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「おい、そいつがお前に何したってんだよ!離せよ!!」
風が強くなっていた。フランキーに抱えられているナマエ。そして、おれはメリーのマストに括りつけられ攫われている最中だった。
「待ってろよ、お前はおれが守ってやる!」
「ひひ、ありがとね」
攫われているというのに、呑気に笑っているナマエ。メリーを倉庫内へと引き上げ、ナマエを抱えたままソファへ腰を降ろしたその海パン野郎は、何故おれが一人でいるのかと聞いてきた。最初こそ声を張り上げてみたが、その男の脇で大人しくおれに笑顔を向けているナマエを見れば、少し冷静になって状況が見えてくる。もし、このチンピラが敵ならば、ナマエが大人しくしているはずがない。おれも強引に連れて来られてきてはいるものの、殴られるわけでもないようだ。
渋々ながら事情を話すと、あろうことか号泣の大合唱が響き渡る。図体のでかい男は、「泣いてねえよ」と一際大きな声で泣いていた。
「とにかくわかったろ!おれとあいつらがもう仲間じゃねえって事が!!」
吐き捨てた言葉を、チンピラたちはバカにしたようにギター片手に楽しんでいたが、ソファに降ろされたナマエは、声もなくただ下を向いている。
「お、おいナマエ‥」
「お兄ちゃん、このガキと知り合いか?」
「お前に関係ねえだろ」
「知り合いか、って聞いてんだ」
「‥他の島で何度か会ったんだ。メリーのことも心配してくれるいい奴さ」
声の圧に押されて返したおれの答えに、フランキーはそれでかと言葉を漏らした。そして、俯いたままのナマエ頭を撫でながら、自分が熱いと吹き出したお茶に氷をたんまり入れて彼女に渡した。
「‥お前もナマエを知ってるのか?」
「はあ?なんでだよ」
「あ、いや‥」
「それよりお兄ちゃん、この島であまりその名を口にしねえこったな。高潮に食われるぞ」
「何言ってんだお前」
「とにかくこのガキをその名で呼ぶな。キウイ、モズ、お前らもだ。分かったな」
有無を言わせず承諾を余儀なくされ、首を縦に振る。四角い女たちも分かったと頷いていた。その話はそれきり、話を戻すように口を開いたフランキー。自分たちが二億を奪ったことが大喧嘩に繋がったのかと、さぞかし恨んでいるだろうと言った。
「なるようになっただけだ‥誰を恨んでもしょうがねえよ」
「潔いな。そうか、あの二億は使っちゃったけどな!」
「ハリ倒すぞ‥ってハリ倒されてる!」
「てめ‥何すんだ!!」
張り倒したのは他でもない、ナマエだ。色素の薄い髪で自身の横顔を隠すように真下を見下ろして、フランキーに馬乗りになっていた。
「‥ガキのあやし方なんか、知らねえぞ」
こちらからはその表情どころか涙の雫さえ見えないが、声も漏らさず泣いているらしいとその言葉は言っていた。そんな彼女の涙を受け止めるように、大人しく跨られているだけのフランキーもまた、じっと彼女の顔を見上げている。沈黙を破るべきか黙っているべきか、そんな思考が脳内を右往左往している間に、フランキーの口元が小さく動いた。何を言ったのかはわからないが、奴の言葉に頷いてそっと身体の上から降りたナマエ。
「ったく、なんて力してんだよ」
服の汚れを払ってソファに座り直したフランキーは、先程の話を思い出すついでに部下がやられたことも思い出し声を荒げた。その間ナマエは床に座って景色を見るようにこちらを眺めていて、その表情に少し元気が戻ったのは、フランキーの「わっしょいわっしょい」だった。
「ドッコイドッコイだわいな」
「ドッコイドッコイだわいなアニキ」
「ほらお前も、ドッコイドッコイだ。な?」
ひひ、と服の裾でごしごし擦るから、目元は赤みを増していた。下手くそな笑顔だが、こちらもつられて笑えるような笑顔。ナマエは良く笑う。ルフィも、その笑顔が好きだって言ってたぞ。
フランキーはその後、行くアテがないのなら部下になれと誘ってくれたり、あのふざけた歌を歌うためにギターを持ち出したり。アクアラグナという高潮のことや、それから随分嬉しそうに声を弾ませて海列車のことを話してくれた。
「んで、お兄ちゃん。本題に入るが」
冷めたお茶でのどを潤したフランキーは、声のトーンを落とし船を直してどうするのかと聞いてきた。それに対して東の海まで行くと言ったおれの答えが、違ったんだそうだ。出来ねえと奴は言い切り、船と命を海に投げると言うなら口出しはしないつもりだったと、そう言った。
「人を向こう岸へ渡せなくなった船は」
「よせ!!」
「‥」
「船じゃねえんだよ!!」
言葉の終わりと共にメリーの身体を剥がしたフランキーは、おれの攻撃を受けても全く効かず、逆におれを水路の底へ叩き落とすように打ち付けた。沈められた水の中、目を開ければメリーの痛々しい船底が嫌でも目に入ってくる。そしてその傍らに、ナマエがいた。
あいつ、いつからフランキーのそばを離れてた‥?
そんな言葉が頭の中に浮かびはしたが、息苦しくて、気持ちもぐちゃぐちゃで、ただ、今はメリーを何とかしてやらなくてはという思いが先行した。壊されたメリーの身体を引き上げすぐに直しにかかる後ろから、フランキーが何か言っていた。うるせえよ、うるせえんだよ黙っててくれよ‥!知ってんだ。本当は、‥全部知ってんだ。
「もうメリーが!!ダメだってのも知ってんだ!!!」
査定の結果を聞いた日、空島での出来事が夢じゃねえと確信した。あの時、メリーはもう限界で‥心にずっと残っているあの言葉は、メリーの言葉だったんじゃないかと。信じてほしいと思って話したわけじゃない。けれどフランキーはあの日見た姿を、クラバウターマンという船の化身だと言った。
幸せだったんじゃねえのか。
そう言ってくれた。
「ウソップ、」
ぐっしょり濡れた身体で、水を引きずりおれの元へ上がってきたナマエ。
「ナマエ!‥そうだ、お前さっき‥!」
立ち止まり、その場に水溜りを作りながらおれの顔を見上げると、大きな瞳がなくなるくらいに固く目を閉じて、口端だけをキュッと天井に向ける。
「‥何、してんだ‥?」
「ニューゲートもね、私が泣いてるといつも私の分まで笑ってくれるの。だから、今日は私がウソップの分まで笑うよ」
笑うと言いながら閉じた瞳の隙間から零れ落ちる雫。拭おうとしたそれは、指先の傷口によく染みる。まるで、海水みたいだ。だけど、ちっとも痛くない。お前がおれの代わりに笑ってくれるんだからな。
「‥ありがとう‥っ、ありがとうな、ナマエ」
小さかった水溜りはおれを飲み込むほどに大きく広がったけれど、その間ナマエはずっと目を瞑って口角を上げていた。そして、傷だらけのおれの指先や掌を、そっと、ずっと、止まることなく優しく撫で続けてくれていた。