08
「カリファ、席を外してくれるか」
「しかし、」
「頼む」
「‥はい、アイスバーグさん」
ルルに抱えられて部屋に入ってきたきり、職人たちとは反対のベッド脇に腰掛けたまま。ティラノと共に黙って見ているだけのその様子が何を言いたいのかは、分かっていた。カリファの足音が遠くなることを確認してナマエの表情を一度伺えば、彼女がまだそう遠くないことを示すように首を横に振る。数秒待ってから、彼女が完全に傍にいないことが分かったのか、漸く小さく頷いた。
「ンマー‥政府嫌いは隠せねえか」
「銃の音なんか聞こえなかった。‥ごめんね」
「あの倉庫の性能の良さが証明されたな」
似合わない暗い顔に冗談を飛ばしても、彼女の顔が晴れる事は無い。それどころか、近くに居ながら気が付かなかったと自身を責めるように言葉を吐く。何度も謝罪の言葉を漏らす彼女の頭の中に何が浮かんでいるのか、嫌でも想像がつく。自分のせいかと聞くけれど、お前のせいであるもんか。たとえお前のことで襲われたとしても、お前のせいなわけないだろう。
「お前のせいじゃない。信じろ」
「なら、用心棒するよ」
「いや、お前は此処にいない方がいい」
政府の島とも近いこの地に来ることは、ある意味リスクを伴う行為だ。それでも船のメンテナンスはここでないとしないと意見を曲げない彼女に折れ、次のメンテナンス日を決めるようにして誰の目にも触れずに船をメンテナンスしてきた。元が良い船だ、ちょっとのことで壊れる船ではない。先代の頃からずっと、定期的なメンテナンスだけで済んでいた。だからナマエが正面からこの街に入った時、島の中や近くにいる海賊船の情報を全て拾った。そして、その船がいないと知った時には、何も起こってくれるなよと祈ったのだ。彼女の名を呼ぶことも控え、嫌な思い出が蘇らないうちに返してやりたかった。彼女が何かを起こしたわけではないというのに‥どうしてこのタイミングなんだ。襲撃があと数日遅かったら、こんなに胸騒ぎがすることもなかっただろう。
「政府がいるから?」
おれ自身、未だ引っかかっていた。あの女は間違いなくニコロビンだったが、なぜ今になってこんな気を起こしたのか。
「‥あの海賊が政府と繋がってるなんてこと、あり得ると思うか?」
「分かんない。でも、政府だよ」
顔つきが一気に険しいものへと変容したナマエ。政府のお偉いさんの前でも笑顔を見せると聞いていたが、こいつがおれの前で政府の話を聞いて笑顔を零したことは一度もない。優しい掌に憎しみを閉じ込めるようにきつく握りしめ、あれが少し漏れ出すことを知っているから、こちらも出来るだけそう言う話はしないようにしていた。先刻、ルッチ達の言葉にも敏感に反応して言葉を漏らしそうになっていたし、やはりこの島に長居はさせられない。
「船が直ってりゃすぐに離れろと言うが、それも出来ねえ。今は身を隠せ」
聞いているのかいないのか、自身の空気にティラノが怯えているぞと優しく諭せば、ハッとして深く息を吸い、長く息を吐く。ティラノを連れて来て正解だった。赤くなった掌の爪痕をティラノが小さい前足で何度も触れようとして、痕を消そうとしているように見える。
「おれにはアイツらがついてくれる。心配するな」
「‥あの人たち、信用できる?」
「一緒に働いてりゃ、ある程度相手のこともわかるってもんだ」
「‥ん、そっか」
「お前の船は必ずおれが直してやる」
それが、今のおれにしてやれる精いっぱいの約束だった。分かったと小さく言葉を零した彼女は、おれの額に手を置き、するりと撫でる。部屋の外からノックが聞こえるまでの数分、何も言わずにただひたすらに撫でていた。
――――
