうしていたんだ。頭に乗る掌を嬉しそうに受け入れ、ひひひと笑顔を溢す姿を見ながら、そんな風に感じた。それから、躊躇うことなく進んでいくその小さな船を皆で見送ったんだ。
なあメリー、アイツはさ。大事なお前のこともちゃんと気にしてくれた。おれはそれが嬉しかったんだ。お前もきっと、嬉しかったよな。