02

「頼もーう」

正面からガレーラの本社に入るのは初めてだ。本社へは一番ドックから行くのだと教えてもらい、ドックとやらの数字が書かれた大きく聳える扉の前で声を張る。

「おうお嬢さん。ここは遊ぶ場所じゃねえぞ」

扉の隣の柵を越えて、初めましてのお兄さんが私の前にしゃがんだ。上から下まで青い服のそのお兄さんは、親はどこ行ったと聞いてくる。

「アイスバーグ、いる?」
「あの人を呼び捨てとは‥この街のもんじゃねえな」
「船を見てもらいに来たんだよ」
「ああ、親に頼まれたのか。家庭用か客船か‥海賊船、はねえか。いずれにせよあの人は今忙しい。おれが見てやるから案内しな」
「私、アイスバーグがいい」
「いやいや、だからなお嬢ちゃん」

いやいや、いやいやと押し問答が長らく続いて、もうあと一回聞いて駄目なら勝手に入ろうと思っていたところに、女の人の声が仲裁に入った。

「何事ですか」

その声を辿れば、開いた扉の先にメガネをかけた美脚の女の人がいた。そして、その隣にはストライプのスーツで決め込んだ男が一人。

「アイスバーグさん!」
「ンマー、やけに騒がしいな、パウリー。揉め事か」
「あ、いやこの子供がアイスバーグさんに船を見て欲しいって聞かねえもんで」

そう言って、さっきまで押問答をしていたその人が私の首根っこをひょいと掴んで指さした。

「ンマー‥コイツはおれの客だ。世話かけたな。それより離してやれ、怪我するぞ」
「やだなあ、落としたりしませんよ」

ずっと顔の前で私の顔を指したまま呑気に笑うお兄さんの笑い声と一緒にハハハハハと慣れない笑い声を出せば、一瞬だけれど誰より青ざめた表情を見せたのはカリファと呼ばれた女の人だった。理由はどうあれ秘書がいるなんて聞いてなかったと言えば、ここ数年はアイスバーグと一緒に仕事をしているらしい。この島の人が私のことを認識していないのと同じように、私自身も彼らのことを何も知らなかったんだなと、アイスバーグの部下の顔を順に眺めていく。パウリーと、カリファ。ちゃんと覚えなくちゃ。

「‥何か、顔についていますか?」

消えかけている表情の面影を捕まえてじっと瞳を見つめると、彼女の喉元がゴクリと鳴る。

「顔をね、ちゃんと覚えておかなくちゃ。」
「ンマー、それにしても急だな。パスミーシュカに何かあったのか」
「多分。でも私じゃ分からなくて。見てくれる?」
「勿論だ。この足で行くか。カリファはここに居て構わん」
「でしたら、船の置いてある場所までドックから引き船を手配しておきます。」

今後のスケジュール変更を即座にこなして、何も問題ありませんと眼鏡を綺麗に整った指先でそっと上げる。何から何までスマートだ。

「出来る人だね!」
「恐れいります」

いろんな意味を込めたものを汲み取ってくれたかは知らないが、謙虚な笑顔に強気な視線を添えて返してくるこの度胸。嫌いじゃない。アイスバーグに行くぞと手を引かれ、私はその場を後にした。

「随分明るい街になったね。」

船着き場までの道中、アイスバーグと街を歩けば通りすがりに皆が彼に笑顔で声をかけていく。そんな街の様子を誇らしげに見回して、ドンと胸を張っておれの自慢だと彼が言った。市長になったアイスバーグとこうして街を歩くのは初めてだ。さながら観光ガイドのように街の隅々を教えてくれる彼の話に耳を傾け、名産料理を頬張りながら船着き場のパスミーをアイスバーグに見てもらう。

「メンテナンスでも塗装し直してやるくらいで修理らしい修理は一度もしてなかったからな。聞いたときは肝を冷やしたが‥大丈夫だ、ちゃんと直してやれる」

船を見てくれたアイスバーグは、真剣な視線を柔らかなものに戻して、心配いらねえよと笑った。小型ボートのような造りのパスミー。フィンと言う部分の修理が必要らしい。昔、砂に描いていたような簡単な造りではなく、緻密な計算の上に成り立っていると知ったのは、パスミーを造ってもらった時だった。それからどれだけ時間が経ったか、最近になって漸く各部の名前が分かったくらいで、難しい話はよく分からない。船体も艤装も一つとして同じ物はないのに、それをちゃんと理解して直してくれる。魔法使いのような彼らは、その腕一本勝負の、まさに職人だ。

「私も船底は気を付けて確認してたけど、わかんなかったよ」
「右舷側の僅かばかりのもんだ。‥さてはお前、何かでけえ出来事抱えてんな」

殊更、トムズワーカーズの魔法使いは、船を見るだけで私の近況さえもすぐに見抜く。思い当たる節は考えなくても一つだ。モビーディック号を離れてすぐ、僅かに気持ちが揺らいだ。パスミーは私の思うままに船を進めてくれているから、私の影響を一番強く受けてしまう。進路を保つため、言葉の通り身を削ってくれたのだ。その時からずっと調子が悪いと教えてくれていたのに、なんですぐに連れてきてあげなかったんだろう。いつも行きたい場所まで一緒に進んでくれていたのに、ずっと一緒に居たのに、なんで大丈夫だと思ったんだろう。

「お前に似て繊細な船だ。コイツだってナマエが気付いてくれたことに感謝してるだろうよ」
「‥トムさんもアイスバーグも、いつもそう言ってくれるね」
「ンマー、おれはお前を繊細だとは思わんがな!」

はっはっはっ、と高らかに笑ったその声は彼の師匠にそっくりで、私も真似して空の上まで届くように高らかに笑った。