明け方




 ――頭が痛い。体が重い。
……寒い。
「―――!!」
知らない空気。急激に意識が覚醒する。
無意識に左手が刀を探して布団の上を彷徨った。
「……痛ぅッ…………ゲホっゲホッ」
急に飛び起きたせいか、視界がぐらりと揺れて全身が悲鳴をあげた。
渇いた喉が引き攣り、激しい咳に襲われる。

「……大丈夫ですか!?」
誰か、少女の声がする。
背中を軽く摩られているうちに少しずつ呼吸が落ち着いてくる。
「……ッ……ケホッ……」
「はい、少しずつでいいので飲んでください」
湯呑を口元に差し出されたらしい。
背中と手を支えられながら、ぬるい水を少しずつ口に含んで嚥下する。
喉の鋭い痛みが少しだけやわらいだ。
「……はぁ……」
「落ち着きましたか?」
目の前の影が問いかけてきた。
「……かた、じけない……」
だんだんと暗闇に目が慣れてくる。
二つの神の目は枕元にある。淡く光る風の神の目と、光を失った親友の神の目。
刀は少し離れてはいるが布団の側に。
万葉は神の目だけを手に取り、やっと肩の力を抜いた。
「……拙者は……抵抗軍の者達に助けられ……治療を受けたのだったか……」
助けられてから、この建物に辿り着くまでの記憶がひどく曖昧だ。
「はい、ここは海祇島の薬店で、私はコハルといいます。お加減はどうですか?」
コハルと名乗った少女は濡らした手ぬぐいで万葉の額や首元を拭いていく。
うっすらと見えてきた頭の上にはぴょこりと人間ではない三角の耳が見えた。
「……まだ熱が高いですね……」
額に触れる、水で冷えた手が気持ちいい。

どれくらい眠っただろう。外は暗く時間が読めない。
人気のない隠れ場所を見つけては、逃げる体力が少しでも戻る程度に微睡み、生き物の気配に飛び起きてはまた走る。
目狩り令が発令されてからはずっとそんな生活だった。

少しだけ自分の状況を確認する余裕ができた。
ここ数日で負った刀傷は元々が浅かったため殆どが気にならなくなっていたが、右手だけは、未だ分厚く包帯が巻かれていた。
全身の痛みは少し楽になっている。逃げている時は気づかなかったが、疲労だけでなく熱のせいもあったのだろう。鳴神島を出てからは常に酷い雷雨に晒されていたから。

「まだ暗いですから、朝ごはんの時間までもう少し眠ってください」
すとんと寝かされ、肩までしっかりと布団をかけられる。
今の自分にこの温かい布団ほどありがたいものはない。
言われるままに再び眠りにおちた。


(怪我の状態は……右手の火傷以外はすぐ治せるけど……雨と冷えによる風邪と熱、疲労、あとは……極度の緊張状態……)
咳をしながらもその手は刀を探していた。
どれだけの恐怖に晒されてきたのだろう。
(なんとか、ここにいる間だけでも落ち着いてもらえたらいいけど……)


    *

空が明るくなった頃、万葉は米の炊ける香りで目を覚ました。怠い体をゆっくり起こすと、腹の底から、きゅぅと切ない音がする。どこかで火を焚いているのだろう、部屋の空気が暖かく感じる。
「あ、起きてましたか、おはようございます」
そろりと開けられた襖からコハルが顔を出した。
薄暗い中で見た耳は間違いではなかったようで、コハルの頭には黒くてもふもふとした耳があった。
「お粥を持ってきましたけど、食欲はありますか?」
「うむ……ここ数日、まともに食事をしていない……」
「それは大変!どうぞ!」
差し出された盆の上には小さめの土鍋。蓋を開ければ湯気が舞い上がり、出汁の香りが食欲をそそる。
「熱いのでゆっくり食べてくださいね」
右手は使えないので、左手に持った匙で椀に移された粥を掬い、息を吹きかけてから口に運ぶ。卵に包まれたふわふわの米に、やわらかく煮込まれた野菜の甘み、ほろほろとほどける鶏肉。
ゆっくりと食べる、あたたかい食事というだけで涙が出そうになる。一口飲み込むごとに、ほぅとため息が漏れた。
一粒残らず平らげ、手を合わせてご馳走さまと呟いた後、万葉はふらつきながら布団から出た。
「大変世話になった。すぐにでもこの恩を返したいところだが、拙者は先を急ぐゆえいずれ――」
「いや待ってください、何普通に出ていこうとしてるんですか」
「う、ん?拙者はお尋ね者ゆえ、拙者がいては迷惑に、」「ここは海祇島です。幕府軍がここであなたを捕らえるとすればそれは抵抗軍が敗北した時。たとえそうであっても、その時は私があなたを守ります」
強い瞳に射抜かれて、万葉はたじろいだ。
「というか、私がそんな状態のあなたを一人で外に出すと思いますか? あなたが今すべきことは、よく食べよく寝て体を休めることです!」
わかったら布団に戻りなさい!!
強い口調でそう告げられては布団に戻る他なかった。
(……確かに今のまま外に出ても天領奉行から逃れることはできぬ……ならばここで身を隠す方が賢明であるな……)
「……では、体調が整うまで、お頼み申す」






[V:8195]
コハルは心配だった。
まだ熱があり、怪我も治りきっていない万葉は一日の中で眠っている時間が長い。
しかし夢見が悪いのか、度々魘されているようだった。
手ぬぐいを絞って、大丈夫と念じながら額を拭いていく。
起きている時もあまり元気はないが、たまに口を開くと優しく穏やかな性格であることがわかる。
だが不意に暗く虚ろな目をすることがある。
空っぽの瞳で――何を考えているのか、まだコハルにはわからない。
鳴神島から海祇島までの道程が、万葉にそれほどの虚無を齎したのか。

 万葉を鶯宿薬店に預けたのはゴローの判断だった。
手紙を寄越した神里家当主について完全に信用できる判断材料があまりに乏しく、逃げてくる浪人が危険人物でない保証もない。こちらの動きを知られるわけにはいかないから抵抗軍で受け入れるのは難しい。
 それでも名椎の浜で助けた万葉の姿があまりに痛々しかったから、ゴローは彼を妹に任せると決めた。
それが療養を理由とした『隔離』だったとしても、万葉は危険ではないと信じることにした。コハルが彼を危険だと判断すれば、それはその時だ。

(傷が治れば、熱が下がれば)
 とにかく体の辛さを和らげることを優先する。
(痛みが消えれば、少しは楽になるはず)





*20231215