アイスバーグとの話が終わり、数分して部屋の扉を叩く音が響く。まだ少し赤みの残る目元、オレンジジュースを手渡してくれた秘書さん。何やら部屋の外が随分賑やかになっていて、その原因はルフィが屋敷に侵入したからだと教えてくれた。‥あの子は本当にいつだって渦中にいるんだな。ルフィを部屋に案内してもらうように彼女に伝えたアイスバーグは、彼女が部屋を出てすぐ、私にもここを離れるようにと無言で窓へと視線を移す。
「約束したからね、アイスバーグ」
「こちらもだ。約束だぞ」
「うん」
またねと手を振り、私は窓の外へと抜け出した。ルフィが何かするとは思えないけど、アイスバーグが嘘をついているとも思えない。疑問が減る手掛かり一片でも出てくれれば。そっと部屋の様子を覗くと、間もなくして息を切らしたルフィが部屋に入ってきた。
「ンマー‥おれに用だろう、海賊小僧」
「そうだ。助かった、呼んでくれて」
ルフィは、ロビンの件について本当のことを聞きに来たと言った。そして自身の見たものをそのまま伝えていくアイスバーグ。少ない情報をかき集めて繋がった線を信じてアイスバーグがルフィに銃口を向けることも、不思議ではない。ルフィに銃は効かないし、跳ね返してアイスバーグにぶつけることもないだろう。
またね、二人とも。
そのまま身体を風に乗せ街の屋根に足をつけた私は、身体の汚れを少し払って、腹ごしらえにとお店に入った。
「客共!運が良かったな!てめえらの飲み代全部おれの奢りだあ!!好きなだけ飲め!」
どんちゃん騒ぎに乗じてジュースを注文すると、隣に座るチムニーが私の顔をじいっと見つめている。
「こんにちは、チムニー」
「あれ!いつからそこに居たの?!」
「ニャーニャー」
「ひひ、おごってくれるって聞こえてきたから入ってきた」
「おいおい知らねえうちにガキが増えてんじゃねえか」
「ひひ。私もジュースください」
髪の毛で角をつくったようなお店のおじさんが、チムニーたちと同じジュースを出してくれる。景気が良いって言うのはいいことだ。チムニーたちは、アクアラグナが来るからここへ戻ってきたのだとはしゃぎながら話してくれた。
「アクアラグナはね、すっごい風とすっごい波が来るんだよ!」
「じゃあ高いところに逃げなくちゃ。つかまっちゃう」
がばっとチムニーの横腹を掴むと、きゃっはっはっと声高らかに笑って足をばたつかせている。お気に召したのか、ゴンベを同じように捕まえると、にゃーにゃーきゃっきゃと可愛い二重奏になった。
「闇の事件はCP9の仕業ら‥知ってるかいブルーノ」
「噂くらいは‥」
「ったく、小市民がそういう存在もしねえ組織の噂を信じちゃ喜んでやがる」
二人の会話に耳を澄ませたチムニーは、私に何とかナイン知ってる?と聞いてきた。噂くらいは、とおじさんと同じ言葉を言えば、じゃあ私も噂くらいはとチムニーが真似をする。何とかナインは、いつでも噂なのが恐いところらしい。
「見つからずに人を消すんら、あいつらは‥関わったら命は無いよ、んががが」
「フランキー、ジュースおかわりしていい?」
「あ、私も!」
「ニャーニャー」
「好きなだけ飲んでろおめえらは!!」
お言葉通り好きなだけジュースを飲んで、お腹がたぽたぽだ。ちゃぽん、となったお腹にチムニーが耳を当てて笑っている。
「お腹の中が水溜まりみたい!面白ーい!」
その時、フランキーがカウンターの机をおもいきり叩き、サングラスをかけ直して立ち上がった。そして、もう一暴れすると息巻いて四角いお姉さんたちと店を出ていった。
「どうしたんだココロさん、フランキーは急に」
「んがが!んががががががっ!さあねえ、わかららいねえ‥バカの考えてることらんて‥!」
「ひひ、面白そう!ついてこ!」
「えー、もう行っちゃうの?」
「ニャーニャニャー」
「またね、チムニー!ゴンベ!」
ジュースを飲み干して店を後にすると、もう大分風が強くなっていた。大きな波が息を潜めているのを感じる。それともう一つ、潮の香りに混ざって気になる香りが鼻を掠める。私自身も風に飛ばされながら、その香りの方へと足を向けた。