止まり木


 先程まではぽかぽかと晴れていたから温まった岩の上で昼寝などしていたが、しばらくすると日は翳り、小雨が降り出した。
生き物は巣穴に帰ったのか、しと、しと、と雨の音だけがする。
雨の中の景色を眺めながらゆっくりと歩く。
 世話になっている南十字船隊に残り、風の導くままにいろんな国を旅しているが、たまに稲妻に帰ってきた時は改めて景色をじっくり見ることにしている。
目狩り令があった頃、この国は常に気を張っていなければならない場所だったが、今は己の身を縛るものは何もない。
雨に濡れる海祇島も美しい。



 そうして雨の中ゆっくりした結果。

「……万葉さん…………」
「……すまぬが……何か拭くものを貸してもらえぬだろうか」
「はぁ……」
呆れ顔をしながらもコハルは大きな手拭いを出してくると、濡れ鼠になった万葉に頭からバサリとかけた。
「とにかく早く脱いでください!お風呂を沸かしてきますから!」
玄関から中に入るのは憚られたので、とりあえず髪を拭きながらびしょびしょの着物を脱いでいく。
 そして風呂場に突っ込まれた。
「もう、風邪をひいたらどうするんですか」
「小雨だと思ってのんびり歩いていたら……つい」
「着替えはここに置いておきますから、肩までしっかり浸かって、ちゃんと温まってから出てきてくださいね!」
「うむ、承知した」
コハルの言葉はまるで子どもに言い聞かせるようだった。
 熱い風呂に浸かりながら、万葉は大きく息を吐いた。
雨によって冷えた体が指先からじんわり温まっていく。
旅の身にはこうして風呂を貸してもらえるのは非常にありがたい。

「あ、上がりましたか」
「うむ、良い湯でござった」
「じゃあここに座ってください」
コハルは座布団の上を示す。

 コハルは万葉の後ろに座るとわしゃわしゃと髪を拭き始めた。
こんな風に人に髪を触ってもらう機会なんて幼い頃しかなかったから、少し照れ臭くもある。
 ある程度水分がなくなってくると、今度は櫛と手を使って髪を梳かしながら炎元素の力で乾かしていく。
なんとも贅沢な神の目の使い方である。
神の目に関しては少々苦い思い出があるらしく、「もう使えるものはとことん使い倒してやろうと思って!」と開き直っていたことを思い出した。
日常生活に使うには炎元素の出力の調整はかなり集中力がいるらしいが、そこは長年の経験でなんとかしているのだろう。

 頭全体と首の辺りが気持ちよく温まり、だんだんと眠くなってくる。
「万葉さん寝ないでくださいね、これからご飯ですよー」
「……うむ……」
ぼんやりとした意識の中、後ろからコハルの笑い声が聞こえた気がした。



*

「万葉さん、ちょっと失礼しますね」
 夕飯をご馳走になり、そろそろ寝ようか、と思ったところで寝間着姿のコハルが部屋に来た。
女子があまり男の寝室に入るものでは……とちょっと思わなくもないが、そもそもコハルの家だし、万葉は泊まらせてもらっている立場なので言いづらい。……前の時は万葉が頭痛で苦しんでいたから、看病だから仕方ないにしても。
「コハル殿……」
「万葉さん、ちょっと布団に寝てください、うつ伏せで」
「うつ伏せ?」

「よし、いきます」
「コハル殿?一体何を……」
コハルが万葉の両肩に手を当て、グッと押す。
「んんっ……」
 力を入れた手をそのまま背中側に滑らせる。
メリメリだかメキメキだか、なにやら体から固いものが擦れるような音がする。
そのまま腰まで到達すると、また肩から下に。
痛くはない。程良く気持ちいい。
「また岩の上で寝てたんでしょう、そんなだから体バキバキになるんですよ」
「んん……日差しが気持ちよかったゆえ、つい……」
 何度か繰り返した後、今度は手のひらを当てたままぐるぐると回すように解していく。
「ぅぁぁ……」
固くなった体がだんだん柔らかくなっていく気がする。
璃月の食堂の店主が、何かの生地を練っている動きを思い出した。

 手のひらで回す動きが、指先での指圧に変わる。
「いっ……」
「あっすみません、……ちょっと力弱めますね」
肩甲骨の下を目がけてググっと指を入れると万葉からくぐもった声が漏れる。
今度は痛くはなさそうだと判断し、グリグリと押す。

(これは……まずい、また、)
 甘えてしまう。
甘えてしまったら。
出ていくのが辛くなってしまう。
……かといってここでやめられるかというと……

(…………今だけ…………)
今だけ、甘えさせてほしい。
明日からはまたひとりで立って歩いていく。
ここにいるときだけは。

(熱い風呂に、あたたかい食事に、ふかふかの布団………)
「本当に、ここは、極楽でござるな……」

 コハルの手に身を任せながら、万葉はふわふわと眠りに落ちていった。



*

(だったら、ずっとここに住んだらいいのに)

 決して、口にすることはしない。
万葉には自由でいてほしいから。

口に出したところで、万葉は断るだろう。
「そこまでは甘えられない」と、困ったように笑って。
だが、きっと心の枷にはなる。
自分が万葉の旅の、一片の翳りになるなど、そんなのコハル自身が許せそうにない。

 だから何も言う事はしない。
ただ、止まり木のひとつだと思ってくれればいい。
いつでも気まぐれに足を止めることができて、羽を休めることができる場所だと思ってくれれば。

(……今だけ。ここにいるときだけは)



*20250201