秋沙銭湯海祇島店の実現に向けて




 明る過ぎない室内。天井から下がる半透明の布で覆われて、視界が遮られる。
良い香りがして、ぽーっとして、意識はとろりと、何も考えられなくなるような…そのうち、なんだか甘いような、それでいてほろ苦いような気持ちになってくる。
自分の心と体が違う世界にいるようだ。
まるで、ふわふわと雲の中にいるような。
その部屋から出てきた客は、そう語った。

 そんな夢のような部屋で、今は熱い会議が行われている。

 秋沙銭湯の大株主・夢見月瑞希は語る。
「海祇島といえばやっぱりあの素晴らしい景色だと思うんだ。だから絶対に露天風呂は欠かせない!」
「そ……そうなんですか……?」
銭湯で売っているお饅頭と団子牛乳を頂きながら、コハルは首を傾げた。
「あの景色を眺めながら温かい湯に浸かれば人は現実を忘れ……夢の世界に訪れたかのような気持ちになる……あたしはそんな銭湯になったらいいなって思ってる」
そしていずれは体とともに気持ちまで晴れやかになって、心の奥底に潜む悪夢が薄まればいいと、瑞希はそう考えていた。

 心理療法士としての瑞希と、薬師としてのコハル。
人々を癒やしたい、その気持ちは一緒である。
ナタの開放的な海辺の温泉を見てきた瑞希に対し、万葉からナタの話を聞いていたとはいえコハルはいまいちピンと来ていなかったが。
海祇島の美しい景色が売り、というのには同意できた。

 そもそも何故ふたりが膝を突き合わせているかといえば。
秋沙銭湯二号店を海祇島に出店しようという話は前々からあった。
瑞希・心海・ゴロー・コハルの四人で話し合っていた時に、通りすがりの旅人とパイモン、そして妖狸の『刑部小判』と出会い、三川花祭の開催に協力することになった。

その後も祭会場周辺での不可解な出来事や悪夢の断片を倒すために雷電将軍が直々に出る事態にまでなり、二号店の相談どころではなくなっていたのだ。

 改めて相談の日程を決めていた時に「瑞希さんは前に『二号店は薬効を売りにしたら』と仰いました。ですからこの話はコハルが適任ではないかと思うのです」と心海が急にコハルにお鉢を回してきたのだ。
まだ殆ど何も決まってない段階だ。
常日頃から忙しい心海やゴローに代わって、ある程度の案が決まるまで自由に話し合ってきてほしい、ということだ。
 温泉の効能、サービスの内容、食事はどうするか。
体と心を癒す娯楽施設。やりたいことは無限にある。
資金の問題や可能か不可能かなんてことは後で考えればいいのだ。
とにかく自由に話し合って――二人は完全に意気投合した。

「薬効……傷に効くとか、疲れが取れるとか、肌が綺麗になるとか……そういった生薬ですよね。うーん……責任重大そう……」
「量が必要になるから、まずは効能を絞って、経営がうまくいきそうなら増やしていけばいい。予算がどこまで使えるか……」
どうしても予算のことを考えてしまうが、話すのはタダなのだ。

 途中でコハルはそっと手を挙げた。
「あの、モンドの錬金術で『リラックス効果のある錬金薬』をお香として使ってるというのを聞いたことがあります」
「モンドの錬金術? ……コハルさんは錬金術に精通しているの?」
「あ、いえ、まだ独学で勉強中で、資格とかは持っていないんですけど……兄が、錬金薬の店でそういったものがあると……」
「……リラックス効果を高めたアロマは私も施術の時に使っているけど……錬金薬か……それも面白そうだね」
瑞希が直々に妖力を混ぜて作った特殊なアロマは再現できないが、錬金術なら似た効果のものが作れるかもしれない。


   *
 

――『疲れが取れる錬金薬』をゴローが持ってきた時、コハルは素直に「便利だな」と思った。最初は。
疲れは取れるし筋肉痛だって治ってしまう、すごい薬なのだが。
海祇島の兵士たちは働き者であるが……血の気が多い者もいる。彼らにこの『疲れが取れる錬金薬』を渡したとしたら。

「これがあれば……休まなくても働けるぞ!」
――なんて言い出す者がいるのではないか、と。
いや絶対いる。
そんな休まず働かせるための薬ではない。
薬で痛みを取って無理矢理働き続けても、疲労は体の奥底で蓄積し続け、いつかは限界が来てしまうだろう。
ゴローとの相談の結果、その薬はコハルのしっかりした管理の元、「ちゃんと体を休めること」と約束した上で使用できることになった。


   *


 どれだけ施術をされても、本人の心と体が緊張していては効果が半減してしまう。
本当の意味で癒やされるとは、何か。
「……『休んでもいいんだ』って、思えるような空間であることかな」
「あぁーわかります。そこにいる間だけは、現実を忘れられるような、そんな場所を作りたいですよね」
「だったらやっぱり海祇島はうってつけだ。鳴神島や外の国の人から見ればあの景色は『非日常』になる。普段からあの景色を見てる海祇島の住人だって、露天風呂に入りながら見る景色だったら気分も変わってくると思うよ」
美しい景色、疲れの取れる風呂、気持ちが落ち着く良い香りのアロマ。
それらがいつか実現することを願う。今がその第一歩だ。
「いつか、海祇島のみんなが気軽に通えて、観光名所にもなる、そんな銭湯を作れたらいいですね」



 その後、お饅頭や風呂上がりの牛乳も海祇島店独自の味のものを出してみたらどうかで盛り上がり、気付けば空の色は赤くなりかかっていた。
「あぁ……ふるーつ牛乳についてもっと話したかったです……!」
近くの屋台で売られている団子牛乳はおいしいが、時間がたつと風味が落ちてしまうことから海祇島で売るのはあまり向いていない。
「いくら時間があっても足りないね、近いうちにまた話そう。今度は白音も呼んで助言を貰って、ね」
「はい! 是非!」





 瑞希はコハルを見送った後、しばらく空を眺めていた。
こんなに白熱して話したのは久しぶりだ。実現するかは置いといて、好き勝手に理想を話すのは楽しい。
――昔はもっと無邪気に過ごしていた。
毎日のように友達と町を走り回って、夢の味と同じ食べ物を探していた。けれど次第に、気軽に話せる仲ではなくなった。いつしか彼女は大き過ぎる責任を背負うようになってしまったから。
瑞希はその凛と立つ彼女の背中を追い続けている。進む方向が違っても、目指す未来はよく似ていると思えるから。

遠くから舞い落ちる桜の花弁が、秋沙銭湯を見下ろしていた。



*20260102

うたうまち